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魔法つかいプリキュア! 第7話感想

『魔法つかいプリキュア!』の感想。

 冒頭、人魚の存在に補習生徒全員が驚くという展開でますます魔法界の「常識」がわからなくなる私。

 先生のセリフとか人魚の子供たちとかを見るに、長いこと人間との交流がごく一部に限られているために知らない人も多い、という話かもしれませんが、そうなるとみらいの驚きと他の生徒の驚きはまるっきり違うものであるはずでは。

 その辺例えば、実技はダメだけど筆記得意なガリ勉設定のリコが「伝説では聞いていたけれど、実物は初めて見た」とか補完すればリコの設定も生かしつつ話に馴染ませることができたと思うのですが、全体としてこの後の展開が異世界(魔法界)から別の異世界(人魚の海)にやってきましたみたいになってしまっており、却って世界観設定の粗を露呈してしまうことになって、これはちょっとまずかったよなあと。

 そういう世界観の面で今回面白かったのは、海中でサンゴの木の実にストロー突き刺して中身を飲む、という独自の食文化が出てきたことですが(本当はこういうの、魔法界の地上で見せてほしい)、上のようにこの海そのものが魔法界から見ても異世界だし、その食べ方に困っているのは魔法界側のリコなので、「みらいにとっての異次元文化」で片付かなくて「みらいにとっての異次元にとっての異次元文化」になってしまい、主題である「好奇心」からはかなり距離が遠くなってしまいました。

 人魚の先生が課す補習は、発声練習! 声は人の心を伝える手段、故に声を上手く出せてこその魔法なのだ! と、声をかけることで貝の口を開けてみろという試練に。

 四苦八苦するリコはサンゴの実をジュースにしようと魔法を使ったら、間違えて花火にしてしまい、それを見て集まってきた人魚の子供たちと交流。

 違う世界のみらいとリコが友達になれたことを軸に、恐れていないでもっと違う世界を見てみること、その好奇心は大切なんだ……

 と、ここの会話で今までの要素をきちんと拾いつつテーマをまとめてきたのは良かったと思いたいのですが、前回でこの世界は「運命」に支配され切っていて、リコもみらいも気づいてないだけでそれに踊らされているのでは、という疑惑が浮かんでしまっているので、どうにも素直に受け止めがたい(^^;

 いくら好奇心を抱こうが何だろうが、行ける範囲も素敵な出会いも、最初から全て杖の木に定められてしまっているのでは……などと考えると、虚しくなってきます。改めて、前回は大事故。

 この「人生の全ては最初から運命に決められている」というの、個人的な好き嫌いだとあまり受け入れたくない設定で、そこに「知ったところでそれに向き合う(黙って疑問を持たず受け入れる、ではない)ことを考えない」とか「全く変えてないのに頑張って変えました、って様を装う」というのが重なってくると、非常に厳しい。

 これは少女漫画的ロマンチズムの定番と言えるものではありますが、目の前の困難を己の力を駆使することで打破していくヒーロー番組のスタイルとは、基本的に相性が悪い。

 そこのところ『プリキュア』シリーズは格闘戦での敵の撃破がメインに組み込まれているので、どうしても避けて通ることができないのですが、今のところ本作はそこの食い合わせの悪さに対して真剣に考えているようには思えません。

 それを両立させるような作品を作れてしまうなら、それはとてもすごいと思うのですが(そういう点で考えると、特撮ヒーローでそれを描いてきた小林靖子の手腕には改めて感服)、本作のスタッフ(特に脚本陣)はそういう作劇に取り組んできた方々とは思えず、前回のリコのように一足跳びで無茶をしているために上手く転がせていないような雰囲気さえ覚えてしまいます。

 ちなみに、そういうロマンチズムを徹底的に排除し、ヒーロー番組としてのリアリズムを徹底的に貫くことで完成させたのが前作『Go!プリンセスプリキュア』で、故に私は傑作だと思いつつも、女児向けという観点では何かおかしいと言われてしまうと反論できません(^^;

 人魚の子供たちに宝物を見せてもらうため、案内されたリコとみらいが見たのは閉ざされた大きな貝。昔は人魚も空を泳いでいたが、空を泳ぐのをやめたころから貝も口を閉ざしてしまったという。

 えー、人魚が空を飛んでいたという話にびっくりしているのですが、君たちはホウキで空を飛んでましたよね?

 そこに誰もツッコミを入れないのですが、相変わらず本作の「常識」「驚き」の基準が不明瞭だ……。

 「人魚の心に光戻りしとき、再び輝きの人魚現れ、我らを広き世界へと導く」

 というのが、貝が安置されている台座に書かれている文章らしく、リコが解読。やっと勉強家設定が役に立ったところなのか、それともこの世界の人は読めて当たり前なのか、それもよくわかりません。

 それはそれとして、文面から、過去に人魚の「心の光」が失われる何かが起きたことが読み取れ、それと同時期に人魚が空を泳がなくなったこと、人魚の子供たちの地上への畏怖、地上とはほぼ断絶状態であること、これらをつなげていくと凄まじく血なまぐさい気配が漂っていて、怖いのですが。

 魔法界のディストピア疑惑が、ますます強化されちゃいましたよ?!

 BGMも神妙だし、このシーン、ムチャクチャ怖い!

 色々グダグダなので、スタッフがどこまで本作の世界観を計算して考えているのかよくわかりませんが、こういうところを無駄に怖くしてどうするんだと言いたい(^^;

 「考えるより行動」が第一の世界観で、考えると暗い事情が出てくるという設計なのは、やはり「負の側面を見据えない」という印象になりがちで、特に考えないで話を作ったらそうなってしまったとなると注意不足だし、前提を覆すつもりがないのに故意でそれをしたというのであれば、あまりに悪質です。

 そんな折に、占いでリンクルストーンの場所わかったからと攻めてきたガメッツ、今度は貝とワカメのヨクバールで攻撃!

 ガメッツは一応「武人」ということでか、ヨクバールの上に乗ったまま戦うスタイルで行くようなのですが、それが特別な変化をもたらすわけではないし、街を平気で破壊するしで、これまたイマイチうまくかみ合ってないのだよなあ……。

 「プリキュアのついでだ。この里の何もかも吹き飛ばしてしまえば、おのずとリンクルストーンのありかもわかるはず」

 という台詞に、多少は疑問を持っていただきたい(^^;

 モフルンが(その身を案じた人魚たちに)拘束されているために変身できず、それぞれ吹き飛ばされる二人だが、リコはガメッツに啖呵を切り続け、さらに攻撃を受ける中かいくぐってみらい到着。

 手をつないでからの「二人なら、怖くない」という叫びに貝が開いて、海の中に光が集まる。そしてリンクルストーン・サファイア出現!

 またもう一つ厄介なのが、このリンクルストーン出現とパワーアップ展開をやるためにモフルンを拘束して変身を妨害させるという無茶な展開を作らざるを得なかったこと。速攻で脱出するので、そこの必然性が「パワーアップ前の変身を妨害するため」でしかなく、とても雑。

 変身の都度思いますが、やはり変身後にフォームチェンジ不可能という設計では、どうやっても無理が生じてしまいます。加えて変身前に特性を把握しておいてフォームを選ぶという戦略性も未だありませんし。

 で、サファイアは空飛ぶ戦士なのですが、だから君たち、ホウキで空を飛んでましたよね?

 ヨクバールの形状などからも空を飛ぶ必要が見えてこないし、特徴たる部分が大したことないように見えてしまうというのは、根本的欠陥だと思うのですが。

 撃退後、人魚の先生からはリンクルストーンを持つように言われる二人。

 「ええ、このサファイアは、あなた方が持つ運命なのよ」

 ……それは、もはや呪いの言葉だと思います。

 途中のみらいが人魚少女に好奇心を教えるところなどは良かったのですが、「手をつなぐ」と「声で伝える」という二つの要素を強引に合体させようとした結果、主題が思いっきり迷子になってしまった上に、結局補習の成功が順序立てた努力ではなくとっさの行動と感性に委ねられる形になってしまい、色々脱力。

 一応今回の締めで、他の生徒が個別に努力して貝を開けさせようとするようには持っていくのですが……今回脚本の伊藤睦美さん、前作だとやりすぎてかえって危ないぐらいに「努力」を重視する話を展開していたように思うのだけどなあ。