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魔法つかいプリキュア! 第17話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 今日もまた、窓ふきを魔法でやってしまおうとする安定のダメっぷりなみらいは、掃除の最中に出てきたアルバムで若き日の祖母の姿を見る。おばあちゃんの思い出の人を探したいみらいは、水晶玉にその人の場所を占ってもらおうとする。

 すると、タイミング悪く校長先生が出てきて通信することに。スパルダの語る「ドクロクシーの闇」について聞いた校長は、ひとり呟く。

 「おそらくは、古に禁じられた危険な魔法、そして、それをよみがえらせるほどの力を持つもの……だが、そやつは……」

 「校長先生?」

 「いや、何でもない」

 言 わ ん か い

 注意喚起はするものの、現状彼女たち二人は単なるリンクルストーン探しではなく毎週戦闘を繰り返す死地に立っている状況だということを、このヒトは本当に理解しているのか?!

 確定しないことを不用意に話して混乱させるのは得策ではないとかそういう配慮があるかもしれませんが、基本、フィクションでこういう情報の隠し方をするのはロクなことにならないパターンですし、これまでの校長先生のダメっぷりからして到底そんな配慮を二人に配るようなヒトとは思えません。

 あるいは全て校長の個人的な因縁に纏わる事件が世界全体の問題に、というかの青い邪神と同じパターンかもしれませんが(^^;

 水晶と共に外出するみらい&リコは、煎餅屋を探す人を案内するとおばあちゃんと遭遇するが、その人は思い出の人ではないものの店のものは当時から買っていた煎餅だという話を知る。

 もう堂々と街中で使うのは突っ込むのも面倒な領域ですが、それはさておきここまで出番のなかった水晶は箱もの商品として売り出しているはずなのに役に立たなすぎるのでけど、これ見て水晶欲しい人が出るのかなあ……対象年齢層の感性は流石に私にはわかりませんが(^^;

 場面が変わって校長先生とアイザック先生の会話から、校長先生は魔法封印状態であるけど魔法アイテムは使うということ、何度かナシマホウ界に行ったことがあるということが判明。今回後半の布石としては露骨すぎますが、校長先生が戦闘関連で役立たずだった理由は「魔法が使えないから」で一応補完。

 で、スパルダが散って残された幹部二人だが、バッティはドクロクシーが本当に存在するのか疑い始め、ガメッツはそんなの関係なく主君に従うまで、と会話。バッティが疑念を持ち出すのは唐突ながら、一人減ったことからシンプルに幹部が対立する意見を掲げるようになると持ってきて、敵の描写が初めて面白いと思える内容に。

 ……色々と、建て直し作業が露骨です(笑)

 再び占うみらいとリコだが、今度は絵画教室の先生でハズレ。しかしその場所はまさに思い出の公園で、絵画教室終了後におばあちゃんは一度だけ魔法使いを見たことがあり、思い出の人はまさにその魔法使いなのだと話す。そこで木に登って降りられなくなった猫を発見した二人は、魔法をかけたローブで姿を透明にしてホウキで飛んで助けるが、ローブが脱げて姿を見られてしまう。おばあちゃんはその姿を見て、昔見た魔法使いを思い出す。

 思い出の魔法使いの正体――校長先生はもう予想通りもいいところだったのですが、これにともないおばあちゃんが魔法界とは直接関係ない人間であることがほぼ確実となり、それによってみらいの魔法界留学を容認した件がただの危ない行動だったことになりました。

 みらいが自分で考えて選んだことなら協力する、と言えば格好は付きますが、実態は見ず知らずの異国に一人飛び出した10代前半の孫娘を放置したも同然であり、第3話冒頭のヤバそうな雰囲気が本当にヤバいものだったという戦慄の展開。

 えー、あの、例えば私に「どんなことを話しても信じて味方をしてくれる」と絶対の信頼を置いている親戚の女の子(14歳)がいたとして、その子が突然「M78星雲で1週間修業してきます」なんて電話してきたなら、例え私が過去に本物のウルトラマンと面識があったとしてもちょっと待てということになると思うのですけど、普通だったら。

 まあ、この作品世界の倫理では育児の基本方針は放置なので仕方がない。

 そして、校長先生が魔法を封印している理由は今回だけで考えるならおばあちゃんに魔法を見られたために杖を没収されたと見るのが筋なのですが、魔法は封印されていても校長先生はできるし魔法アイテムは自分の魔法じゃないから使用OK! という話なので、ザル法すぎるぞ杖没収ルール。

 また、アイザック先生の発言から見るに杖没収の権限は校長先生にあるっぽいのですが、何度も書いたように本作の魔法の杖は人によって特有の代替の効かないもので、個性の具現化したものである以上、その没収は明らかに退学以上の罰としか考えられず、これが校則であるなら完全に校長は腐れ外道。

 魔法の杖の扱いが回によっていい加減すぎるため、ますます設定が混乱することに。

 おばあちゃんと別れた後に公園から飛んできた蝶をはーちゃんが捕まえると、それが大地のリンクルストーン・ガーネットに。水晶玉曰く「この公園に刻まれたたくさんの思い出がリンクルストーンに」という、いいこと言ってるように見せてこの話としては微妙に噛み合ってない適当な台詞が安定の『まほプリ』クオリティ。

 「フフフ……次は敗北の思い出をこの地に刻むがいい」

 水晶のセリフに対応させて、無駄に格好つけながら現れるガメッツ(笑)

 リンクルスマホンを奪おうと花と煎餅でヨクバールを作って襲い掛かるガメッツ。トパーズに変わったプリキュアははーちゃんを庇いながら戦うが、捕まって頭の花に取り込まれてしまう。

 「きれいな花をこんな風に!」

 怒るの、そこなんだ(^^;

 「きれいだと?! くだらん。全ては己の力の糧となる、ただの道具に過ぎん!

 「道具?!」

 ガメッツ、これまでのプリキュアの各種活動の非常に痛いところを突く(笑)

 「そうだ、美しさなど必要ない。この世は強さが全てなのだ! 闇の魔法は何よりも強い。世界は我らに従い、闇に飲まれるべきなのだ!」

 今一つわからない幹部の行動指針ですが、ガメッツはシンプルに力が絶対→闇の魔法は何よりも強い(と自分が信じている)→だから自分はドクロクシーに従うし、世界の全てがそれに飲まれるべき、とスパルダよりは筋が通る論理展開を見せていて、妙な安心感が漂います(笑)

 「魔法は人を従わせる力じゃない! 魔法の力は、みんなを幸せにできるんだから!」

 「ミラクル……そうよ、ミラクルも、この世界の人たちとの出会いも、魔法があったから!」

 ……えー……ガメッツがそれなりに筋の通った理屈を展開したところで……すみません、プリキュア達の言葉が全く反論として成り立っていないのですが。

 このガメッツの主張に対して反論するべきポイントは「全ては己の力の糧となるただの道具に過ぎない」と「この世は強さが全て」というところなのですが、プリキュア達はその二点について一文字も返さないまま、ただ「魔法は人を幸せにする素敵な力」「人々の出会いは魔法のおかげ」という無関係な言葉だけをぶつけて勝った気分になっているという、大惨事。

 いやまあ、ここまでの内容を考えると、特にナシマホウ界に帰ってきてから二人が魔法のことを「暮らしをちょっと楽にする便利ツール」みたいな扱いをしてきたことは事実としか言いようがない上、今回仮にも善側のリーダー格に当たる校長先生が「自分の魔法は使わないけど、アイテムは使う」ことで誰よりも一番魔法を道具扱いしているため、プリキュアが「魔法は道具じゃない」と言っても説得力皆無ではありますが、ここまで完璧にスルーされるとは思いませんでした。

 せめて「己の力の糧にするとは、人や花を踏みにじり道具扱いすることじゃない」と返せるならまだ違うのですが、そうですらなくただひたすら「魔法はすごい」と言い張っているだけというのが、酷い。

 魔法界編から繰り返されてきた本作の運命至上主義が、人の子の運命を選んでいるのは杖の木ではないかという疑惑を孕んだまま、ここにきて運命=魔法の力であることが事実上セリフで肯定されてしまいプリキュア二人のカルト臭が恐ろしいほどに増大。

 また散々「魔法は人を幸せにする力」と述べながら、ドクロクシーの闇魔法について「それで人を幸せにする方法だって考えられるはず」という説得をガメッツにぶつけることも全くなくて、闇魔法は闇魔法でプリキュアや魔法界の魔法とは別物扱いで排除しようとしており(故にヨクバールを容赦なく撃破できる)、汚いものはカットしていく方針が滲み出ていて杖の木ディストピアの戦士としては間違いなく成長しているのですが、怖すぎる。

 ヨクバールは倒したが、はーちゃんが落としたガーネットを拾ってガメッツは逃走。魔法界の最果て島で決闘と挑戦してくる。はーちゃんは自分のせいでガーネットを奪われたことをひたすら謝り続けるのであった。

 このはーちゃんに対してプリキュアが取る行動が何かと言うと、叱るのでも許すのでもなくて、泣き疲れて寝るまで黙ったまま立ち尽くすだけというどうしようもない展開に、さらに唖然。

 えー、あー、まあ、この作品世界の倫理では育児の基本方針は放置なので仕方がない……!

 ……ずっと本作の「大人」の描き方に疑念を抱いている私ですが、ここ数話はーちゃん絡みでますます本作スタッフが見せてくる育児観について疑問符ばかりが浮かんで仕方がありません。

 前々回の感想でも書きましたが、はーちゃんはその年齢からすれば意思能力を確立しているとは言えず、責任を追及できるような存在ではないことは明白です。

 そんなはーちゃんを、どうしてプリキュア達よりも先に謝らせるのか。

 そして、どうしてプリキュア達はそれをフォローしようとする意志さえ持ち合わせていないのか。

 プリキュア達も親や大人として未熟だから、という言い訳もありましょうが、「はーちゃんを先に謝らせる」という失態がたった2話前の出来事な上に、その2話前で一応謝罪と許しを見せたプリキュア達は今回一言も発しないという形で対応がむしろ悪化しており、これを「その人物の未熟さの表現」として見せるにはあまりにも稚拙すぎます。

 はーちゃんが謝ることで「はーちゃんは悪いことをしたら素直に謝ることができる良い子なんだ」と見せたいのだとしたら、その「素直に謝った」ことへの評価なども劇中に入れなければなりませんが、それさえない。

 正直申して、「はーちゃんが謝る」という行動に乗っているのは「問題の一番の責任者であるはーちゃんを視聴者が許せるようにする」という意志としか汲み取れず、それは裏返せば「全責任ははーちゃんにあり、プリキュアの監督もガメッツの悪事も関係なくはーちゃんの自己責任」というもので、要は「子供(はーちゃん)を盾にして大人(プリキュア)が責任逃れをした」でしかありません。

 子供向け番組だからどうとかいうレベルを通り越して明らかに異常な展開で、ハッキリ言って、今回の内容は呆れるとか怒るとか通り越して、本気で引きました。

 エンドカードでは一応「だいじょうぶだよ とりかえそう」とはーちゃんを励ましているのですが、本編でこれが入らない時点でアウトだし、焼け石に水。

 前作から引き続き参加かつシリーズ経験そこそこある伊藤睦美さんの脚本に、前作結構印象深い回の演出が多かった暮田公平さんのコンテ・演出なのですが、二人とも総じて本作では冴えなくて、何が起きているのでしょうか。

 次回、再び魔法界へ。