ぼんやりと特撮・アニメなど

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『仮面ライダードライブ』の世界が不気味に感じる

普段は感想書いてないんですが、最近の『仮面ライダードライブ』で思うところがあって、とてもモヤモヤしているのでここに吐き出しておきたいと思います。

※アンチ寄り、というか完全にアンチ『ドライブ』記事なので、苦手な方はスルーして下さい。また、筆者が見落とした描写や作中の設定があるかもしれないので、もしかしたら全くの勘違いをしているのかもしれませんが、そのような設定がある場合はコメント欄で教えていただければ幸いです(放送された内容以外、例えば雑誌にしか載ってない設定などは除く)。

  以前、まとめて複数の特撮・アニメの感想を書いたときに、本作について「正義の在り方がわからない」「本質の善悪の議論に意味を感じない」ということを書きましたが、最近はもはやそういう次元を超えたところにいます。

 まず、根本的に、この作品世界に「心」とか「魂」なんてものは存在しないんじゃないか、と。

 ベルトさんの存在、蛮野の存在、チェイスの「人間を守れ」という声(しかもメディックが書き換えた)、進ノ介の蘇生およびベルトとの体の主導権入れ替え、メディックが愛に目覚めた時に記憶を消す仕掛けを施すなど、この作品世界での「記憶」や「意識」というものは科学技術によって容易に変更できるもの、という印象を受ける描写が続けられてきました。

 ここまで描写が積み重なると、「本当に『命』なんてものが存在するのか?」という疑問が、どうしても湧き上がってきてなりません。

 外部から電子的に改竄・変更が可能なそれが、本当に「心」や「命」なのか? 作中世界で人物が見せる反応や感情の揺れ動きなどは、ただの電気信号が生み出すまやかしなんじゃないのか?

 そこの根幹が思いっきり揺るがされているのに、何故か劇中人物は誰もその点に疑問を抱かないし、答えを出してくれません。

 無から生まれた機械の上、改竄することが可能だった「人間を守れ」の意識が本能扱いされて本人もそれを納得してしまったチェイスとかもそうですし、ましてや進ノ介なんて一回『死んでいる』というこれ以上ない体験をしているのだから、そこについて何か思うところはありそうなのですが、何も触れません。死んでいた間のこととか、いったいどうなっていたのか。

 にも関わらず、「愛」「正義」「人間(ロイミュード)の本質は善か悪か」というところでばかり議論している。

 そもそも、そこに掲げているものは全て「心」が存在する前提で成り立つものなのですが、上記の状態で何故「心は絶対ある」と断言できるのでしょうか?

 そして、どうしてそれが強い力を持つと思えるのでしょうか?

 「命・魂の所在」という根本的なところを思いっきり否定されているのに、何故かそれより先の議論ばかりを続ける『仮面ライダードライブ』の登場人物は、白々しいを通り越して、もはや不気味と思います。

 そもそもそこがあやふやなので、ブレンの死についても私は全く感動できませんでした。

 死ぬより前に、そいつ生きてないから。

 「ロイミュードだから」じゃなくて、そもそもこの世界、人間含めて誰も生きてないから。

 ただ電子の流れに操られてる肉の塊と鉄クズの塊がうごめいてるだけです。

 そして逆に、「ブレンはクズだから死んで当然」ということさえ、私には思い浮かびませんでした。だって、生きてないんだから。

 ないものを失いようがないでしょう。真空から何を取っ払えるのか? エネルギーと質量がない世界で万有引力の法則の話をして、何の意味があるのか?

 というか、これはまざに

「死んではいない。機能が一旦、停止しただけだ!」(『超力戦隊オーレンジャー』第18話より、三浦参謀長)

 ではないのか。

 

 で、そのことについて考えていたらふと思ったのですが、あえて無視しているのではないか?

 本当はこの時点で作っている側も気づいている(あるいは「命」や「愛」の奇跡を信じてない)けど、それを認めたら1年間の物語が完全に水泡に帰すので、誰も認めることができない。だから無視しているのではないのか?

 本作を視聴している中でずっと思うことですが、どうもこの作品、「積極的に答えを出そうとしない」「答えを出すことから逃げている」という印象を、序盤から感じてなりませんでした。

 「あえて正解を一つにしないことで視聴者に想像させている」のではなく、そもそも「正解を一つも出さない」し「出そうとする意識もない」。

 序盤に結論を出した問題を、話が進んでからそこの根幹を揺るがす事情や展開が全くないのに、また結論が出てないような話になってたり(「人間の本質は悪」と突きつけられた進ノ介はそれと関係なく「市民を守る」と結論を出したのに、仁良編でそこが揺らいだのでもなんでもないのにまた同じことを言われたり、チェイスや072の存在があるのに「ロイミュードの本質は善か悪か」で悩んだりした)。

 主人公の考えに対し疑問をぶつけてくる悪役がいて、それに答えを出す展開かと思いきや、悪役はそもそもその疑問を提示する資格がないので、撃破したら答えを出しもせず全く放置、とか(ジャッジロイミュードや仁良。ジャッジロイミュードに至っては、私怨で犯人を殴ろうとする追田警部補を「殴る価値もない」で制止し、一方ロイミュードの共犯者は私情で勝手に見逃すという、事実上相手の行動を認める形で決着している)。

 兎に角作品全体として「ある事象に対する答えを出す」ということへの忌避感がやたら強く感じられ、「1年間のシリーズとしての主張や説得力」も「ヒーロー・仮面ライダードライブ/泊進ノ介としての主張や説得力」も何も感じられないまま、放送を終えようとしています。結局、この作品はなんだったのか。

 フィクションとしての説得力やリアリティが全く感じられないので全く感情移入できず、世界の内部の人間(の形をした何か)だけは何故か勝手に満足しているのが、とても気持ち悪くてなりません。

 ……まあ、「魂なんて存在しないんだから、人間でもロイミュードでも改造人間だろうがなんだろうが、肉体に関係なく本質は同じ空洞だ」という、すごいアクロバットな形で根幹がまとまった気はしますが!

 あまりにも無残なアクロバットすぎる。

 

 さて、最終エピソードは次回作『仮面ライダーゴースト』とのコラボ編だそうです。

 『ゴースト』ってタイトルやコンセプト、主人公の設定など考えるに「魂はある」ことが既に担保されていると思われるのですが、まさか本作の反省をいきなり生かした、ということなのでしょうか。

 作品が始まったら世界観は切り離されるでしょうからそれはそれでうまくまとまればいいんですが、『ドライブ』世界とはその根本的な部分から食い合わせが悪くて、どうなるんでしょうか(^^;

2015年9月21日追記

 『仮面ライダードライブ』の事実上の最終エピソードとなる第47話にて、「倒されたはずのロイミュードに襲われる進ノ介を、仮面ライダーゴーストが助ける……という夢を進ノ介が見る」というシーンがありました。

 上に書いたように、ドライブ世界とゴーストとの組み合わせは明らかに噛み合わないだろうと思っている私ですが、このシーンについては本気で困惑しています。

 twitterでは「最終話にゴーストが登場する」という事前情報を持っている人は多くいましたが、その人たちも最終1話前となる今回でゴーストが登場することは全く予想しておらず、驚いている様子を見ました。

 が、私が抱いたのはそんな方向とは別の困惑であると思いますし、同時にこれは本気で『仮面ライダードライブ』という作品に失望するトドメの一撃でした。

 このシーンが意図することはまず間違いなく「死後の世界が存在する=魂の存在の確定」と「ロイミュードがそこから復活する=ロイミュードに命があることの肯定」なので、上記の私の仮説(人間もロイミュードも等しく「命」「魂」「心」を持たない)は否定されたことになります。

 否定されたのですが、問題なのはその先で、この「命はある」という設定が何を呼んだのか。

 ここまでの『仮面ライダードライブ』という作品世界では、当然ながら「あの世」「死後の世界」は存在せず、また同時に命の重みも描き出すことができず、されなのにただ「命はある」と脈絡も何もなく飛び出しただけ。

 私が抱いているのは「命はあるのか? ないのか?」という「疑問」ではなく、「命は無いと解釈した方が筋が通る」という独自の解釈と推定なので、今回のそれは「疑問への解決」ではなく「後付によってこれまでの描写と矛盾する設定が出てきた」のと変わりありません。

 百歩譲って、そこを矛盾がない設定と認識しても、ではそれをどうやって見せてきたのかと言うと、『仮面ライダーゴースト』とのコラボという形であり、仮面ライダードライブ』単体で見せてきたのではない。

 「『ゴースト』には命や魂の概念があるので、『ドライブ』とつなげて同じ法則が通るようにすることで『ドライブ』にも命の概念ができる」というもので、あまりにも乱暴すぎる。

 おまけに『ゴースト』が既存の作品ならまだしも、まだ放映が始まっていない(=視聴者が世界を見たことがない)作品なのです。

 『ドライブ』単体で解決するべき要素を、まだ始まってもいない『ゴースト』に頼る方法で解決したのはあまりに不誠実だし、何よりこれは「『仮面ライダードライブ』は1年かけて『命』の重みを表現できませんでした」という

 敗北宣言

 としか言えません。

 なお、上で述べた通り私は「スタッフもこの問題に気づいているのに無視しているのではないか?」と考えているので、最終エピソードでなんとか強引にそれを解決しようとしてねじ込んだものではないか、とさえ思っています。穿った見方かもしれませんが、今回のこのシーンそのものは無くてもエピソード単体の内容に全く影響しませんし、急遽追加されたものとしても辻褄が合う。

 本当に『仮面ライダードライブ』は、最後の最後まで逃げの一手で、無責任と思わされる最終章でした。