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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

鉄血のオルフェンズ 23話感想

アニメ感想 鉄血のオルフェンズ 金元寿子

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の感想。

 どうしよう、凄すぎてどんどん考えが膨らんでしまい、感想まとまる気がしない……(^^;

 とにかく各種の描写が複数の意味を持っていて、これまでの要素を徹底的に拾っていくのが強烈です。

 冒頭からカルタの話が展開され、マクギリスとの会話から回想に。

 回想カルタが言うにはマクギリスはかなり優秀で、読み書きもあっさり修得したとのことで、彼の出自がほのめかされると同時にここにきて露骨に三日月と重ねられていきます。

 「君は哀れみでも情けでもなく、私を平等に扱ってくれた。私の目に映る君はいつでも高潔だった。君に屈辱は似合わない。そのためにも、私にできることがあればさせてほしいんだ、カルタ」

 思えば、対等の立場になろうと握手を求めてきたクーデリアを跳ね除けた三日月ですが、それをカルタが行ってきたことに対するマクギリスの心中、セリフで「感謝」を述べても本心は見えてこないのが憎い。

 また、現状を考えるとマクギリスの言う「平等」はかなりドライに感じられるところ。今のマクギリスにはかなり虚無的な思考が見て取れるので、彼は人を平等に扱う人間ではあるのですが、その実態は「いかなる人間であろうといつか死が訪れるもので、出会う人間は全て生きている自分が認識している事象に過ぎない」というもののような。「平等」というか「平坦」で、そこに価値を見出しているように見えません。

 場面は移動中の鉄華団と蒔苗氏に。クーデリアの予定通り、支援者の協力を得つつ鉄道で移動する中、支援者は鉄華団の熱意に驚くが、それを弔い合戦だからと述べる面々。

 「うまい言葉があるものだな、弔い合戦とは。人はな、言い訳が欲しいものなのだ。あの子らが望んでいるのはただの破壊よ」

 今回の重要ワードとなるのはこの「言い訳」なのですが、「世の中の事象に意味はなく、起こったことに後から理屈をひねって乗せるだけ」というのは唯識阿頼耶識)論から見れば一つの真理と呼べるものであり、ひいては『鉄血』全体を通すテーマの一本が明確に言葉として表れた瞬間だと言えるでしょう。

 戦いの準備を進めていくオルガに対して、メリビットは「あなたはビスケットさんの死でおかしくなっている」と、考えを改めるよう説得しにかかるが、それを打ち砕くのが鉄華団の年少組で、彼らは全員「自分の意志で決めたつもりだ」と述べる。

 間違った道を歩んでしまったリーダーによって命がけの戦いに送り込まれる少年たちはCGS時代と同じ構図、次々と広まる同調圧力はブルワーズと同じ構図、とこれまで描写された破滅の構図が鉄華団に集約していくが誰も止められないという恐ろしい展開に。

 「分かるわ。でも……でもね、あなた達にはほんとはもっと多くの選択肢があるはずなの。この状況で見えなくなってるだけで……」

 と、一見正論を並べていくメリビットなのですが、ここで彼女は「選択肢はある」とだけいうものの「具体的にどんな道があるのか」は全く示すことができず、逆に「鉄華団はこんな選択をしてはいけない」という独善を押し付けるだけでしかない、というのが浮き彫りに。

 「選択肢」という言葉もあり、メリビットは明確にクランクと重ねられるように描写されてきて、上手くできすぎていて非常に悪趣味な作劇だなあと感じるところ(^^;

 またメリビットの立場を考えると、そもそもテイワズから会計その他の事務のために派遣されてきた身であり、鉄華団の運営に口出しできる立場ではなく、同列に立っているタービンズが判断をオルガに任せてそれに協力するだけとしている以上は彼女の行動もそれに準ずるべきなので、本来の職務を投げ捨てて余計なことを始めたという形にもなっており、とことんダメな大人化が進行していきます。

 正直申しまして、あまり好きなキャラではなかったメリビットですが、ここにきて個人的に株が大きく下がったというか、一見正しく見せかけているけど実態はロクデナシというのを明らかに狙ってやっているスタッフは、凄いと言えば凄いけど手放しに称賛したらダメな気がして、思いっきり心が震えています(笑)

 今度はガエリオに場面が移り、アインの意識が戻ったと聞いて喜ぶガエリオが見た者は、上半身だけとなってモビルスーツに埋め込まれ一体化状態となった彼の姿であり、そんな状況でガエリオに対する感謝を述べるアインにガエリオは表情を曇らせる……というショッキングな展開。

 えー、すみません、アインがメカっぽいエコーかかった音声で声を出した瞬間に笑ってしまいました(^^;

 いや、笑える内容ではないのですが、もはや十分予測できる惨状だったためにかえって笑いが浮かんでしまったという奇妙な状況になってしまい、非常にコメントに困る内容。

 「阿頼耶識」を考えると単なるビックリドッキリではなく、機能には「人間」が必要であることから作品設定からの理由づけは一応為されており、またバルバトスの発見時の状況などから本来のガンダムフレームと阿頼耶識の運用法を推察させる内容にもなっているというあたりがえげつない。

 「彼が望んだことだ。お前は上官として彼の望む最高の選択を与えることができたんだ」

 とマクギリスは落ち込むガエリオに言葉をかける。

 ホント意地悪いよ今回の脚本(涙)

 いうまでもなくここで「選択」という言葉を持ち出すのがメリビットと鉄華団の関係の対比であり、またアイン自身は何も選んでおらず、周囲がそうなるように勝手に流していっただけというのも鉄華団年少組に重なっていくのがエグい(加えてアインが思う「自分に希望と選択肢を与えてくれた人間」とは、現状メリビットと重ねられている「クランクのような人」である)。

 「今回の作戦が成功すれば、彼がギャラルホルンに残す功績は計り知れないだろう。たとえどのような姿になっても、この戦いによって彼は英雄となれる」

 「……ありがとう、わが友よ……」

 (ガエリオ、カルタ。君たちは良き友だった。その言葉に嘘はない)

 いくつも嘘を塗り固めていてどこに真意があるかわからないマクギリスなのですが、二人が友だった過去自体は肯定する、というのが一つ意味深。

 唯識の考えの上で全てが一瞬の偶然の連なりであるならば「過去」も存在しないはずですが、ここで過去を肯定するのはどこかで影響が出るでしょうか。

 鉄華団の現状から、自分が狂気に陥っているかもしれないことを三日月に相談するオルガだが、三日月はあの日のビスケットのことを告げる。ビスケットは「帰るときはみんなで」と答えたのだが、三日月が去った後でその言葉をかみしめ「もうどうやったって帰れねえじゃねえか」とつぶやくオルガであった。

 サブタイトルの「最後の嘘」の意味が一つ示されるのですが、ここで凶悪なのが、三日月がオルガにこれを話したのが、オルガを叩き起こして後戻りできなくさせてからというところで、前回から思いましたがやはり三日月はオルガを「使う」ようになってきているよなーと。

 情報を出す順番で人の動きをコントロールする手口がマクギリスのそれと同じで、これを三日月が考えてやっているのか直感でそうなっているだけなのか、わかりませんが秀逸であると同時に悪質。

 また三日月の主観によるものなので、そもそも回想シーン全てが真実とは限らず、特に「皆で帰る」の部分は回想のビスケットが少々考えていることもあって、ここは実は三日月のウソだったという疑惑が浮かびます。

 そんな鉄華団の前に、立ちふさがる赤マントのMS部隊。カルタは「正々堂々とした決闘」の上で鉄華団を葬り去ろうとする。

 「くっそー、せっかくいい夢見てたとこによ!」

 と悪態をつくシノですが、認識が世界の存在なら「夢」は異世界に飛ぶと解釈可能で、シノが何を見ていたのかが気になります。

 決闘の条件と、準備の時間を与えることを告げるカルタだが、突然発進するバルバトス!

 MS二体とパイロットをつぶす三日月の行動にメリビットは退くが、アトラは前かがみで見続け、鉄華団年少組もその戦いを見る。

 「私は戦いたかった……正々堂々と戦いたかった! そうでなければ私らしくない! 私はカルタ・イシューだ!」

 「あんたが誰だって、どうだっていい。あんたが敵だってことに変わりはないんだろ?」

 私は勝利するしかないの! 立場を失い、家の名に傷を付け……こんな惨めな私は、あいつの憧れていた私じゃないのよ!」

 ガエリオが三日月に叩きつけた「誇り」はカルタも示すのですが、カルタの持つ「誇り」が自分自身の存在というよりも「誰かの肯定」(特にマクギリス)によっているのがポイントで、この点がマクギリスとの意識の決定的なズレを生んだのだろうなと思います。

 マクギリスが唯識の考えの上で動いているという前提ですが、他人や万物の存在は自分の認識によって成り立つものであり、実態は全てが空、であれば「他者(空)から肯定されるものによる存在」はありえないはず。

 つまり、カルタの述べる「誇り」というのは実態は全くの空虚な存在。

 この「誰かが見ているから自分は格好つけなければならない」というのは、「他人から悪く言われたくないから自分は悪事をしない」と言い換えれば道徳的な話になりますが、そこに自らの全てを委ねてしまう(依存する)と空虚になってしまうという危うさを抱えた概念。

 この辺、カルタの存在はオルガとも重ねられているところで、オルガが三日月の眼に突き動かされて意思決定をしたようにカルタはマクギリスに、という形で、カルタの側からオルガの精神性の危うさを浮き彫りにしてきました。

 私個人の意識もありますが、やはり人間、己の根幹部分(アイデンティティ)を決めるのを他人に頼ってしまうとどうしようもなくダメになるよなあ、と某「イノセント」を思い出しながら考えてしまうのでした(笑)

 そしてそれは、自らの不幸を依存した相手に対する恨みと呪いと責任転嫁で誤魔化そうとする、つまり「言い訳」の温床でもあるわけでして。

 三日月の戦いを見据える年少組に対して、中に入るよう注意するメリビットだが、年少組は己の敵を見据えることを選び、メリビットは顔を覆う。

 本作における「眼の輝き」は子供の象徴であることが示唆されていますが、大人であるメリビットは自分の意志で真実から眼をそらすため顔を隠し、子供たちは三日月が何をするのかその真実を只管見つめようとするという展開で、その力と危険性について拾ってきました。

 で、メリビットはもう何を悲劇のヒロイン気取っているんだこの人、って感じです(笑)

 前回のアトラのビスケットの死への動揺も、あまりに月並みな反応なので下手すれば彼女へのヘイトが溜まりかねない描写なのですが、アトラの場合は徹底して他者への共感性が示されていたため納得できるように仕上がっていた(本当に納得しちゃっていいのか、疑問ですが)ところ、これがクーデリアやメリビットやラフタなら相当批判されたのだろうなあ……と思っていたらこれですよ!

 基本、メリビットはクランクと同じで「何も知らない、自分の意志に従わない戦いに少年が赴く必要はないし、そんな子供達を責任ある大人の自分が庇護してやらなければならない」って上から目線の考え方ですし、今回のテーマとか考えるとメリビットも言い訳が欲しいように見えてなりません。

 鉄華団が全滅したら「だから私は反対したんだ」って言うための準備中、とでも言いましょうか。

 むしろこの手の「自分が正しい」と信じて疑わない人間の危うさは「自分の正しさに従っていない人間の不幸を望む」という思考に陥りがちなことで、下手をするとメリビットは鉄華団に全滅してもらいたいとまで考えかねない……というのは邪推がすぎますが。

 まあメリビット最大の失敗は、葬式のことでオルガに対して「あなたがそう思っているだけ」という反論を持ち出してしまったこと、だと思います。一見正しく見えますが少数意見への考慮を持たず、そこで打ち切ってしまい先の言葉を用意しない詭弁になる言葉であって、現状のメリビットが主張する「正しさ」も鉄華団は誰も信じないのだから「あんたがそう思うだけ」と切り返したら無に帰るという。

 「殺さないとあんたはまた俺達を邪魔しに来るんだろ?」

 とカルタに問いかける三日月は、今回ことさらにこれを強調してくるのですが、これも「言い訳」のように感じます。

 魚食の拒絶に現れるように、三日月は基本「殺し」を楽しんでいないし、むしろ死は汚れとして避けなければならないと考えている。だからオルガやアトラにはそれをさせまいとするし、進んで自らが汚れを請け負いにいく。

 しかし、三日月としても「汚れ」を受けずに生きられるならその方がいい。

 だから、「殺さないとまた殺しにくる」と言い訳する。

 以前にもその限界が見えてきて、その時はクーデリアにキスすることで解消したのですが、今回はさらなる限界が近づいたのかもしれません。

 カルタがマクギリスに助けを乞う中、突如現れたMS――ガンダムキマリス・トルーパーがカルタのMSを連れ去っていく。三日月はオルガの言葉で追撃を諦め、鉄華団は進む決意を固め直す。

 クーデリアが「希望になる」ことを願って出来ることをしていく裏で、三日月は特に意識しないまま戦いに勝利してみせることで鉄華団の少年達が立ち上がるきっかけ(希望)になってしまう……という強烈なアンチテーゼ。

 そしてカルタに対する三日月の「勝利」がもたらしたものはなにかというと、「俺たち少年の力でもギャラルホルンに通用するんだ」という慢心と勘違いであって、これはドルトコロニーの労働者大規模デモが示した道筋そのもの、と既に述べた通りこれまで示された滅びの構図と重なることが改めて示されるという、とことん凶悪すぎる本作の構成。

 表面上はどう考えても狂気に染まった集団のバッドエンド直行コースなのですが、大枠で物語を見ると「神の力で世界を征服した結社に、自由を求める少年たちが、その神の力を得て立ち向かう」ってヒーローものの定番っぽく見えてしまうのが、とにかく闇が深いと言わざるを得ません。

 そんな同調圧力と、塗り固められる言い訳の中で、たった一人だけ全く違う決意を固めているのが一人、アトラ・ミクスタ

 ここにいる少年兵たちは皆、三日月の実力・戦闘能力に対する信頼(というよりほとんど信仰とか狂信)から決意を固めた人間なのですが、アトラだけは三日月の言動に「疑い」を持っている。

 前回、前々回とアトラは三日月の殺しに対する姿勢への不安を浮かべていたのですが、その上で三日月がいかなる戦いに挑んでいるか、これから何をしていくのかを自分の眼ではっきり確認し、今まで自分が信じてきた三日月との絆(ブレスレット)を再確認してからの決意。

 三日月だけでなく、己のこれまでも疑問に思った末での決意、そこには一切の言い訳を用意していません。

 クーデリアは考えの甘さを劇中何度も指摘し、メリビットが抱える正しさが胡散臭くなる一方、アトラに限っては徹底的に「正しい」ことを貫こうとする意識が見て取れるのですが、これは正直、スタッフの意図は理解できるものの危ないところでもあるように思います。

 本作での「正しさ」がどこにあるのか考えたときに、劇中の人間は「正しい」と思う行動を取っていないか、あるいは抱えている「正しさ」と相反する要素があってその部分で批判されたりしていて、全宇宙に通用させられる人がいません。たとえ正しくても、それは「あなたがそう思っているだけ」で、相対的なものでしかないわけでして。

 そう考えると、ここで凡百の作品にありがちなのが「この戦い(世界)に正義はない」ってところに落としてしまうことなのですが(もちろんそれで成功した作品もあるが)、本作においてはアトラだけは露骨に「絶対に間違っていない」前提で進んでいます。

 劇中の主義や主張には大体が批判されたり反証あったりするのですが、アトラに限っては全くそういうのを向けるキャラがいません。

 しかしながら、既に述べたようにサヴァランの自殺にはアトラが関与している部分が決して小さくはなく、ビスケットとオルガの確執はそこから現れたもので、かつそれがなければオルガが道を読み誤るほどのダメージを受けることもなかったかもしれない、と考えると鉄華団を壊そうとしているのはアトラが通した「正しさ」である、とも言えるわけです。

 しかし、劇中人物はそのことを批判するどころか、決して気づきもしない。

 デザイン面や声優チョイスなど、インタビューで『ガンダム』原作者の富野監督が嫌う要素をあえて選択していると取れることもあり、アトラに関してはメタ的な視点から批判されることを前提に置いたキャラのような気もしてきました。

 彼女を疑い尽くした時に、最後に「正しさ」は残るのか?  果たしてそれは、本当に「正しい」のか?

 現状、アトラの行動に疑いを抱くのはアトラ本人だけ、という図をどう広げて決着させるのか。

 一方、ガエリオは救い出したカルタにはマクギリスが助けに来たのだと勘違いされており、哀しい顔で自らをマクギリスだと偽り続ける。それを信じたカルタは、涙を流しながら感謝し、眼の光を失うのであった。

 細かく描写はしませんが、地球降下の時の態度や過去の回想からなんとなく想像ついたところで、やはりガエリオはカルタに思いを寄せていた、というのが明確に。

 「最後の嘘」がここで集約され、サブタイトルを回収しきるとともに、ガエリオのキャラの立ち位置がここにきてようやく明確に見えてきました。

 己の誇りを強く示すガエリオは、誰からも見てもらえていない。

 人から全て奪ったときに何が残るのか? が『鉄血』の裏テーマだと思うのですが(故にアトラの「疑い尽くしてからの決意」もそれに従う行動)、その答えの候補のひとつが「名前」で、これもまた劇中で何度も示された要素でした(三日月は己の名の由来を地球で見て、マクギリスは「モンタークが本当の名」と表の名前を避けて、ガエリオは三日月との会話で己の名前に拘っている)。

 では、ガエリオの名前はどういう扱いを受けたのか?

 ギャラルホルン内部では「ボードウィン家」と家柄でしか見られず、三日月は名前を間違えた上で「どうせすぐ消える名」と言い放ち、カルタにはどれだけ思いを寄せても全然認識してもらえない。

 これまでガエリオをきちんと「ガエリオ」と呼んだのはマクギリスだけですが、過去の彼はまだしも今のマクギリスにはカルタもガエリオも世界の動きのひとつでしかないためもはやガエリオ個人には向き合わない。

 そこで今回アインがガエリオの名を呼んだのですが、ガエリオが嫌悪する機械の身体という皮肉。

 そんなガエリオは自分の存在を強く示そうとするが、実際に人を救えたのはどういう時だったのか。

 ガエリオに救われたと認識しているアインですが、ガエリオが火星人と機械の肉体に対する差別感情を抱く人間であることを知らず、クランクと同様の「優れた大人」だと思っており、彼の実態を正確に把握できていません。

 カルタについては、本当はマクギリスに助けてもらい慰めてもらうことこそ彼女の最大の救いだったのに、実際に助けに来たのはガエリオであり、ガエリオは自らをマクギリスと偽ることで彼女を死の間際に救いだした。

 ガエリオが「人を救えている時」はつまり、己の誇りや信条を歪めた時でしかない。

 例え彼らがガエリオの名を残しても、その実態は現実に生きたガエリオと全くの別物であるし、数百年たてば忘れられてしまうのだろう、ということがガエリオには残酷な話。

 「「正しさ」が存在しても通用しない世界」として一貫される『鉄血』ですが、ガエリオのキャラクターが見事にそこにはまってきました。

 ここまであまり好きではなかったガエリオが、作品世界にようやくカチッとはまって一気に面白くなるという鮮やかな展開に。

 カルタはここで死亡。せっかく強引に引っ張ったのにここで死んでしまうというのは寂しくもあるキャラなのですが、単なる踏み台や一発ネタではなく、彼女の存在で鉄華団メンバーとマクギリスとガエリオとが抱えているものを一気に浮き彫りにしてきたという重要人物になりました。

 本人的には救われてますし、正直、ここまで面白くなるとは思わなんだ(笑)

 そして鉄華団は雪原を抜け、いよいよ目的地に着いたところで、次回に続く。

 いや本当、濃密でした。