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『特捜ロボ ジャンパーソン』の最終回について考えてみる ――神に勝った男、ジャンパーソン

本日、youtubeにて『特捜ロボ ジャンパーソン』の最終回が配信されたので、それについてちょっと考察。

  前提として『ジャンパーソン』には三つの組織が並列で活動し、最後の敵となるのは帯刀コンツェルン/ビルゴルディとなるのですが、その最終作戦はハイパーサブリミナルによって世界中の人間を洗脳し、魔王となるビルゴルディの指揮下に置くというもの。

 本来、帯刀は「表の世界を経済力で牛耳っているので、裏の世界も支配する」という悪役だったのですが、ビルゴルディに改造されて以降はジャンパーソンと戦うのに表の力を使うことを宣言するなど段階的に目的を変化させ、最終的にショッカーなどと同様の悪の組織定番「洗脳による世界征服」というところに落ち着きました。

 そして、ビルゴルディは機械と融合した「バイオボーグ」である自分を指して、ジャンパーソンに「人間とロボットの共存の象徴」と主張します。

 これに対し、ジャンパーソンは反論。

 「人間にも、様々な人間がいる。生まれも育ちも、性格もみんな違う! ロボットもそうだ! だからこそ、 互いを認め合い、尊重しあう。合体しなくても、手を繋ぎ合えるんだ! 共存できるんだ! それこそが俺の理想だ。 実現できるなら……実現できるなら、俺は死んでも構わん」

  ここまでのジャンパーソンは罪を犯した人間やロボットに対し、「やり直す」ことや「自らの意志で立ち上がる」ことを求めるヒーローとして描かれてきました。このセリフはその総決算と言えるでしょう。

 加えて、ここまでジャンパーソンは基本、犯罪ロボットに対しては容赦なく破壊することが多く、またロボットには人間の役に立つように生きることを求めるエピソードも散見され、ロボットに対する差別意識も見せていたのですが、このあたりの意識も(恐らくスーパーサイエンスネットワークとの最終決戦やネオギルドとの対決により)変化し「ロボットもそうだ!」と断言するに至っているのもポイント。

 「君を必要とする人間が居る限り、君はこの世に存在しなければならないんだ」(12話)

 「どう生まれたかが問題ではない。どう生きていくかが重要なんだ」(15話)

 「人間なんて、みんな一人ずつ違うじゃないですか! 幸せな人も、不幸せな人も、寂しい人も。どうして? どうして自分が自分こそが、人間の代表みたいな、そんな偉そうな言い方するんですか!」(24話、名無しの女)

 「その通りだ! 私ももっと、人間に立ち上がって欲しい!」(29話)

  と言うわけで、『ジャンパーソン』全体のテーマとして貫かれているのは「個性の尊重」「統治への抵抗」「運命への反抗」という要素であり、そうして見るとジャンパーソンの最大の敵は「運命」およびそれを作り出した「神」なのではないか? という部分が浮かんできます。

 「完全破壊しろ。部品一個この世に存在させるな。そのために俺は生まれたんだろ」(15話、ジャンパーソンの内なる声)

 誰かから与えられた正義、そしてロボットに生まれた運命を越えようとして戦い続けるジャンパーソンですが、ビルゴルディを倒すため最後に取る行動は「回路を切断しMX-A1に戻る」というもの。

 MX-A1はジャンパーソンが忌み嫌った「運命に縛られる存在」であり、また一応人間の殺害をタブーとしてきたジャンパーソンにとっては、これに戻ることで人間であるビルゴルディ(帯刀)を殺害するというのは、いわば正義の敗北である、といっていいでしょう。

 しかしそれでもジャンパーソンが立って戦わねばならないのは、ビルゴルディを生かしておけば、二度と人々は立ち上がれなくなるから。つまり、「正義の敗北」より先の「正義の死」が見えており、それを回避するためにジャンパーソンは一度敗北を認める道をとったわけです。

 さらにこの「MX-A1に戻る」という選択肢は、「ジャンパーソンに戻れなくなるリスクが高い」のではなく「一度やってしまえば二度とジャンパーソンに戻れない」というもので、ジャンパーソンはこのために確実な死を迎えることになる、というもの。

 だから、ジャンパーソンのこの選択は単なるヒーローの自己犠牲という話ではなく、ジャンパーソンが自らに課した「罰」という意味合いもあるのではないか、と。

 例えこの力でジャンパーソンがビルゴルディを倒せても、ジャンパーソンは理想の世界を決して見ることはできず(そもそもジャンパーソンの信じた「正義」が機能するかも不明ですが)、同時に最も抵抗した運命の奴隷になる道でもある。これはジャンパーソンにとっては単なる死よりも重い罰なのではないか。

 「正義」を貫き通すことができなかったジャンパーソンが、その「罰」を受けることで引き換えに得た力で理想を生き延びさせ、しかしその理想の実現は決して見ることができない(それも「罰」の一環である)。

 ニュアンスとしては「悪魔に魂を売った」というのが近いように思いますが、ジャンパーソンは「運命」およびそれを作り上げた存在(神)に反抗していたのだから、魂を売ったとすれば悪魔ではなく神の方でしょう。

 そして最終決戦、問答無用の攻撃(これまでほとんど使わなかったキックを多用するなど、戦闘スタイルにも細かく変化あり)でビルゴルディを倒したジャンパーソンは、最後にビルゴルディの自爆からかおるを庇う。

「……そうよ! 回路なんてそんな機械的なもの、関係ないのよ! 人間とロボットの境界を、ジャンパーソン、貴方は越えたのよ!  今こそ! 今こそ!」 

 というのがかおるの主張ですが、ジャンパーソンの決断を「罰」と見たときにここで再び意識を取り戻したのは、罰からの解放であり、同時に運命からの解放だった、と思います。

 正義を生き延びさせるために、拒み続けてきた運命に従う罰を受けたジャンパーソンを、運命は赦して解放し、再び生まれ変わらせた(本作においては「生まれ変わる」ことが「罪の清算」のニュアンスを含んでいることもたびたび示されています)。

 ジャンパーソンが本当に倒したのは「魔王」ではなく、彼を縛り続けた「運命」であり「神」だったのではないか。

 世界は、赦しに満ちている!

 ……結局それかい、と言われるかもしれませんが、そんな感じです(^^;

 『ジャンパーソン』作中では「神」の存在は語られていないのですが(第1話で小森警部の「最悪だ、絶望だ! 神も仏も無いのか!」というセリフはありますけど)、メインライターの同じ前作『特捜エクシードラフト』でも終盤が神と悪魔の戦いに至ったことや、東映の等身大ヒーローとして石ノ森章太郎作品が源流にあると見た場合、『サイボーグ009』などでよく取り扱われていた題材なので、ひょっとしたら意識はあるのかな、とも。

 ちなみに「運命と神に対する呪いや憎しみ」という点では、2年後に杉村升さんの脚本で『超力戦隊オーレンジャー』第18話がかなり突き抜けたものを飛ばしてくるのですが、それは別の話。

 さて、その先について話すと、ジャンパーソンの正義や理想は人間の善性を信じることに寄っているのですが、それに対するビルゴルディの最後の言葉「I'll be back!」。

 本当に2年後戻ってくるのですが、当時『ビーファイター』とゲスト出演企画が持ち上がっているとは思えないので、『ターミネーター』シリーズのパロディと共に魔王の定番台詞「人間に悪の心がある限り、魔王は何度でも蘇る!」という意味だと思います。

 ジャンパーソンはどこまでも人間とロボットの善性および自立を信じているからこそビルゴルディを倒せばその理想が実現できると考え、罰を受けてまで倒したのですが、それに対してビルゴルディは人間に悪があることをどこまでも主張し、「今ここで倒しても第2のビルゴルディが生まれる」ことを示唆して、ジャンパーソンを最後の最後まで否定し続けました。

 はたして第2のビルゴルディは現れるのか? その時、ジャンパーソンはもう一度「MX-A1に戻る」などということができるのだろうか?

 これについて、決戦後に子供たちと遊ぶジャンパーソンはアクションモード(ゴーグル装着状態)ではなく平和な暮らしを表現し、その後かおるたちと並ぶジャンパーソンはゴーグル装着状態として新たな戦いを予感させつつも、ナレーションが最後に「いつかまた、共に戦おう」とジャンパーソンだけに戦わせるのでなくその戦いに自分たちも、と含ませたのがまた綺麗なまとめ。

 以上、スタッフがどこまで考えて設計しているのかはわかりませんが(というかここの考察、ほとんど妄想の気がする(笑))、アクションシーンの迫力も満点で一個のエピソードとして十分楽しめ、作品の総決算として非常に綺麗な最終回でした。