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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

鉄血のオルフェンズ 21話感想

アニメ感想 鉄血のオルフェンズ 金元寿子

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の感想。

 襲い来るギャラルホルンへの対策を考えるため、オルガとともに蒔苗氏の下へ向かったビスケット。島からの脱出のために蒔苗氏の提示した仕事を受ける決意をするオルガに、ビスケットもなし崩し的な同意。脱出の船はクーデリアが手配することに。

 食事をとる鉄華団の中で、これから先のことにネガティブになるヤマギを励ますシノ、それに「邪魔な奴は全部潰す」と述べる三日月を心配するような眼で見るアトラ。

 この辺の三日月へ向けるアトラの表情について、前回も踏まえていくつか考えたのですが、どうもここにきて三日月とアトラとの間で死生観に決定的なズレが生まれたのではないかと思います。

 まず前回、三日月や鉄華団メンバーが魚を食べるのを拒絶した理由が問題になるのですが、単純に「死骸だから」ではないか。

 火星では新鮮な肉や魚を食べる習慣はないことが度々示唆されていますが(アトラも肉食を「なんかかわいそう」って言っていました)、そのために三日月やアトラは「物を食べる」と「命を奪う」が繋がってなかった、と。

 そこで火星椰子など植物食は命を奪うことにならないのか、という問題も出ますが、おそらく三日月たちは植物を命のある存在とは見ていません(見ていたとしても、椰子の実は木の本体が死ななければ得られるので「命を奪う」という実感につながりにくい)。

 またフミタンに対して、死後の彼女を「フミタンじゃない」と称したように、三日月には自分の魂や意識は肉体と分離される存在であり、死んだ後に意識が異次元に向かえばその後の肉体は単なる抜け殻なので、それを食べることで「死者の命を引き継ぐ」という概念すらも成り立ちません。

 で、そうなると三日月は食と命が結び付いてないから、「命を脅かすから殺す」が成り立っても「食うために殺す」が成り立たない。

 三日月にとっては死は汚れであり、異常な事態であり、故に自分は絶対に避けなければならないことなのだけど、だからこそ死んだ者の肉を食べることは汚れを取りこむことになる。

 昭弘が魚を「生臭い」としたのも、彼が感じたその臭いは命が奪われた肉の臭い=死臭、と解釈でき、三日月も同じように死の存在とその汚れを察したから魚に手を付けようとしなかった。

 そして、クーデリアに対して前々回「汚れた手」での握手を行った三日月は、クーデリアに魚を食べることを勧めないのですが、この辺りクーデリアには死の汚れを共有させまいと考えているのかと。

 今までの流れを考えたら、散々クーデリアから奪ったり傷付けたりしておきながら今更何言ってんだ、な感じなので、とことん恋する最低野郎って印象になりますが!(笑)

 (逆に、ここ数回ほどクーデリアの方から歩み寄ってきたので三日月から距離を取ろうとしてるかもしれませんが)

 「幸福も不幸も分かち合う」が「家族」の在り方として扱われている本作で、三日月はクーデリアに自分が知っている限りの不幸(汚れ)を味わわせまいとしているのですが、では同じ視点からアトラを見るとどうなるのかと言うと、アトラはいざ自分で料理して食べたらそこを簡単に吹っ切って、クーデリアに魚を味わう幸福の方を共有させようとしてきます。

 同じように「食べる」と「命を奪う」がつながっていなかったはずのアトラが、どうしてそこを飛び越えてこられたのか?

 それは、アトラが人の死に直接対面してないからではないか?

 眼の届くところで関わった人が死ぬことを見ず、自ら人を殺した経験もないアトラは、三日月たちが感じるような「死臭」を知らないから、魚の臭いを何とも感じない。

 臭いについてみると、ドルトコロニーでの買い物でアトラはクーデリアと共に三日月たちの体臭を気にしており、一方の三日月たちはそれに気づけていないというくだりがあったのですが、アトラが気にするのは「死の臭い」ではなく「生きている臭い」の方なのです、多分。

 そして、アトラは三日月に救われたから今の自分がある、という認識を抱えているので、これらを合わせたときに浮かび上がってくるのは、アトラにとっては「生きている」方が異常なこと/奇蹟である、ということ。

 この点で、三日月とは完全に「死」への意識が逆になっています。

 人の死に触れていないからこそ、却って死の方を絶対的なものと思っており、食べることで命を受け継いでいくということも受け入れ、そこに強く踏み込んでいける。

 そのために、そこに踏み込んでこれないのにも関わらず「邪魔をするなら潰す」ということには何らの疑問を抱かない三日月に距離ができてしまった。

 三日月にして見れば「どうして死体の汚らわしい肉なんか食べられるんだ?」で、

 アトラから見れば「どうして魚の命を頂けないのに人殺しは平気でできるの?」と。

 困った表情はそこから出てきたのだと思います。

 で、アトラがそちらに踏み込んでいったのはなぜかというと、「邪魔だから潰す(死は汚れである)」という概念から遠ざけられ続けていたためであり、それをしてきたのは他でもない三日月であるというのが皮肉な話。

 こう考えていくと、人が死ぬ前線に積極的に飛び込んで、すんなり人を射殺してきた三日月って実は「死」に対して全然向き合えていないのかも。そうなると椰子の実を命と認識しない事情も、また違った意味になります。

 まあ三日月が絶対的に間違っているのではなく、実際にどうしても解決できない争いは存在し、無条件で暴力を振るってくるもの、自らの命を脅かしてくるものは存在しているわけで、そこに立っていないからアトラは自らの「生」に向き合えていない、という話でもあります。

 自らの生を脅かす暴力に向かったとき、アトラはそれに銃を向けることができるのか?

 若干妄想が突っ込みすぎな気がします(というか基本、アトラに関しては中の人の補正が入りすぎて見ています)が、残り少ない話数でどこまで踏み込んでくれるか気になるところ。

 話を本筋に戻して、クーデリアが手配したのはチョコ影の支援!

 ……確かチョコ影さん、前回仮面外してガリガリ君と交信していたはずなんですけど、アレは地球上からの通信だと思っていたのですが(宇宙空間から通信してたらいくらなんでもバレると思います)、前回とのつながりはどうなっているんでしょうか(^^;

 こういうよくわからない繋ぎがあったりする(しかも大体、フォローされない)ので、本作は全体だと楽しめているのですけど、手放しに良作・傑作だと主張しにくいです。

 その後、島の見取り図を眺めるオルガに会うビスケットは、これからの話をしようとしたが状況から後回しにしようと拒まれる。

 「島を出たら話をしよう。俺たちのこれからのことを」

 というビスケットの返しの後、オルガは残ってほしいことを告げられなかったと悔やむのですが、ビスケットが「俺たち」と呼んでいる時点で返答は聞くまでもなく、そこに気づけていないオルガはなんだかんだリーダーシップありつつも対人関係不器用。

 まあ、どっちにしろ蒔苗氏の誘いに乗らなかったら地球を出る手段無いので、ビスケットが何言おうが通用しないのですが(^^;

 翌朝、やってきたカルタの軍勢に対抗する三日月たち。いきなり遠距離から艦隊めがけて射撃する昭弘を見て「戦いのセオリーも知らん」と悪態をつく艦長。

 この後降りてきたカルタの引き連れる外縁軌道統制統合MS隊が、整列して名乗りを上げている中に発砲する昭弘。

 名乗りの途中に撃たれるって、元寇の元軍ですか(笑)

 これは実戦で培ってきた戦法を知る鉄華団と実践を知らない型にこだわる戦いしかできないギャラルホルンとの対比と言うよりも、改めてカルタ様がエリート系ダメな人なことが強調されただけだと思うのですが(^^;

 こういうセオリーに則っていないアインくんがギャラルホルン腐敗の一側面でもあるので困ったところ。

 ところで、降りてくるときに盾を使って大気圏突破したみたいなのですが、バルバトスの大気圏突破術は実はこの世界のスタンダードだったのでしょうか。

 いかにも大張正己全開な戦闘シーンはグシオンリベイクの隠し機能(補助腕)などもあって結構な迫力。その一方で別動隊がクーデリアと蒔苗氏の身柄を拘束するため屋敷に向かってくるが、屋敷への橋を爆破してそれを撃破するオルガたち陸戦部隊。

 手配した船に移動するクーデリアたちの一方、オルガはビスケット操縦のモビルワーカーで三日月たちの戦場に向かうが、カルタに気づかれてしまい追撃される。ビスケットはオルガに手を離すよう告げ、彼を振り落としてカルタのモビルスーツの攻撃を受け、その残骸に押しつぶされる。

 怒りの形相を浮かべカルタを攻撃する三日月だが、生きようと手を伸ばすビスケットに、走り寄ってその手を取るオルガを見て、驚いたような表情。

 通信がないので三日月にはビスケットの声とオルガの叫びが聞こえているはずはないのですが、まるで「聞こえている」あるいは「感じている」ように見える不思議な反応。

 マクギリスが語るところの「阿頼耶識の秘密」が不明なので、推測にとどまるのですけど、これまでの三日月の反応を見るに阿頼耶識に隠されているのは単なる空間認識能力の増強ではなく、もっと超感覚的なもののように思われます。テレパシーとか、共感能力というか。

 推測が当たっていれば、三日月にはこの一連の会話が聞こえていておかしくないですが、もしかしたら三日月はそれ以上のもの……ビスケットを通じて「死」を疑似体験しているのかもしれません。

 これまで生きるために人を殺すことをためらわなかったがために、「死」に向き合ってこれなかった三日月が、ビスケットを通じて「死」の真実を知ったとなれば、以降の三日月は死生観が変わってしまう可能性があります。

 そのあたりも含め、次回がどう展開するか気になりますが、ところでエリート系ダメ人間カルタ様は、このまま三日月にぷっちり殺られてしまうのでしょうか……? ここの動揺の隙を突いて、逃げて生き延びそうな気もするのですが。カルタ様思い入れないけど、生きてくれた方が面白そう。