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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

変身忍者嵐 47話(最終回)感想&総括

youtubeで配信された『変身忍者嵐』の感想。

47話

 ついに妖怪城への道が開け、急ぐハヤテ。だがサタンの呪いによって妖怪城への道にたどり着けない。

 一方サタンは悪魔道人を復活させるが、配下の妖怪が復活しない。何故かと問うと、ガンビームを受けて倒された者は復活することができないという!

 あの光線、そんな効果あったのか(^^;

 手足となる者を用意するため、ツムジの連絡でやってきたタツマキたち伊賀忍者に魔弾を浴びせ、洗脳する悪魔道人。

 ゲラゲラ笑いながらマシンガンぶっぱなす悪魔道人の姿は、最終回だけあってすごい気合。

 洗脳されたタツマキたちに導かれたハヤテの前に現れるのは十字架! 悪魔道人とサタンはハヤテを人柱として業火で焼き尽くし、その灰を世界中に散らばすことで妖怪を復活させようとたくらむ!

 正直、いろいろやりすぎて何が何だかわからなくなってきました(^^;

 だがハヤテは密教の呪文を唱えると、俺の中には月ノ輪の命が燃えている! と謎理論で変身し、妖怪城へ乗り込む手段はサタン円盤ただ一つと知っていて罠にはまったのだと説明。悪魔道人をガンビームで撃破後、逃げる円盤に飛び乗る!

 円盤内でサタンにガンビームを浴びせるが、通用せず逆に地獄独楽の妖術で苦しめられる嵐。が、ここでバトンが刀に。これには魔術除けの秘法が施してあると説明しますが、バトンにも施しとこうよ。

 久々に刀を使って戦う嵐の必殺技が「秘剣・影映し」なのは、OP歌詞で最後まで歌われていたのだし、嵐を代表する技として最後に使いたい、というこだわりを感じるところ。

 個人的な感想として、影映しは姑息な剣術なので、旋風切りの方がよかったのですが!(笑)

 首が落ちるサタンだが妖原子球に吸い込まれ、不滅だと語る。これを撃破すればサタンを滅ぼせると知った嵐は、唐突に自爆を決意。

 「やめろ嵐! お前の力と妖原子球の力が衝突すれば、この円盤は爆発し、誘導を受けた妖怪城も爆発する!

 土壇場で自分に不利な情報をペラペラしゃべってしまう大魔王(笑)

 「それが本望だ! 平和と正義の為に、私の命など問題ではない!」

 フォー・ジャスティス!

 「や、やめろ嵐! 狂ったか?!」

 「狂ってはおらん! ……母上、嵐は死にます! 今一目、お会いしたかった! 母上!」

 ……あの、待って。ちょっと待って。

 確か母上、妖怪城の中では。

 前回呪いの仮面をつけられて、そのままだったように記憶しているんですが。

 嵐の捨て身の攻撃により、円盤と妖怪城は爆発。嵐の死を悲しむ面々だが……

 母を呼び走ってくるハヤテ。

 それを聞き駆け寄ってくる母。

 ナレーション「変身忍者嵐は全能力を使い果たして大魔王サタンと共に消えた。そしてハヤテは、人間として蘇ったのである。これからのハヤテを待つものは、母と二人だけの平和な生活なのであろう」

 何故蘇ったのか、そもそも嵐って医学的改造だから力使い果たして人間になるって単純なものじゃないよねとか、妖怪城にいた母が何故無事なのか、母の仮面は結局なんだったのか、そもそもサタンって何だったのかとか、色々理由とか説明とか放棄して、強引にハッピーエンドに持ち込みました。

 ……あー、うん、路線変更やテコ入れで色々無茶苦茶になっていった作品ではありますが、最終回の事ここに及んでそれをもはや隠そうともせず、むしろ開き直って全部異次元の彼方まで投げ飛ばしました。

 70年代(それも初代『仮面ライダー』と同時期の、本当に東映特撮草創期と言える時期)作品ということもあって半ばツッコミ入れるのが前提みたいに扱ってましたし、途中からシナリオに期待して見るのはほぼあきらめていましたが、シンプルにびっくりです、はい。

総括

 テコ入れなど諸々の事情はあるのですが、一言でいえばまあ「初志を貫けなかった作品」だなあ、と。

 同時に70年代という時代の中で、特撮作品の独自性を打ち出すことや差別化を図ることが非常に困難だったと思い知らされる作品でした。

 当時の『仮面ライダー』との差別化を図る要素として時代劇要素が組み込まれているのですが、その他にも差別化を図る要素は初期にいくつか組み込まれていました。

 その最たるものはハヤテ/変身忍者嵐のキャラクター設定で、ハヤテは『仮面ライダー』のように悪の組織に無理矢理改造されて人でなくなったのではなく、もともと悪の組織に属しており、自ら志願されて改造を受け、あくまで血車党には「過ちを正して正義の道に進んでもらう」ことを望む、という態度で進められました。

 わかりやすい例が毒蛾くノ一で、嵐は前述の考えの上「例え化身忍者でも女子供は斬らない」という信条の基、毒蛾くノ一を見逃しています。

 ハヤテ自身はもちろん平和を愛し正義を守ろうとする好青年ですが、それはヒーローとしての戦う原理ではなく、ハヤテが変身して戦うのは「父の過ちの償い」というのが大きな特徴。故に血車党の化身忍者を殺害することはあるものの、「血車党を愛している」のには変わりがなく、倒した化身忍者に合掌する場面も描かれることがありました。

 ……が、度重なるテコ入れによって、それらは全て瓦解

 血車潜水艦や、鉄人大王や血車れんじゃあ部隊ぐらいのレベルならまだ単なる「ハイパー時代劇」の範疇でネタとして見られたのですが、いつの間にか火薬による血車党完全破壊を考えたり、化身忍者の死を爽やかな笑顔で報告したりと、段々「血車党を今でも愛している」というポイントが崩れていきます。

 まあそこは上手くやらないとまとまりが悪くなるし、カタルシスとしても派手な火薬やアクションで敵を撃破していくのは気持ちがいいのですが、続く西洋妖怪投入によって争いの相手がまず「父の過ち」ではなくなり、さらに妖怪であれば女でも容赦なく一刀両断するようになり、と、どんどん迷走。

 さらにさらに、有名な格闘家が本人の役でゲスト出演、どう見ても宇宙人だが正体不明の大魔王サタンの登場など、「時代劇」であるという残された差別化ポイントさえもその独自性やメリットを失っていきました。

 最終盤、サタン登場以降のあの展開はとても時代劇のそれとは思えません。吹き飛ばすならもっと明確に吹き飛ばしてもらいたかったのですが、サタンはUFO&大魔王でSF要素とオカルト・ファンタジー要素が無理矢理まぜこぜになっただけの印象が強く、インパクトに欠けます。

 正直、役者でごまかしている感が強く、中身はとてつもなく小物ですし、サタンの正体は本当になんなのか(^^;

 で、そういうテーマ性とは別に作品の差別化を図ろうとしたのが「忍者大秘巻・天地二巻争奪戦」や「ハヤテの母探し」なのでしょうが、これがまた、基本的に面白くありません。

 争奪戦はこちらの巻を狙って作戦を練る敵→倒すのワンパターンがほとんどで、ちょっとひねりを加えたかと思えば敵とこちらの巻が入れ替わっただけなど、もっと手短に済ませるべき展開をダラダラ冗長に続けてしまった印象に。

 サタン登場以降軸となるハヤテの母についてですが、それを知るきっかけとなる記憶を持っていた月ノ輪/フユテも含め、どういう経緯で彼らが生き別れたのかなど先に見せておくべきポイントをすっ飛ばしたので、突然生きていた母と再会し、突然変身すると彼女が苦しむという設定が持ち出され、突然ハヤテも母を想う人としての側面が強調されるようになる(唯一の肉親と考えれば当然ですが)など、全てが話の積み重ねと連動しないので何もかも唐突に

 回によって妖怪城にいたり道をさまよってたりと一貫性がなく、呪いの仮面を最終一話前で装着するも何も説明がないまま外れていたりと、ハヤテの母については製作側もあまり真剣に考えずとりあえず物語を盛り上げる要素として置いただけ、というのがひしひしと伝わってきます(^^;

 そして、フユテの回想にも無く、終盤には完全になかったことにされたも同然であるハヤテの父・谷の鬼十。

 それこそ、彼が妖怪になって出てきそうだ(笑)

 そんなわけで、序盤の内容や持ち込んだ要素は面白いと感じましたし、視聴率向上のためのテコ入れや一年間の話で細かい伏線をすっ飛ばすことなども理解はできる事情ですが、作品全体としては迷走の果てにテーマや世界観を完全破壊してしまし、非常に残念な出来と言わざるを得ない作品でした。