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ぼんやりと特撮・アニメなど

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魔法つかいプリキュア! 第18話感想

アニメ感想 魔法つかいプリキュア

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 点数付けるなら、100点満点で2点。

 酷かった。

 シリーズ全体の流れとしても、単品で見ても、酷い内容だった。

 何がどう酷いか徹底的に分析して、ダメ脚本・ダメ演出の実例としてシナリオ講座の教材に使えるのではないかと言うレベル。

 前回からの続き(真っ先にはーちゃんを励ますのがモフルンというあたり、嫌な部分の一貫性はあります)で、ガメッツから送られてきた挑戦状を受けて魔法界の最果て島へと向かうことになったみらいたち。

 出発する二人に「気をつけるのよ」と意味深に言うおばあちゃんですが、前回時点で基本的に何もないことが判明している以上、ここを意味ありげに見せても何も感じないのですが、何故映像の割り方が「わかっている人が見守っている」みたいなのか、本当よくわかりません。

 ガメッツはドクロクシーへの勝手を詫びる置手紙を残していき、それを見たヤモーは「まさか、あの力を」と言いますが、言うまでもなくそういう「あの力」についての裏付けとか土台とかこれまでに全く用意されていないために、虚空を切る発言に。

 現状の設定で「あの力」を想像するとスパルダの合体事故しか浮かばないので、盛り上がりようがないのですが。

 魔法界では校長先生が占い中。

 「探し物は難しいものほど、大変な力を使います。しかも、今回の相手は強大な……」

 「いや、みらいくんとリコくん、二人の生徒が頑張っている。わしが休むわけにはいかん」

 今更ながら大人の矜持を見せにかかる校長先生ですが、前回「魔法は封印してるけど自分の力じゃないからアイテムは使う」と言っておきながら、今回水晶の言動から察するに明らかに自分の力で魔法を使っており、穴を埋めようとすると別の穴が開いていくこの悪循環。

 ここ数話、これまでの設定の問題点を補修しようとする意識は感じるのですが、中身を考えず上っ面だけよく見せようとするために根っこがズタズタであることがかえって露呈しており、裏目にしか出ておりません。

 そして魔法学校生徒(補習メイト)は勉強している姿を入れたかったのでしょうが、外で並んで杖振りながら呪文連呼するだけで、上級生になったのに補習の時と比べ悪化しているのではないかカリキュラム。

 飛んで最果て島に向かおうとするみらいとリコ。そこに人魚のロレッタ先生と人魚の子供たちが現れる。

 空を飛ぶ練習をしているということで、前回のみらいとリコの出会いが彼女たちを変えたことを示すのですが、やたら背後を飛び回るのは描いていて鬱陶しいと思わなかったのだろうか(^^;

 ホウキで飛ぶと3日かかると言われて驚く2人。

 「待っててくれるかな?」

 何その緊張感の欠片もない反応は。

 ガーネットの重要性が不明なこととか、ガメッツが決闘を挑んでくる意味がよくわからないとか、視聴者的にはさっぱり緊張感無いと言えばないのですけど、劇中人物(それも当事者)が一番緊張感無いという衝撃のセリフ。

 そんなわけで人魚の潜水艦で移動することに決まるのですが、この潜水艦の中で人魚の下半身を頑なに描こうとしないのですけど、どうやって立っているのか。

 以前の海底のように、実は内部は海水で満たされていてみらいもリコも魔法で呼吸できる、となっていると解釈しようはありますが、みらいもリコも人魚も地面に足を付けた姿勢で、色の使い方も外側(海底)と明らかに使い分けており、どう考えても海底と同じ環境だとは感じられません。

 さっきの背後を鬱陶しく飛ぶシーンに作画リソース割くぐらいなら、こっちで人魚たちが浮いている描写を描くべきではないかと思うのですけど。

 正直、このシーンで人魚の下半身を描かないのはどうやって地面に足をつけているのかをごまかすためとしか思えないのですが、パッと見た印象としては「あ、これ脚本の方で『人魚の協力で最果て島にたどり着く』って意識を優先しすぎて、映像にすること全く考えてないな」というものでした。

 そのまま映像にしてしまう演出に大いに問題はありますが、第一稿ならともかく改稿してこれが飛び出してきたなら、脚本家が無能の領域。

 最果て島は嵐の雲のさらに上にある、上空の島。たどり着いてもホウキで飛んでいくのは、というところでペガサス登場。

 魔法で話を聞けばいいという人魚に、「魔法は必要ない」「眼を見れば伝わる」とかのたまう二人組ですが、君ら前回「魔法があるから出会いや幸せはあったんだ」とか主張してヨクバールをぶん殴っていたように記憶しているのですけど、話の都合で根幹設定の重要性がコロコロ変わってしまうのも安定の『まほプリ』クオリティ。

 ペガサスに助けてもらって最果て島にたどり着いた二人は「もっと近くで待てばよかったか」と待ちくたびれているガメッツと対峙。

 「待ちぼうけでこちらを苛立たせ油断させようというお前らの作戦はわかっているぞ」

 ……ガメッツはあれか、「武人キャラ」なのではなくて「武人キャラっぽく見せようとしている残念なヒト」なのか。

 直前まで「もっと近くで待てば」と言いながら、それを「待ちぼうけで油断させるお前らの作戦」とすり替えるガメッツの脳味噌が心配になりますが、爬虫類と考えると仕方ない気もしてきた(笑)

 ……ギャグについて「視聴者が『この監督は自分よりアホ』と思うようにすること」だという話があるのですが、そういう傾向のギャグは「その人物の頭の中では筋が通っているけど、客観的に見るとその理屈は通っていない」という話だから成立するのであって、本作の場合発言者の脳内ですら筋が通っていないことをギャグとして見せようとしてくるので、寒いんだよなあ……。

 見る人の感性にもよるのでしょうが、「ほらギャグだぞ、ここで笑え」って指示されているような感じがして、むしろ小馬鹿にされているような気さえするのですが。

 今までの戦い方は研究してきたから、今まで抑えてきた力を解放して全力で向かうぞと言うガメッツは甲羅を弾き飛ばし、頭身が上がって大きな姿に。

 通常のヨクバールと大差ない合体事故だったスパルダよりはまともなビジュアルになったのですが、

 「赤いプリキュアでこい。本気で力比べをしようじゃないか」

 え? 指定するの?

 えー……「研究してきた」と言うからには「何が来ても対策バッチリ」だと思ったのですが、どうやら自分が一番好きそうなのはどれかという話だったようです。

 指定するにしても「戦いを研究」って話は14話の展開を踏まえたものなのだから、そこはその時対決したダイヤを選ぶべきだろうと思うのですが、そういう話の拾い方をする気は一切ない本作。

 「ルビーでないと勝てない」とプリキュアが考える状況に追い込んでいるならまだしも、ここでルビーを選ばせるのはガメッツの都合以外の何物でもないし、「力比べ」という明らかに自分が一番有利なフィールドに持ち込もうとしているので、この期に及んで「武人らしさ」とか「正々堂々」等と言う言葉がこの爬虫類には一切感じられず、超姑息。

 まあやっぱり、このヒトは「武人っぽく見せようとする残念なヒト」なんだなあ。

 対抗する必要などないのに正直にルビーに変身して戦闘するプリキュア

 強化ガメッツですが、これまで直接戦闘がないので素の戦闘能力が不明、なので強化倍率も不明、故に「今まで対抗できてた敵に苦戦」とか「今までも苦戦してたのにもっと苦しい戦い」とかそんな感慨があるはずもなく、さらにはルビー自体の戦闘能力(というかスタイルごとの個性付け)が曖昧すぎることもあって力勝負自体が盛り上がる構図になりません。

 シナリオ設定上空虚なのに目をつぶったとしても、開幕から突進して腕を交互に出すだけの見た目がショボいガメッツラッシュに始まり、ガメッツの全身が映る攻撃シーンは真横アングルが多すぎなのと、プリキュアの方が別個に攻撃するシーンがほぼ無くて同時に同じ動作で攻撃ばかり、吹っ飛ぶのまで糸でつなげたように同じ飛び方と、全体通して空間に広がりとか奥行きを持たせる画面構成がさっぱりされないので、映像としても特に面白味がありません。

 ガメッツが高いところから飛んできて攻撃するシーンとかありますが、そういう奥行きのある時は対抗するプリキュアが描かれないので、ガメッツの動きにもプリキュアの動きにも今一つ乗れません。

 黎明期の格闘ゲームでももうちょっと演出頑張っているのではってレベルで、ガメッツの攻撃に力強さを感じないのですが。

 本作の戦闘にはもうハナから期待を捨てているとはいえ、仮にも幹部決戦を砂粒ほども盛り上げるつもりもなくて、すごい。

 そんな戦闘の中で、「強い者こそが正義」「強大な力を持つ者こそが軟弱な魔法界とナシマホウ界を支配するにふさわしい」と言い張るガメッツですが、直後に「我は全てを力で滅ぼす」とか言いだして、滅ぼしたいのか支配したいのかどっちだ。

 まあ「滅ぼす」と言われたらプリキュアは「そんなことさせない」と言いだすのが当たり前ですが、逆説的には「そんなことさせない」を言わせるために「滅ぼす」という言葉を打ち出しただけで、悪の目的とか前後の繋がりとか何も考えてないのだろうという気がしてなりません。

 力及ばず倒れた二人組にとどめを刺そうと迫るガメッツだが、はーちゃんが止めようと立ちはだかる。逃げるよう指示するプリキュア達だが、はーちゃんは人魚やペガサスを思い出し、勇気を振り絞って立ちはだかる。

 そんなはーちゃんを見てミラクルもはーちゃんとの思い出を回想しますが、今回既に人魚のこと・ペガサスとの出会い・はーちゃんが思い出す人魚とペガサス・ミラクルの思い出と、半分ぐらいわざわざ見せる必要ない内容なのに飛び飛びで回想を使いすぎです。

 その上、ミラクルが浮かべるはーちゃんとの思い出がたった二つのエピソードからしか引用されず、それもスープを食べさせるシーンはまだしもトパーズスタイルのプリキュアが助けるシーンは件のネグレクト回でして、回想を選ぶのにさえ苦慮しなければならないほどの本作の積み重ねの低さに別の涙がこぼれそうです。

 「その勇気は立派だが、誰かを想う気持ちだけで我には勝てぬ」

 息を噴きつけるだけで飛ばされる弱弱しさのはーちゃん。

 「無駄なことを、もうプリキュアは起き上がれん」

 「そんなことない! ミラクルとマジカルはあきらめない! プリキュアは強い! 強いのー!」

 その時、リンクルスマホンが輝きを放ち、空の暗雲は吹き飛んで、力を取り戻したプリキュアは立ち上がってガメッツの拳を受け止める!

 「戦う力だけが強さじゃない!」

 「誰かを想う気持ちだって強さなのよ!」

 と述べた後、全力でぶん殴ってガメッツを吹き飛ばすプリキュア

 ……あの、すみません、今回の流れ、本気で意味がわからないんですケド。

 魔法の力は人を引き合わせ幸せにする力だと主張していた主役二名が、力こそ絶対の信条の基で死闘を申し込んできた敵に対して、肉弾戦で押されて倒されそうになったところ、勇気を振り絞って主役を庇う妖精がこれまで何度か見せた謎の力を発揮して主役を回復、それを受けて「誰かを想う気持ちも強さだ」と叫びながら加速をつけて敵を殴る主役

 と、これまでの流れをざっくりと並べて見たのですが、何度見直しても全く意味が分かりません(^^;

 根本的な問題として、今回の逆転劇の根拠のどこが「誰かを想う気持ち」による「強さ」なのか。

 「はーちゃんの想い、伝わったよ」というセリフから察するに、どうやらミラクルたちは「はーちゃんがプリキュア達を想う気持ちがそのままプリキュアの力になった」と勝手に解釈しているのですが、はーちゃんが何の能力も持たない子供であるならまだしも伝説の本から生まれた妖精であり、明らかにその力による復活であって、パッと見た印象が「はーちゃんの想いの力」には全然見えません。

 その上、プリキュア達が「誰かを想う気持ちも強さ」とか言いながら、今回ここでプリキュア達を想っている人(ペガサスや人魚やおばあちゃんや校長先生など)のことを全然持ち出さず、何故かひたすらにはーちゃんとの狭い関係にばかり閉じこもろうとしています。

 正直、前半二つの人魚&ペガサス紹介だけの回想入れるぐらいなら、ここで人魚とペガサス両者の回想を入れるべきだと思うのですが。

 はーちゃんの側は人魚とペガサスを回想していますが、ここではーちゃんが思うのはプリキュアの戦いからもらった勇気を振り絞る彼女たちの姿で、これによって自分も勇気を振り絞って立ち向かおうとする……という話であって、「誰かを想う気持ち」は全然、関係ありません(^^;

 「勇気」と言えばこれもまた裏付けないまま使うと崩壊を招くだけのマジックワードなのですが、人魚たちの「知らない世界を恐れず見ていこう」という傾向の勇気とペガサスおよびはーちゃんの「勝ち目のない相手でも誰かのために立ち向かっていける」という傾向の勇気は明らかに本質から異なるものなので、これを「勇気」で統合してしまっているのも問題。

 その上ではーちゃんが「勇気が足りない」のかを考えると、むしろ好奇心旺盛で厄介事を引き起こしていたり、11話でモフルンとともにガメッツからリンクルストーンを守ろうとしていたりするので、勇気を振り絞って立ち向かうはーちゃんの成長、みたいな書き方をされている構造にも違和感があります。

 要するに、これまでの話をまともにつなげていくならば、はーちゃんの「勇気」には別に人魚やペガサスがいなくても話が成り立つのであり、その上でプリキュア達も拾わないとなると、これでは何のために登場させたのか。

 「人魚の協力でたどり着くって意識が先行しすぎている」を通りすぎ、人魚とペガサスを出すというノルマを達成しただけで満足してしまったのではないか。

 この辺全部目をつぶったとしても、プリキュアがここで「誰かを想う気持ちが強さ」という主張を持ち出すのにどれほどの説得力があるのかと言うと、彼女たちがそもそも「誰かを想う気持ち」で何かを変えたことがないので、全く説得力なし。

 今まで彼女たちがやってきたことが人助けならまだしも、補習とか友達付き合いとかリンクルストーン探しとかみたいに自分たちの問題解決のために動き回っているばかりで(前回のおばあちゃんの他思い出の人探しも、おばあちゃんのためでなく単に自分たちが気になるから)、起きた出会いや幸運は全て「魔法があったから」で決着してきたこの二人が、どうして「誰かを想う気持ち」の力を信じられるというのか。

 あえて言うなら第6話において、姉への想いから氷魔法を成功させて合格をもらったというのはそれに該当するかもしれませんが、私が当該記事で書いたようにアレは「屁理屈で成功したように見せかけただけの誤魔化し」でしかなく、実体は何も変えていませんし。

 こうして出来上がったものは、「勇気」というマジックワードにより作られた「誰かを想う気持ち」なるマジックワードで「力こそ正義」「世界を闇で覆う」という悪のマジックワードをぶん殴るという、マジックワードの3乗。

 そして、それだけ体裁のいい言葉を並べておきながら、実際に得られ、そして振るうのは戦う力。

 もちろん、そうでないとガメッツを倒せないのですが、1話どころか1分の間でさえ整合性をとる気がありません。

 今回の校長先生の態度でも触れましたが、上っ面だけ綺麗なヒーローものとして整えようとして、それまでの話の積み重ねとか整合性とか全く考えてないため、兎に角話が進むごとに「本当は何も変えていないのに、何かを変えた気分になっているダメなヒーロー」という悪い形となって膨れ上がってきています。

 ヒーローが必ずしも何かに変化をもたらさなければならないわけではありませんが、本作は一見変えているように見せかけているので、見過ごせません。

 そんな力など認めないと言い張るガメッツに、金魔法ルビー・パッショナーレ(また通常技)をヒットさせるプリキュア

 「全力を尽くせる強敵と出会えたこと、悔いはない……」

 勝手に納得して浄化されるガメッツ。

 力こそが絶対でドクロクシーの魔法こそ最強だからそれに飲まれるべき→その最強魔法で全世界を支配してやる→我が全て滅ぼす→誰かを想う気持ちの力など認めん!→全力で戦えたから悔いはない

 と、発言の内容がコロコロ変わって迷走しまくったガメッツですが、所詮は爬虫類の脳味噌ということなのか(^^;

 正直最悪の第一印象から始まったガメッツですが、グダグダの末に武人っぽくふるまいたいだけの残念な爬虫類というところに落ち着いて退場。完全に、はーちゃんの奇蹟の踏み台でした。

 ガーネットを取り戻したみらいとリコは、ガメッツのことなど省みるはずもなく大好きアピールをするはーちゃんに目を輝かせて幕。

 えー……

 決闘を申し込む敵幹部!

 道中の困難を助けてくれる仲間たち!

 自分自身もどうなるかわからない捨て身のパワーで挑んでくる敵幹部!

 主役のピンチに勇気を振り絞る妖精!

 想いの力が起こす奇蹟!

 と、要素だけ考えたらいくらでも面白く膨らませれそうな材料が勢ぞろいしているのに、相性とか組み合わせとか何も考えず、ダシもとらない真水に全部突っ込んで、調味料の代わりにこれまでの料理のアクを突っ込んだら酷い臭いがしたので、新しい材料で抑えようとしたら別の化学反応が起きて毒ガス発生、最終的に出来上がったのは料理と呼ぶのもおこがましい生ゴミ、といった印象のエピソードでした。

 執筆した脚本家が過去シリーズに参加していないとか、そんな言い訳をすることさえできないレベルで、単純に杜撰。あまりにも酷かった。