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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

アニメ映画『星を追う子ども』感想

アニメ感想 映画感想 金元寿子

これまでなかなか見る機会がなかったもののずっと視聴したいと思っていた作品なのですが、GYAO!にて無料配信が行われていたのでこの機会に視聴しました。

  金元寿子主演作品だから仕方がない。

 ……いきなりで、すみません(^^;

 冒頭の舞台が一昔前、昭和の雰囲気の田舎町で、画作りとか色彩はなんとなくスタジオジブリ作品の雰囲気。ちょっと人物の動きがせわしないけど、ほのぼのした雰囲気をなんとなく味わっていたところ、突然、怪獣出現。

 一応、主人公・アスナの担任の先生が「クマに似た巨大な生き物に注意して」と話しているのですが、いきなり放り込まれた明らかな異次元の存在に鋭いキックを繰り出して皮膚を切り裂いたり、魔法を繰り出すロン毛の青年。

 傷を負いつつも怪獣撃破後、アスナを拉致。

 あまりに急激な展開に、呆然としつつも視聴継続(^^;

 青年から「もう来ない方がいい」と注意されつつも、そこはアスナにとって自分だけの秘密の場所だったので翌日再会。父の形見の鉱石ラジオをいきなり見せて自分語りするアスナに、青年・シュンはアガルタと言う国から来たことを話し、さらにアスナに「祝福」と称してオデコにキスするなど、すごい勢いで急接近。

 命の恩人ではあるし、尺の都合なども感じるのですが、さすがに接近の仕方が唐突過ぎて、もうちょっとじっくりやってほしかったところ。

 ところで、「アガルタ」と聞くと格闘ゲームアカツキ電光戦記』を思い出す私なのですが、公開前年に新作『エヌアイン完全世界』が稼働しており、偶然にも「南極に古代文明(アガルタ)の遺産が眠っている」という内容でした(アルカンジェリの会話から、本作でも南極にアガルタに関連した何らかの遺跡があったことが示唆されています)。

 さらに翌日も会おうとするアスナだが、会うことができず、帰宅するとシュンが川に転落し遺体となって発見されたというニュースを聞き衝撃を受ける。

 そのさらに翌日(序盤、こういう流れの速さがちょっとついていきにくくなります(^^;)、産休となった担任の先生の引き継ぎで森崎という先生が登場、その授業も受けることになるアスナ

 小学校の授業で古事記から冥界とかアガルタの話を始める森崎先生。

 どう考えても危ない人の空気ですが、「アガルタ」に反応したアスナは独自に神話を調べた上、森崎先生の自宅を訪れ、以前襲った怪獣が古くは「神」と呼ばれたケツァルトルという生き物であることを知る。さらに、秘密の場所でシュンにうり二つの少年シンと出会ったアスナは、武装した謎の集団に襲われる。

 少年の導きで逃げるアスナは、シンの持つシュンの首飾りの石「クラビス」でアガルタへの門を開け、武装集団の一人と突入。その一人の正体は森崎で、彼はアガルタの存在を唯一知る組織「アルカンジェリ」の人間であり、その組織の目的と別に死別した妻を蘇らせるため行動を開始する。

 だが地上と隔絶したアガルタは、かつて地上に利用された苦い経験から運命に従い安らかに滅ぶことを望んでおり、地上の人間の存在を拒んでいた。そしてアスナの持つ父の形見の鉱石がクラビスであることが判明し、それを奪還するためシンはアスナを探し始める。

 ということで、アガルタで活動する主だった人物のまとめ。

 ・アスナは父を失い、空虚な地上世界よりも地下世界への憧れを抱いている。森崎に父を重ねて寄り添う。

 ・森崎は自立の意識が強く、その一方で妻の死を受け入れられず、運命や原理に逆らおうとする。

 ・シンは逆に、この世界の原理に疑問を抱きつつも従うしかない。世界の原理に逆らった兄シュンは死亡。

 地上の人間によって荒廃したアガルタの世界に生きるシンや村人たちが「原理の統制に従う」のに対して、地上からやってきたアスナと森崎が「自由意志を主張」という、思想的に対になる構造。

 同時に、アスナのいる立ち位置がいかにも金元寿子が演じるメインヒロインだなーと感じてしまいました(笑)

 多分、上映当時の2011年に見ていたらそこまで意識してなかったと思いますが、今思うと、金元さんが演じるヒロインはずっと抱えているテーマ性がここに集中していて、なんだか不思議なものを感じます。

 監督も脚本も作品ごとに違う人なのに、いったい何故だろう(笑)

 この森崎・アスナの「自由意志の尊重」については作中でその後も強調され、アスナたちがある村で泊めてもらった際に、その家の老人と森崎が生命の復活について議論する中で飛び出すのが次のセリフ。

 「許し? 何故? 誰に許しを請うのです?!」

 「アスナがここにいるのはアスナの意志だ! ただ何かを仰ぎ見るだけ、あなたたちはそうやって2000年も穴倉に閉じこもってきたのだ!」

 「運命」に従い、変化を一切受け入れず、それで滅ぶことを全面的に肯定するアガルタに対する痛烈な批判。

 まあ、私としては金元寿子主演作品で「許し」が飛び出すと某チタンの肋骨を即座に思い浮かべてしまい、自然に笑いがこみあげてしまって、ちょっと素直に見難いのですが(^^;

 それと同時に、シンもまたイ族(汚れ・混血を嫌う闇でしか生きられない種族)に囚われたアスナを救おうとしたり、逆に救われたり、アスナが地上から連れてきた動物ミミの死を経て、アガルタが滅ぶ原因に疑問を抱くようになるのですが、それを「その未熟さはあの男(森崎)と同じ」と老人に諭されます。

 シンはその後、地上人を狙う兵士からアスナたちを庇って衝突したことにより、アガルタにも地上にも属さない流浪の存在となる。

 そして、妻を生き返らせるため生死の門のある谷フィニステラを降りる森崎と、引き返すアスナアスナはそこで、自分がアガルタを求めたのは寂しさを埋めるためだったのだと気づき、イ族に捕まりそうになったところをシンに助けられ、互いにシュンの死を悲しんで涙を流す。

 「自分の意志で生きる」ということに対し、それは周囲の助けを受けることを放棄することも示し、その上でどうしても自分では埋めることができない喪失や寂しさを描く、という、とてもえぐい展開。

 アスナは父とシュンの、シンはシュンの、森崎は妻の死を、どうしても自力だけで埋めることができない。だから誰かと寄り添ったり、誰かから生きていることを肯定(祝福)されねばならず、そうでなければあるいは道を踏み外して(といっていいのかはわかりませんが、運命や原理を捻じ曲げたりして)しまう。

 シンは老人に「アガルタは命の儚さを知りすぎているために滅ぼうとしている」と述べるのですが、それは道を踏み外すことへの極端な恐怖と同時に、喪失のダメージを過剰に恐れているということなのかも。

 そして、妻を蘇らせようと生死の門をくぐった森崎が見た世界は――満面の星空

 ここまでアガルタの世界には「星」が存在せず、森崎も「気味が悪い」と述べていたのですが、生死の狭間にきて星空。

 ああそうか、「星」というのはまさに「お星さま」になった「死んだ人の命」であると同時に、「流れ星」のような人々の自由な意志や願いの現れなのか。

 だから地上には満面に輝くけど、それを持たないアガルタには一つも点らないし、願いをかなえる生死の狭間ではまた満面の星空。

 自力ではどうやっても埋めることができない喪失を埋めるために、人々が誰も追いかけている。

 特定の誰かを示していたのではなく、地上に憧れたシュンも、アガルタに憧れ父を求めたアスナも、妻を捨てられない森崎も、シュンを失い苦しむシンも、みんな届かない「星を追う子ども」だった。

 森崎は死をつかさどる神であるシャクナ・ヴィマーナに願いを届けるも、そこに出てきたのは魂だけ、完全な復活には肉体が必要と知りちょうど来たアスナを捧げるが、それでも足りなかったらしく視力を奪われてしまう。

 視力を奪われるということはただ妻の顔が見えないだけでなく、もう二度と星を見ることができないことでもあり、つまり、森崎は唯一の願いだった妻の復活の代わりに、二度と願いを、星を追うことができなくなることの暗喩だろうと思います。

 ここまで「喪失」が「人の死」に寄っていて、その失った部分を他人と寄り添うことで埋めていく物語なのかなと思っていましたが、ここにきて「喪失」の意味が大きく変化。

 本当の意味で「喪失する」ということは、ただ愛するものの命を亡くしたとかそういうことではなくて、命の本質や願いが見えなくなってしまうということ。

 これが、自由意志を踏み越えた、エゴの果てに理を捻じ曲げようとした代償か。

 同時に、何故アガルタに星がないのか――それは喪失の意味を深く知りすぎているために、最初から何も持たないことでその恐怖を避けようとした、しかし何もないが故に滅びの道しか歩めないというジレンマを抱えてしまった、と強調されることに。

 だがシンがクラビスを破壊したことで、森崎の願いはかなわず、取り込まれかけたアスナは夢の中でシュンとミミに別れを告げる。

 「別れ」は決して「喪失」じゃない。

 妻を再び失い、光も失い、妻が残したオルゴール(音楽については要素過多な気もしたのですが、ここにつながることも考えるとどうとも言いにくい)が壊れたことで胸に刻まれた音も失った森崎は、殺してくれと懇願するが、それを抱きしめるアスナ

 森崎については劇中の行いを考えると、フィクションの因果応報としては死んでも当然と思うところなのですが、ここで殺したらここまでの話が本当に水の泡なので、生かしたのは間違ってないと思います。

 まあ、本当に何もかも奪ったうえでアガルタに残る結末にしたのは、とんでもなくえげつないかも(^^; どのみち、(目の障害という意味じゃなくて)星を追えなくなった森崎は、地上で生きていく力など持っていないかもしれませんが。

 どこまでも地上の人間であろうとした森崎がアガルタで生きざるを得なくなったところで、一方アガルタに憧れていたアスナが星を追うことと祝福(命)の意味を知り、最終的に地上を選び戻っていくというのは、因果と言えば因果。

 未来のアスナが「卒業式」を迎えるところでED。卒業式もまた「別れ」のニュアンスを含む要素ですが、ここでのアスナはそこに哀しさや寂しさを抱く様子がなく、明るく笑顔で締め。主題歌も綺麗にはまっていて満足のラストでした。

 全体として楽しめたのですが、気になるポイントがあって、アスナの出生について。

 劇中で父の形見の鉱石がクラビスと判明し、地上人とアガルタ人の混血を嫌うイ族に襲われ(森崎は襲われず)、実はアガルタの生物でアガルタ人にしか懐かないはずのミミが懐いたことなどから、アスナの父はアガルタ出身であり、アスナはアガルタの混血児と思われるのですが、劇中でそれが活かされるどころか明確に示されることもありませんでした。

 なくても話がまとまってはいるところなのですが、この設定の上で話を展開するとアガルタと地上の溝を埋める話になりがちなのでそれを回避したというのが実情のように見えます。

 アガルタと地上は結局最後まで隔絶したまま、何事もないかのようにアスナは戻るわけですが、ここでアガルタと地上が重なることでどちらかを一方的に否定することになってはまずいので。

 また、劇中で老人の家に泊まった時、アスナがアガルタの服に着替えたところ森崎とシンの双方から「似合ってない」と言われることで、アスナはアガルタではなく地上で生きるべきというのを示していますが、この展開とアガルタの民とのハーフ設定はなじまないので、あえて示さず無視したのかもしれません。

 この「似合ってない」はアスナが自分の意志で地上を選んだのではなく、外から干渉したように見えるセリフでもあり、非常に微妙なところ。

 そして、アガルタ突入後の展開では上手いことまとめましたが、それ以前の地上での展開がやっぱり急すぎて、どうも落ち着かない感じになってしまったのもマイナス。あそこでもじっくり尺をとることで、シュンの死に対するアスナの喪失感などももっとうまく表現できただろうにと考えると、非常に惜しい。

 以上、ツッコミどころや粗っぽさも感じるのですが、テーマ性・ビジュアル・演出いずれもツボにはまって、個人的に大満足の作品でした。