読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

鉄血のオルフェンズ 13話感想

アニメ感想 鉄血のオルフェンズ 金元寿子

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の感想。

 ヤバい、余りにも考察の余地がありすぎて。考えていたら底なし沼にはまって帰ってこれそうにないぞ……!

 そもそもまとまるかもわからないですが、とにかく思いついたことをメモするような感じで書き連ねていきます(^^;

 前回からの続きで、船内は次々と倒れていくシノの仲間たち。昌弘はグシオンの攻撃で致命傷を負い、昭弘に転生の話を伝える。でもヒューマンデブリの俺たちが生まれ変わるはずもないという昌弘に、昭弘は生まれ変わったら俺たちの家族になるんだと叫び続ける。

 「生まれ変わりは、ほんとかウソか、それももうすぐわかるよ。先に確かめてくるね、兄貴……兄ちゃん」

 こと切れる昌弘。

 一方、クダルと交戦中の三日月は刀の使い方を理解するようになって戦闘のコツをつかむが、その中で謎の感覚を覚える。追い詰められたクダルは、三日月に投げかける。

 「ふざけんなよ! おい! お前楽しんでるだろ?!

 「うん?」

 「人殺しをよォ!」

 「はあ?」

 揺らぐ三日月。

 「ま、いいか。こいつは、死んでいい奴だから。」

 コクピットを貫き、クダル死亡。

 クダルは初登場からあまり面白味がないキャラで、正直全然好きになれずさっさと退場してほしいとさえ思ってましたが、ここで三日月に投げた言葉により一気に面白くなりました。

 この作品においては「自分が知っている愛や幸せを他人に分け与える」ことが一つ善良な行いだとして示されているのですが、それが前回昌弘を説得するのに失敗したことから続いて、今度はクダルが認識している幸福――人殺しを楽しむことを三日月に適用し共有して来ようとするという形でアンチテーゼとし、別角度から抉る展開に。

 三日月はおそらくそれを真実として心の奥底からは感じ取っており、それが表現できない感覚として表れた一方、理性的でもあるので正気と狂気・善悪を自分の中では線引きしており、そこからそれは共有してはいけない幸福であることを頭では認識し、否定しようとする。

 故に、クダルには明確な拒絶の形で「こいつは死んでいい」と言い放つ。

 そして、その発言の時に微笑みを浮かべているという映像が、視聴者たちにクダルの言葉がまぎれもない真実であることを見せつける。

 「こいつは死んでいい」という殺しの基準についても、「力のない子供ではないのだから殺してかまわないはずだ」というアインのように、人によって異なる姿を書きだしてきたことで唯一の正解が存在していないのもポイント。

 国家の概念が消え去り、唯一の統治機構も腐敗が進み、圧政が進む火星の自治体に、主人公たちは宇宙鼠やヒューマンデブリと呼ばれ人間以下の扱いを受け、さらにはマフィア所属と露骨に秩序の崩壊を示している本作ですが、「家族として幸福を分かち合う」ような純粋な善良さの概念が存在はしても通用はしない世界なのだろうな、と改めて思います。

 場面変わって地球にて、パーティに参加するマクギリスは女性と会話しているところをアルミリアに目撃され、さらに子ども扱いする声に耐えかねて会場を離れるアルミリアを見て追いかける。自分は子供だからマクギリスと頬を寄せ合って踊れないというアルミリアを抱き上げて踊ろうと呼びかけるマクギリス。

 「駄目。誰かに見られたら笑われちゃう」

 「アルミリア。あなたを笑う者がいたら、私が赦さない」

 「え?」

 「あなたは、ここにいる誰よりも素敵なレディだ」

 「マッキー……」

 「今夜は特別な夜だ。全てを忘れ、これから起こる運命さえも忘れ……踊り明かそう」

 思いっきり社交辞令ですが、レディに恥をかかせまいと着飾らずに自然にふるまえるマッキーはまさに貴族という感じで格好いい。台詞の端々から破滅の予感が漂い続けてますが(笑)

 海賊を撃滅し、全てのヒューマンデブリを保護し、家族として迎え入れようとするオルガ。またモビルスーツを没収した鉄華団はそれを売ることを考える。昭弘のために弟を殺したグシオンの売却も考えるオルガに、メリビットは葬式を行うことを提案。苦痛が救われ生まれ変わるなら、と賛同するシノと自分からも是非と願い出る昭弘だが、オルガは釈然としない。

 「正直ピンときませんね。魂が生まれ変わって云々とか……先に逝った仲間にゃ、どうせ死んだら会えるんだ。葬式なんてする暇があったら、これからどう生きるかを考えるために時間を使った方がいい」

 この世界の宗教観は前回から気になるところですが、「あの世」は信じても転生を信じないオルガには「自分の意識」の存在への疑問が垣間見えるように思います、

 シノは単に「苦痛を洗い流して救われる」だけ考えて葬式に賛同したのですが、おそらくオルガは「幸福も洗い流される」ということまで見ており、さらにその先の「何もかも無くなってまた生まれてくるというのは魂の消失と変わらない」って見方も持っているのではないだろうか。

 「どこにでも存在する癖に言葉しかくれない神なんて、いないのと同じ」(アニメ『純潔のマリア』より)なように、自分である痕跡をすべて失ってまた生まれてきたのでは、消え失せてしまったのと変わらない。

 例えばオルガが死んでしまって生まれ変わっても、その生まれ変わりを三日月が見たところで「頼れるオルガ・イツカ」だとは思ってくれないし、生まれ変わったオルガ本人もそれを求めたりしないでしょう。

 そうなると、消え去ってしまうのと何も変わらないのだからそれを「救済」と言われても納得はしない、というのは筋が通った考えだと思います。って、ほとんど私の妄想ですが(^^;

 「それは……あなたがそう思っているだけよね?

 「……チッ」

 「ここにいる誰もが、仲間の死に納得できているわけじゃない。お葬式ってね、生きてる人のためにもあるの。大切な人の死を、ちゃんと受け入れるためにもね……

 そんなオルガに対して「単純な善良さは概念として認めても通用はしない」というこの世界の流れを叩きつけつつ、生きている人間の救済なのだから、と葬式について説明することでオルガが納得せざるを得ない流れを作り上げてしまうメリビットさんがどこまでも「大人」を振りかざした嫌味な感じをちらつかせて悪辣。

 葬式として宇宙に遺品と共に流される昌弘の遺体。その遺体を見送るために、ヤマギの提案で作られた氷の花火が打ち上げられる。花火は鉄華団の命名と対照的に、儚く消え去ってしまう。

 「なんか、あっけねえな。生きてる時はギャーギャーやっても、下らねえことで笑って、やりあって……消えるときは一瞬だ」

 鼻をすするシノに、泣くことを勧める名瀬。

 「葬式ってのはなあ、生きてるやつに思いっきり泣くことを赦してくれる場でもあるんだ。だからよ、今日ぐらいは……」

 「嫌です。格好よかった仲間を見送るってときに、自分らがだせーのは嫌です!」

 生きている人間の救済の場であるはずの葬式に、死んだ仲間を想って泣いていたシノが逆に涙をこらえて流れに逆らう。

 この後、シノはヤマギに自分が死んだときは同じ花火を、と頼んで断られますが、本来の礼節などとあえて反抗的に接するシノの子供らしさというのも一つの味で、これが「馬鹿」だと言われても否定は決してされないというのは、本作の中で少し垣間見える救済の一つ。

 葬式が終わっても泣いている少年が「母ちゃん」と話したのを聞き、アトラは「抱っこしてあげる」と優しく迎え入れようとするが、少年はアトラには胸がないからとフミタンに向かっていってしまい、フミタンもやさしく抱きしめてやる。

 「でっけえおっぱいに埋もれて死にてえ」や、マクギリスの周囲の女性を意識するアルミリアのように、大人の女性を精神面でなく肉体的な成熟に求める子供たちは、そこに母を見出しているということが強調されていくのですが、これが効いてくるのが今回のクライマックス。

 その前に、各種売却手続きが終わった名瀬はアミダとの濃厚なキスを三日月たちに見せつける。人が死ぬと出生率が増えると冗談を交えつつ、隣の女がかわいく見えてキスしたくなるんだと話す名瀬。

 メリビットさんの隣で仏頂面のオルガが面白すぎます(笑)

 そして回収されたグシオンを売却せず、手元に残してほしいとオルガに話す昭弘。弟の最大の思い出が死の瞬間ならば、それをせめて背負って生きていきたいという昭弘は、転生の存在を認めつつも、救済は死ではなく、現在の幸福や不幸を背負って生きることにあるのだと示して一つ精神的な成長を見せてきました。

 そんなわけでガチムチ仕様ガンダム前々回の予想通り、昭弘機にされることに。

 ここまで重たく(物理的じゃない意味で)されるとは予想がつきませんでしたが(^^;

 三日月はクダルの言葉が忘れられず、平常な様子を見せつつも震えていた。それを見たクーデリアは、フミタンの言葉から三日月も表に出せない葛藤を抱えて生きているのだと考え、フミタンがやったように抱きしめる。それを受け止めた三日月は、クーデリアに唐突にキスをする。

 「かわいいと思ったから」

 名瀬の言葉を真に受けてキスした三日月は、震えが止まって何事もないかのように歩き出すのだった。

 良くも悪くも、恐ろしいクライマックス。

 ここまで三日月が考えることがなかった「かわいいと思った」をどう捉えるか、考察の余地あり。

 今回の三日月は理性で共有してはならない快楽を抑えつつも、実際にそれを理解して受け止めている自分がいる、という状態で、それが指先の震えという体調不良に表れています。

 三日月はこれまでお守りのブレスレットなど、家族に助けられる形でそういう葛藤や苦痛を避けてきましたが、今回は明らかにそうではありません。

 クーデリアが見せる母性による救済は全く通用せず、自分の体調不良を救ったのは何かと言うと、「対等な異性のクーデリア」へのキス。

 ここまで、男性からの女性の好意的な扱いとしては名瀬を除けば「母性を求める」(今回の少年やシノなど)か、「自分の立場を確立するための社交辞令」(「女を知った」ユージンやマクギリス)がほとんどでしたが、三日月の「かわいいと思った」はどちらでもありません。

 三日月はここで「対等な女性」としてクーデリアを見出すとともに、自分の救済を行う存在としての母性や父性を否定しました。

 常識的には狂気の果てに性欲に救いを求めるという歪みの発露ですが、ひょっとしたら純粋な愛の発現かもしれず、今後どう転がるか。

 そして三日月のキスの恐ろしいところは、自分から救いを求めてこうしたのでもなければ、クーデリアに祝福や幸福を与える目的も伴っていないところ。

 三日月は誰かに幸せを与えようとか祝福しようとかいう考えがさらっさらなく「自分が精一杯がんばったら家族がみんな幸せになってくれる」という考えで動いているため、愛を分け与えるという考えが成立していないし、何を以て自分の幸福とするか、それもおそらくわかっていないと思われます。

 一応「農園を作る」が夢として掲げられているのですが、それが本当の幸福か、そして自分の救済になるのか、それさえもわからない。

 そんな中で、人殺しを幸福として認識しつつも、それは理解してはならないし人に教えてはならないと良心で止めようとする自分がある。

 そんな自分に「本当の幸福」を教えてくれるのは誰か? となった時に、かつて「俺たちを幸せにしてくれるの?」と問いかけたら、肯定した女性。

 その女性から三日月がやったことは、救いや助けを求めるのではなく奪っていくというもので、一応クーデリアはまんざらでもないそぶりではあるものの、極めて悪辣と言えるでしょう。

 この行動が三日月にいかなる因果を及ぼすのか、果たして罪なのか。

 なんだか妙なところで考え込んでしまった私ですが、twitterで他の視聴者がアトラの心配をしていたところ、私はまるっきり心配しませんでした。

 自分、アトラ×マクギリス派ですから!(おい)

 むしろ、キスの対象がアトラだったりすると三日月に死亡フラグが立つので、回避して正解だと思います(笑)

 (今年『純潔のマリア』『星を追う子ども』を視聴したことにより、私の脳内で「金元寿子にキスをする=死」という公式が成り立ってしまっていますが、世迷言なので流してください)

 逆にクーデリアにバリバリの死亡フラグが建築中だと思われますが!

 そして三日月の歪みの一端である「自分が精いっぱい頑張ったから家族が幸せになってくれた」の代表格はアトラでして……あれ、もしかして、全ての元凶って……(待て)

 

 えー……長くなりすぎましたが。

 ひとまず1クール終わったところで個人的な印象をまとめると、鉄血世界は誰も彼も何らかの形での「救い」を求めているのですが、モラルの崩壊によってその「救い」には単純な善良さが通用してくれないので一筋縄ではいかない、というかなり捩じれた世界が展開されています。

 そこで「救いを求めつつ救済を与える側になろうとしている」のがオルガとマクギリスという感じで、そのキーワードとなるのがオルガは「家族」、マクギリスは「統治」。

 後半戦は、未だ直接交わる機会のないこの両者の戦いの行方に期待。

 他方、一番救済を求めていないと思われるのはアトラで、しかもこれは「もう救われていると思ってるから」なのが非常に怖いです。

 プロデューサーによるとアトラの生存能力が一番高いそうですが、それは「誰の救いも必要としない、というか開始時点で既に救済されているから」の予感がするのですけど、これやっぱり某チタンの肋骨の末裔なのではなかろうか(笑)

 金元寿子が世界を征服する日はいつだ?!(あれ?)

 と言うわけで思いのほか考察(ほぼ妄想)が膨らんでしまい、満足しすぎてかえって疲れてしまうほどの展開となった1クールの締めくくりでした。