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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

魔法つかいプリキュア! 第8話感想

『魔法つかいプリキュア!』の感想。

 冒頭、ペガサスにみらいだけが驚いて他の生徒は普通の反応、という描写でやっとまともに見たい反応が見れましたよ!

 ……ぐらいしか、今回は良かったと思える部分がありません(^^;

 ホウキで空を飛んでペガサスを追いかけ魔法のペンで一緒の写真を描いてもらうという補習、みらいたちは先生の「信じればできる」という言葉を胸に飛び出していく。

 ここでみらいがその「信じればできる」ことを素直に受け入れ、実行してしまうのが大きな問題です。

 まず「努力と根性」を推していくキャラとして設定されたはずのリコではなくみらいがそれを言ってしまうというズレが引っかかるところですが(改めて本作のシナリオ会議、どこまで設定を共有していたのだろうか)、それ以前にみらいが魔法を使えるのは努力したからではないわけです。

 本来、ナシマホウ界に住んでいるみらいはそのままでは魔法を扱える人間ではなく、今魔法が使えるのは魔法界に来た時に杖の木から杖をもらったためであり、さらにその杖が貰えるのは普通は生まれたとき限定である、というのがこれまで出された設定でした。

 みらいはその2点において、完全にイレギュラーな存在であるのですが、そのイレギュラーにみらい自身の意識や計らいが一切関わっていません。杖の木が彼女に杖を渡したのも彼女の努力などを評価したのではなく、一方的に与えただけです。

 それでは、テレビの前の視聴者は努力して信じていれば『キュアップ・ラパパ!』の呪文で、自由に魔法が使えるようになるのでしょうか?

 そんなわけがない。

 いうまでもなく視聴者は魔法界に行って本物の杖をもらってこれない以上、いくら努力したところでみらいのような魔法が使える人間には絶対になりえない。

 本作世界で「信じればできる」のは「運命が選んでくれていれば」という前提条件が付いているのです。

 みらいは一見、普遍的な理屈で努力と信じることの意義を肯定しているのですが、実際に本作がここまでそういう普遍的な努力が実を結んだ瞬間を描写してこなかったことが完全にアダになっており、全く説得力を生んでいません。

 その点、対するリコは努力と根性で力を身に着けてきたんだということが描写されていればいいのですが、むしろリコの方までも生まれから才能が約束されており、努力の方が全く肯定されないという内容で展開されてしまったので、全く対立しておらず、むしろみらいの正当性を補強し何ら疑いの余地を用意しない形になってしまっています。

 二人から眼を外せば、前回の補習はこの二人以外の生徒が普通に努力と根性で突破したと見られることと、今回の内容ではエミリーが高所恐怖症でホウキを扱えなかったところからみらいたちを見て克服し合格した、という話になっているのですが、その具体的な行動を全く見せずみらい&リコの閉ざされた関係ばかりを集中的に見せているため、まるっきりバランスがとれていません。

 その上で今回、その後ペガサスの子供が怪我をしているのを発見し、モフルンが甘いにおいを感じてその方角に向かえば生き物の傷をいやす効果を持つ花があり、それでペガサスが回復、さらに襲ってきたスパルダにその子ペガサスの母がヨクバール化させられてしまうが、現れた新しいリンクルストーンの効果でペガサスの意識を取り戻させることができた……と、あらゆる事象にみらいとリコの意志が介在せず、トントン拍子で上手い方向にばかり転がっていきます。

 何も疑問を抱かず、ただ発生している現象に身をゆだねていたらなんだかうまくいきました、という話を見せて一体何を描きたいのでしょうか?

 そんなに、努力が嫌いか?!

 全てが運命であらかじめ決まっているにしても、そこに何ら疑いを持たず踊らされているだけでは機械と変わらないと思うのですが、みらいもリコも全然そこに疑問を抱く気配がありません。

 今回の去り際にスパルダは、心を取り戻してヨクバールから戻ってしまったペガサスに「やっぱり命があるのはダメだ」と吐き捨てるのですが、運命にただ流されている二人への嫌味かとさえ思います(^^;

 (悪役のセリフではあるのですが、ペガサスに「命がある」のに花の方には「命がない」という区別の仕方も気になるところ)

 そして二人、終わった時に心配するのは「補習が終わると離れ離れになること」……

 君たちは、今自分たちが戦っているという自覚がないのか?

 ここまで何度も命を狙われ、街を破壊されたことに怒りまでしたのに、そこに対して何も考えることがなく、自分たちの閉ざされた関係だけ話にしちゃうのはどうしたものか。

 ……んー、突然なってしまったヒーローの運命のところだけ無視して、出会いのポジティブな運命だけ肯定して、いずれ戦わなければならないってところを放置した上でその出会いと関係の崩壊だけ気に掛けるって流れ、何かを思い出す構図だと思えば『美少女戦士セーラームーンcrystal』の第1期……。

 今回脚本の坪田文さんはシリーズ初参加、経歴を見るにこれまでにヒーロー番組の系統を手がけたことがないみたいでそのポイントを掴めていないという気配があるのですが、それにしたって今回はひどかったとしか言いようがないです(^^;

 次回、最後の補習。