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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

魔法つかいプリキュア! 第20話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 みらいとリコが扉を開けていた時、校長は単身ドクロクシーの居城にたどり着き、ドクロクシーと対峙していた。

 みらいとリコが扉を開けようとしたその時、モフルンがお腹を空かせてグレープを食べたかったと話すと、扉の先に果物屋が。ブドウを食べた後本題に戻るも、みらいがイチゴメロンパンを欲しがると今度はナシマホウ界のイチゴメロンパンの店へ。どうやら思ったところに行けるドアらしいと気づいた一行は、きちんと校長先生を念じることでついにたどり着く。

 にらみ合う校長とバッティを見て、後ずさって元の場所に帰る一行。

 この期に及んで、どうしてこういうギャグが通せる展開だと思ったのか。

 仮にも20話もの間戦い続けてきた二人が、この空気を場違いだと感じて引き下がることを、ギャグとして成立すると思えるスタッフの神経が、私、本気で信じられません。

 何が耐えられないって、「主役二名が追いやられる展開を笑いものにする」という構図にするのはプリキュア達がおかしい」のではなく、「プリキュア達を追いやるような空気を作ってしまう校長やバッティがおかしい」という方向で笑いを作り出しているのであって、本作これまでの「努力」「根性」「考える」という諸々の要素の扱いを踏まえると「真剣にやっている人を馬鹿にして笑いにしようとしている」と見えてしまうことです。

 そういう「嗤い」を平気で持ち出せるのが、あまりに無神経。

 それは穿ちすぎでしょうが、この展開により「プリキュア達は世界の危機や周囲の人間の危機などに全く向き合わず、自分たちの本当に狭い周辺のことしか考えていない」ということが改めて浮き彫りにされ、頭が痛くなります。

 現状を整頓したプリキュアはもう一度ドクロクシーの居城に向かう。校長はその時ドクロクシーが放った攻撃から、その正体がかつての自分の同僚クシィであることを悟る。

 はるか昔、魔法学校で最も優秀と言われた教師だったクシィと校長は、いずれ訪れる災いについて調査した結果、回避にはリンクルストーンエメラルドが必要だと知った。しかしその手がかりさえつかむことができなかったことで、業を煮やしたクシィは禁じられた魔法の数々を調べ、その中で最も危険な闇魔法に手をつけ命を落としたのだ……と、校長先生が口で全部説明してしまうというガッカリ展開。

 ここにある情報全てが初出なわけでして、これを言葉で全部説明してしまうのはあまりにも作りが雑すぎますし、いうなればここまでの19話でそれを一つも描けなかった時点で、物語としては大減点。

 ナシマホウ界編以降、とにかく(上っ面ばかりの)立て直しと軌道修正が見える本作ですが、ここに極まれりという展開。

 そしてこの設定で一番厄介な部分は、この二人が調べていたのは「いずれ訪れる大いなる災い」であり、さらに劇中のセリフから察するにそれはドクロクシーが及ぼす災いではなさそうというポイント。

 これにより、これまでの19話で展開してきた内容が完全に茶番と化しました。

 ドクロクシーの存在に関わらず「災い」が訪れるのであれば、ここで倒してもそれは変わらないわけでして、そうなると何故彼らが物語の軸となる悪役に据えられていたのか。

 そういう細かいところの意味づけや設定のつながりをどう行うかというところが物語を作るところの肝要だろうと思うのですが、散々ドクロクシー一味の諸々の行動原理や理念を曖昧にぼかし続けた果てに、本作が行ったのは「意味なんてない」ということの表明という、どうしようもないオチです。

 今後それをつなげるかもしれませんが、いずれにせよ校長先生の口から説明するだけの展開で、ドクロクシーとの決戦前により大きな存在を示すという形にしてしまったことで、ドクロクシーは物語の前座でしかないということをより悪目立ちさせてしまっており、一応の決戦なのにすごい勢いでテンションが下がっていきます。

 ドクロクシーはもうすでに肉体が死んでいて、残されたのは闇魔法による限りない欲望だけであり、エメラルド入手で完全になると聞いた校長は、説得を諦め戦闘態勢に。

 魔法ビームを放つ校長先生が曰く、「来るべき日に備え長きにわたり封印し、力を蓄えてきた」らしく、魔法封印の理由が明かされると同時に別にナシマホウ界で魔法見られたから杖没収されたわけではないということが判明

 11話で言及されて以降「杖没収」は一言も出てこず、「見られてはいけない」「見られなければ使っていい」だけが転がっているのですが、本当に無かったことにしたのか。

 そして校長ビームはセリフと設定から数百年単位で蓄えられた魔力によると思われるのですが、通常形態バッティの魔法で相殺されるレベル(一応、バッティの杖は砕けましたが、バッティ自身は無傷)で早くもケチがつく。

 この後、より強大な魔法を繰り出すドクロクシーに押され、校長先生は魔力を使い果たし一気に老いてしまう(ついでに水晶も)のですが、前座に勝てないのにボスに勝てるはずがないだろうとわかりやすすぎます(^^;

 まあ本作世界では「努力」とか「対策」なんて言葉はハナクソほどの役にも立たないのがハッキリしているので、予定調和も過ぎていてもはや笑いさえ浮かびません。

 校長が動けなくなったところで、ドクロクシーはリンクルスマホンを奪い、それを受けてルビーに変身する二人。

 ……えー……校長先生がダメージ受けても変身する気がさらっさらなかった二人ははーちゃん奪われてやっと変身したのですが、第2話で校長先生が解説してるだけで戦わなかったことへの意趣返し?

 これまで身内のことにばかり閉ざされてきたプリキュアの関係が、知人であり(あくまで私の主観を抜いて作中のみらいとリコの立場から素直に解釈するならば)恩人ともいえるはずの校長先生さえも助ける対象として認定していないプリキュア達、恐るべし。

 どうやら体力の消耗が激しいらしく(というのは前々から示される設定なので、別に校長先生の力で弱体化したとかではない)、魔法の持続力がないドクロクシー相手に善戦するプリキュア。一応ボスキャラなのでか作画もカット割りも気合入っているのですが、ガメッツの時との落差が本当ひどい。

 地面に落ちたスマホンを拾おうとするドクロクシーを阻止する好調だが、力及ばずまた奪われる。命が尽きようとも皆を守るため戦おうとする校長だが、魔法学校のみんなが待っていると告げるプリキュア達。

 「みんな待ってる」と言うからには校長先生を心配している人がどれだけいるかが問題なのですが、生徒たちは誰一人校長先生が何やっているか知らないし、教頭先生やアイザック先生は心配しているもののここで持ち出されないし、何よりたった今校長先生が動けなくなるまでプリキュアはなにもしてなかったので、すごく上っ面で綺麗な言葉だけ並べて引き留めようとしているとしか思えない(^^;

 その体たらくで直後に「行動、ですよね。補習で教わりました」とか「あちらの世界には学べることがいっぱいある」とかつなげられるミラクル&マジカルには何の電波が飛んできているのか。

 いくら回想入れてそれっぽく纏めようとしても、今回校長先生のために動く意思もそこからの行動も一切ないため、説得力ゼロ。

 皆で帰ることを目指し、立ち上がるプリキュア。すると魔法界の樹が輝きはじめ、苦しむドクロクシーに金魔法を放つプリキュアだが、ドクロクシーの魔法で突如全員魔法界にワープ。プリキュアの所持するリンクルストーンが宙に浮き、魔法界の力の全てが一点に集まってリンクルストーンエメラルドがついに形を現した!

 「ナシマホウ界に手がかりあるかも」とか色々引っ掻き回したリンクルストーンエメラルドのありかは結局魔法界で、突然魔法界の力が一つに集まったことによる誕生という、話のつながりも盛り上がりも設定も一切無関係なポッと出アイテムと化し、仮にも現状では本作最大のキーアイテムであろうになんとぞんざいな扱いなのか。

 リンクルストーンを奪われたプリキュアは変身解除してしまい、バッティはドクロクシーにエメラルドを渡そうと飛んでいくが、その光に焼き尽くされ消滅。

 なんだかんだ引っ張っておきながら、やっぱり杜撰に退場させられる幹部。

 バッティの死を見てわかるのは「やっぱりリンクルスマホン必要」だけで、もともと骨と皮で死にかけているドクロクシーは最初からそのつもりである以上何も変わっていませんし、実際スマホンの力であっさり取り込んでしまうという展開でどう考えてもバッティは犬死に。

 校長先生の名誉のためにも、数百年もの魔法ビームで消えてくれた方がマシだったと思うのですが。

 あるいはここで、エメラルドにとびかかっていくバッティをドクロクシーが捕まえて「エメラルドは誰にも渡さん」と殺害するならば、欲望のために配下だろうと平然と殺すドクロクシーの悪辣さと「欲望が何故悪なのか」を表現できる演出として機能するのですが、そういう細かい仕事は徹底してやろうとする気がないのが本作。

 魔法界が闇の雲に覆われ、ドクロクシーは巨大な完全体へと変化して、次回に続く。

 必死の建て直し作業の中、今ある材料をとにかく用いてなんとか山場を作ろうとする意識はうかがえ、戦闘シーンの気合も入っていて、単品で見れば『まほプリ』にしては出来がいい回だとは思うのです(本作の出来はアベレージ低すぎるので、超ハードル下げて見ていますけど)が、いかんせんこれまでの積み重ねの薄っぺらさはどうにもならず、また今回1話の中でも明らかにおかしい点が散見されているというどうしようもなさ。

 さて、とりあえず全体まとめたところで、今回のエピソードで最大の問題点にして最大の肝となるのが、途中でドクロクシーの経歴として出てきた「いずれ訪れる大きな災い」の存在。

 この設定により『まほプリ』のこれまでが完全に茶番となり、同時にいったんリセットで仕切り直しということを示す本作ですが、この設定が本作で厄介なものとなる理由は、本作が度々「運命」「定め」を強調している作品であること。

 これまでの人々との出会いなどを幸福の源を「運命」と称してきた本作で、この設定が示したものは「運命が決めた、回避することができない不幸がある」ということと見て間違いないでしょう。

 ゆえにこの問題は、これまで運命を肯定してきた裏返しとして、プリキュアたちは絶対に「考えなければならない」問題なのです。

 それでは、その「回避不可能な不幸」に対してプリキュア達は本気で考えることがあるのでしょうか?

 ハッキリ言って、本作のこれまでから考えるなら私には全然そうするようには見えません。

 何故なら、プリキュア達の関係が閉じ切ってしまっているから。

 ここまでずっと、プリキュアが見ている世界はみらい&リコにモフルンとはーちゃんまでで、それ以上の広がりがまるでないから。

 魔法の力を人のために使ったことがないことや、今回も校長先生には協力しないがはーちゃんが奪われて初めて動くといった具合で、とにかく自分たちのこと以外に対する「行動」をまるっきり描こうとしません。

 ゆえに一見何かを変えたように言いながら、上っ面のその場しのぎでしか世界との関係を構築していないので、実際には何も広がってないし何も生まれていない。

 本作のテーマは「好奇心」や「広い世界を見て学んでいく」なのに、プリキュア達がずっとそこで立ち止まってしまっているという時点でコンセプトが完全に壊れてしまっているのですが、何よりも「考えるより行動」と言いながら世界に対してまったく動いていないので、残っているのは「考えない」しかありません。

 閉ざされた関係を「個人的な想いが結果的に世界全体を救うことに」みたいにしたいのかもしれませんが、目の前の危機の話とそれに付随する自らの戦いの運命を肯定するのでも否定するのでもなくて「考えていない」ので、プリキュア達が単に危機感のない歪な考えの持ち主みたいになってしまっています。

 みらいとリコの態度は「明日世界が滅んでも林檎の木を植える」というような高尚なものではなく、「滅ぶ未来など見たくない」だけです。

 そういう運命や戦いとの関係で、私は以前第7話感想で『美少女戦士セーラームーンcrystal(1期)』を引き合いに出したこともありますが、『セーラームーン』のうさぎの方は戦いの使命に対する「拒絶」を一応は明確にしていました(そこから発展しなかった末に「衛と心中できれば世界はどうでもいい」という狂気の方向に突き抜けてしまうのが大問題ですが)。

 本作はそれさえない。だって「考えない」のだから。

 今回と次回から数話で新しい展開に向けていくと思われますが、現状そこの問題点を一番になんとかしなければ、作品全体が何も座ることがないのですけど、果たしてまとまってくれるのか。

 不安ばかりが渦巻く中で次回、予告から作画が危ない(^^;