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ぼんやりと特撮・アニメなど

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魔法つかいプリキュア! 第22話感想

アニメ感想 魔法つかいプリキュア

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 OPとED変更。OPは早くも3人目が入っていて、にぎやかというかごちゃごちゃした感じに。そしてここでまで勝木さんをギャグ扱いで登場させているのですが、いい加減これがギャグとして成立していないってことを誰か教えてあげてはどうだろうか。

 EDは……そのうち慣れると信じよう。

 肝心の本編の内容ですが、一言でいえば無神経。本作全般、そうと言えばそうなんですが。

 のっけから、校長先生、若返る。

 予想された災いのために、魔法封印してまで長い間戦い続けてきた校長先生を象徴する題材として「力を使い果たして老いてしまった校長先生と周囲の反応」は十分に扱えると思うのですが、やらんのですね、そういうことは。

 水晶もあっさり若返っていて、この辺の設定は完全に一発ネタだけに。

 また、クシィが何百年も前に命を落として、骨だけになっても闇魔法が突き動かしていたって話も考えると、活きた生身の体を魔法で保ちながら動いている校長先生ってすっごく不気味なのですが、そういう要素を考慮する気配もなし。

 魔法電話で遺跡発掘中の何者かと電話する校長先生。この発掘中の人はセリフからして正体なんとなくつかめますが、会話の内容が「君と同じくナシマホウ界でな」とかきな臭すぎます。

 せめて、十六夜家(仮)が一家総出でド畜生とならないことを祈りたい。

 はーちゃんを想いながら沈んでいるみらいとリコ。みらいの店を手伝っている最中に、朝日奈母からリコが来てからみらいに変化が現れたことを告げられるリコ。

 「でも母親だから相談できないこともあるわよね。リコちゃんにはできてもさ」

 うーん……この人が母親としてみらいの相談に乗ったことも助けたこともないので「親だからわかる」に重みがまるで生まれてきませんし、「親だから相談できない」は「だから娘をほったらかしにする」の口実に聞こえるんですけど。

 もはや本作、そういう格好つけた言葉はいちいちこれまでの蛮行の言い訳染みて聞こえてしまうのですが。

 その夜、リコはある決心をして部屋から飛び出すが、みらいに連れ出されて夜景を眺めることに。みらいはもう一度はーちゃんを探さないかと相談する。

 「あれからずっと、探してたでしょ?」

 何故それが映像になってないのか。

 劇中時間的には、ガメッツとの対決から前回までは多分ほんの2、3日ほどで、そこから今回までのリアル時間との間に結構な開きがあるのですが(18話からのリアル時間は丸ごと1か月)、「あれからずっと」がどれだけの時間、どのぐらいの範囲を探したのか曖昧で、実感がわきません。

 むしろ視聴者的にはいきなりナシマホウ界に戻ってきている分、そこの隙間を想像する余地が非常に狭められてしまっているのですけど。

 そしてリコの提案は、いったん魔法学校に帰ってより魔法の実力を身に着けることで、はーちゃんを探せる手がかりにしたいというものだった。

 ……えっとですね、これは朝日奈母の言葉を受けて「みらいにしか相談できないこと」という意図で出したのだと思われますが、明らかにその問題は他に相談すべき人がいます。

 というか、逆。

 その問題を「相談してはいけない人」で考えたら、いの一番に出る名前が「朝日奈みらい」です。

 話をはーちゃんの問題とすることで一見この二人のプライベートな問題に見せかけていますが、伝説アイテムから出てきた闇魔法の使い手を吹き飛ばす超常存在それが持っていると思しき超マジックアイテムが話に絡んでいる時点で、明らかにこの二人で収めてしまう問題ではなく、どうしてそこでまた閉じこもろうとするのか。

 これまでの本作が展開してきた、上っ面だけの薄っぺらい思考を素直に受け止めるなら、「考えるより行動」である以上はそんな相談したとして受け入れられるわけもなく、むしろこちらの世界でもできること・学ぶことはあると話を展開してきたのだから、ここでリコが帰ろうとか考えだすことがおかしいのですが。

 そこを外しても、そもそもリコがナシマホウ界に来ているのは彼女が単独でそういう移動をできる特権を与えられているのではなく、独断で規則に違反しながら飛び出してきたのを魔法学校側が後始末してくれたおかげで何とかもっているに過ぎないわけで、そういう周辺事情を完全無視でまた独断で動こうとしていることを、どうしても肯定的に見れません。

 補習を誤魔化すためにナシマホウ界に独断で飛び出したのをプリキュアになれたので許してもらい、その後もう一回飛び出したのを校長先生のお使いのために(まるっきり考えていなかった編入手続きと住居の工面までしてもらって)許してもらい、あまつさえ「魔法界の代表として」とか意気込んでいたのを、今回また魔法学校側に相談なしで勝手に帰ろうとするとか、あんまりに知恵が足りなさすぎます。

 「二度あることは三度ある」と言いますが、三度目になると少しぐらいマジメに考えろ。

 で、魔法界では水晶が新たな予言。新たな災いの気配と、新しい力の気配を感じ取る水晶。一方、発掘中の遺跡では壊れたランプが発見される。そしていかにもそのランプから出てきましたよと言わんばかりの魔人が、不敵な笑みを浮かべて浮いていた。

 ここに登場した新しい敵と思われるのが『ランプの魔神』で、これまで欲望=悪の設定にしてたことを考えると、どうしても「某戦隊で、ランプの精を模した怪人が子供たちの欲望を際限なく掻き立てるプロットが出されたときに『ランプの精は子供の夢なのだから、それを悪役にして夢を壊すなど子供向け番組ですることじゃない』と怒った脚本家」の故事を思い出さざるを得ません。

 もちろん、その意識やスタンスが正しいのかは議論の余地があるのですが、私は現状本作スタッフをまったく信用してないので、この話を踏まえた上であえて挑戦してるのではなくて、何も考えず踏み越えただけなんだろうなあ、としか。

 何やら魔法界を見て回る魔人は、木の下でヤモーの尻尾を発見、そこに黒い力のうなりを感じたということで、尻尾から彼を再生。再生された彼は川に落ちているドクロクシーの骨を拾い集めると、プリキュアを求めて移動。

 どこからつっこめばいいんでしょうか、このシーン。

 明らかに闇魔法の下僕のサンプルとして有用な尻尾を投げ捨てて帰り、友人であるクシィの遺骨を拾わず放置しているとか、校長先生のやっていることが改めて無神経

 遺骨は魔法界にそういう慣習ないものと思っても、あれはクシィの「死体」なわけでして、魂がどっか行ったのが見えたら後はほったらかしというのがどうも釈然としません。

 死体云々抜きでも、闇魔法の素体だったので色々考える余地はあり、ほったらかしていいものではないだろうと思うのですが。

 ヤモー復活については、尻尾から本体が再生するって君はプラナリアかヒトデか? というかこっちから再生したら本体の方が再生したヤモーとは別人格じゃないのかとか、色々疑問が尽きず、本作世界の「生命」「魂」の概念まで揺るがしかねない恐ろしい事項ではないのか。

 というか、ガメッツとスパルダの力を取り込んで戦い、金魔法を受けたバッティが通常形態で帰還できたという前例があるのだから、別にここでヤモーがいきなり説明なく復活していて、ドクロクシーの骨を探していたとしても何もおかしいことは無いはずです(骨がほったらかし問題は残りますが)。

 ランプ魔人(仮)が今回やる行動は、目覚めた直後のいろいろな情報収集以外だと「闇の力を感じたので面白そうだから手を加える」しかないのですけど、「願いを叶える」ってランプの精の本分から言っても、既に復活しているヤモーがドクロクシーの骨を探すが見つからないってところに力を貸して骨を引き揚げてやる、って流れの方がわかりやすいし、行動自体に大きな影響も及ぼさないと思うのですが。

 本作全般、とりあえず設定だけばら撒いておいて、その設定をつなげる過程を省いているようにしか感じられないのですが、こういうところが本当無神経。

 過去のセオリーに従わずに面白い作品作れているならまだしも、本作はそういう面倒くさいことやって大事故連続した末に結局楽な方へと流れていく、の繰り返しで、第6話で意地張って玉乗りゾウを作ろうとし、失敗していたリコの姿が重なって見えます。

 きちんと順序立てないものが、実を結ぶはずがないでしょうに。

 リコが帰る前に休日だからショッピングモールで一緒に遊んでいたみらいだが、飛来したヤモーは骨を使ってセミとロケットからヨクバールを生産。

 「やめて……もう、いい加減にして!

 ……あの、私正直申しまして、このみらいのセリフには本気で凄まじい恐怖を感じたのですが。

 座っていたベンチを叩き潰され、買い物したものもグチャグチャで悲しそうな「やめて」から、間をおかずに険しい表情になって立ち上がって「もういい加減にして」と怒り狂うという、ついていけないテンション乱高下。

 どっちか片方なら、あるいは「やめて」と「いい加減にして」の間に敵のワンアクションがあるのならまだ共感できますが、そういうのがないので「単なる情緒不安定」にしか見えません。

 「ヒステリック」というのではなく「躁鬱」といった感じで、物凄い勢いでみらいが触りたくない危ない子に(^^;

 その急激な変化に劇中人物も何らかの反応見せるならまだしも、直後何も言わず険しい表情で立ち上がるリコが素直に変身に応じるという、恐怖の上塗り。

 この理解不能な存在の恐怖、本作テーマが「好奇心」ならば、むしろみらいたちが乗り越えていくべきものであるはずですが、彼女たちがその恐怖そのものになってしまうというおぞましい内容に、心の底から震えております。

 「もう、嫌なの……大切なみんなとお別れなんて、嫌なの!」

 というセリフで誤魔化そうとしてますが、「大切なみんな」で回想するのがはーちゃんとクシィのために説得力がマイナスされていきます。

 思い出すのがこの二人しかない時点で「大切なみんな」に重みがなく、それもクシィはこれまで話したこともないばかりか「いきなり言われてもよくわからない」で切り捨てさえしたのですけど。

 ……みらいはアレか、その場その場で記憶を自分にとって都合よく改竄・捏造して、悲劇のヒロインや不屈のヒーローを気取りたがっている自己中ということなのか。

 というかクシィ(ドクロクシー)のことは作品世界の中の認識では「既に死んでいたのを魔法が動かしていただけ」という扱いっぽいですが、骨になっても意識を保って喋りながら動いているアレをバッサリ「死んでいる」と認識するのにも結構な疑問符が浮かぶポイントで、その点の見方によってはクシィを殺したのはプリキュア達とも言えるはずなのですけど、本作の生命観の曖昧さがドロドロ溶け出してきて凄まじい泥沼を形成していきます(この点から考えても、今回校長を若返らせたこととヤモーを尻尾から再生させたことは、無神経の上に大失策と言う他ありません)。

 新たなヨクバールは「ドクロクシーの力が備わっているので強い」そうですが、これほどまでに説得力のない強化理由の説明もないような。

 だってドクロクシー、前回(はーちゃんの助けはありましたが)通常の金魔法で倒されているわけなので、その力があるから特別どうした、としかならないのです。

 例えるなら、『ドラゴンクエスト3』でゾーマ直前の三連戦に「その魔物は魔王バラモスの怨念がついておる! お前たちに倒せはせん!」とか言われたら、ゾーマの格にまで疑問が浮かぶのですけど。

 あるいは『ドラゴンボール』のアニメで、フリーザ軍残党がフリーザ並の戦闘力を身に着けて地球に来たという特別篇があるのですが、そこで悟空の「今となっちゃ大した相手じゃねえな」というセリフと同じ感想を抱いてしまうというか。

 まあ、この後の新戦士登場を考えると、本当にそういう意図の気がしますが!

 怒る二人に対して、はーちゃんがかつてやったようにスープで口に髭を作り、その時のように笑顔でいるように説得するモフルン。

 モフルンなりの気遣いなのでしょうが、本作これまでそういう「笑う」ことを、物語として強調して描いた話が皆無なので、前回も「こんな状況で笑っている」に唐突さを感じたのですが、同じ印象を2話連続で繰り返すことに。

 物語を作る・説得力を持たせるとはどういうことか考えると、今回の場合そういう「笑う」ことがいったい何につながるのかを描きだせなければなりませんが、描いて見せているのはやっぱり「はーちゃんが帰ってこれない」だけで、これ以上の広がりは一切ありません。

 ……あまり比較・引き合いとして出すのは良くないと思いますが、語弊を承知で書かせてもらえば、「笑う」ことを「強く・優しく・美しく」という作品全体のテーマにつなげてきた前作『Go!プリンセスプリキュア』のことを想うと、キーワードに載せている重みも説得力も段違いすぎて、むしろ好きな作品のテーゼを同シリーズ後発作品がとんでもなく杜撰にブン投げたことで、逆に泣きと怒りの顔になりそう。

 「ふん! なんという茶番!」

 すみませんヤモーさん、本作はこれまでもこれからも全部そうなんです。

 逆にこっちのセリフで、超大笑いしました(笑)

 本当だったらこういうセリフは、想いとか笑顔とかそういう力を一笑に付すことでそれに負けてしまう悪役の滑稽さを表現するためのものなのですが、本作これまで実際にそういう力なんて存在してるように思えないし、とりあえず転がっていた話を適当に拾い集めて格好つけているだけなので、本当に茶番と言う他なく、滑稽なのはプリキュアたちです。

 その上でその笑顔パワー、何を示すのかと思えばスマホンが光りだして、甘いにおいと共にエメラルドを持つ謎の少女登場、彼女がプリキュア・キュアフェリーチェに変身。

 変身バンクは、コンテを前作シリーズディレクターのタナカリオンこと田中裕太さんが担当、演出は別の方という話をtwitterで拝見。

 田中さんの『スマイルプリキュア!』演出回や前作『Go!プリンセスプリキュア』が好きなので、正直かなりマイルドに見てしまうようバイアスかかっているところありますが、うーん、どうにもパッとしないバンクシーンだなあ、というのが正直なところ。

 高く挙げた両手を交互に少しずつ下げていくところとか、変身アイテムが腰に装着されるところとか、そういう細かい部位に前作のバンクっぽさを感じますが、体を大きくひねったり回転させたりするところの動きが妙にもっさりしていて、勢いを感じません。

 コンテは大まかな動きの設計図であって、実際の動きを作るのは演出や原画の力量によるところが大きいのでしょうが、本作スタッフはもうすでに色々疲弊しきっている感じが強いので、そういう部分の出来を期待しづらいと言えばそうであり、そこにまでくるとこういう大きな動きを取り込んでしまったのはコンテに問題あるよなあ、と。

 また、装飾の花や植物を強調しますが、衣装には蝶の装飾もあってそれも同じ感覚で強調し、締めの「花の中にいるフェリーチェ」は明らかに蝶のイメージと、パッと見たときにモチーフが「花」なのか「蝶」なのかわかりません。

 これは変身バンクのコンテが問題というか、デザイン自体がどっちがメインだかわからないゴテゴテに盛った感じなので、それが原因でコンテの方も方向性掴み損ねたのではないかと思います。

 武器も花と蝶をあしらっていて、どれがメインかわからないのですが、ここで「両方」とか言いだしたらそれはヨクバールではないのか、と突っ込むところです。

 「あまねく命に祝福を」という名乗り口上から、本作お得意の詭弁で「命全般がモチーフ」とか言いそうな気もしますが、私、第3話で急成長している町の花とか第8話でスパルダがペガサスだけ分離したヨクバールに「命のあるものはダメ」と言ったこととか前回エネルギー吸収が植物限定だったこととかから、本作の植物は「命がない」か「あっても動物とは根本的に別のもの」のどっちかにしか見えないのですけど(^^;

 デザインで気になって仕方がないのが、下半身の謎のモコモコ。

 公式サイトのイラストで見ると、この上に透明スカートがあって、並べてるはーちゃんの絵と比べて影の形などから想像するに、これは開きかけた花のつぼみみたいに、裾が内側に巻いているスカートなのだと思われますが、実際のアニメの絵だと綿の塊というか「オムツ」とか「ドロワーズ」とか想像してしまい、過去のプリキュアはスカートの中身が見えそうになるとこういうモコモコで誤魔化してたなあとか考えたら、どうしてもはき忘れたとしか思えない(^^;

 それとも、プリキュア自主規制でモコモコ描いて誤魔化しているだけで、本当は透明スカートの下は何もはいてないというアグレッシブな衣装なのか?!

 ……下品ですみません。

 デザインの不満は脱線しそうなのでここまでで、ずっと気になっていたのが「フェリーチェ」は何を由来とする名前なのかですが、変身時に明確に「Felice」という綴りが出されました。

 えー、「Felice」は、ラテン語「フェリクス」に由来するイタリア語の名前で、「幸福」を意味する男性名です!

 「男の名前みたいだが……なんだ女か」

 「フェリーチェが女の名前でなにが悪いんだ! 私は女だよ!」

 由来を推測するうえでさすがにこれはないだろうと思っていたものを軽々と踏み抜きに行く安定の本作。

 「幸福」という意味だけ考えれば「キュアハッピー」他の系列と考えられなくもないですが、本作スタッフがまともに単語や設定の意味付けを行ってくれるとは全く思ってないので、「フェアリー」っぽい語感の名前探して適当につけただけではないかと推測しています。

 尤も、「Felice」を英語読みしたら「フェリーチェ」にはならない(「ファリス」か「ファリース」あたりになるはず)ので、「キュアフェリーチェ」という名前は「ビバ」はイタリア語で「ノウレッジ」は英語だ!!! みたいになっている時点で、まあ何も考えてないのだろうという雰囲気丸出しなのですが。

 そういう他言語組み合わせの珍妙な名前ができてしまっている作品は珍しくもありませんが、「ミラクル」「マジカル」と来て「フェリーチェ」は統一性ありませんし、何度も書くように本作スタッフにそういう弁護の用意をする余地が感じられません。

 変身したフェリーチェはヨクバールを殴るが、その自分の力に驚いている様子。

 初変身で戸惑う描写は彼女が等身大の女子だった場合に共感できるのですが、明らかに色々オカシイ超常的な存在っぽく見せかけて出てきた彼女がそこを驚いている描写に何を感じ取ればいいのか、まったくわかりません。

 殴った時に何か別のダメージでも腕を通じてやってきたのか、それとも

 (あれ……ミラクルとマジカルが苦戦してたのに、こんな大したことないの……?)

 という戸惑いか。

 何にせよ、フェリーチェ登場&彼女による単独撃破でプリキュア二人が笑顔でいることが物語の上で特に大きな影響を及ぼさない話になってしまい(本当に茶番!)、新戦士登場のフリとしては非常によろしくありませんでした。

 フェリーチェの方も二人を探していたが手がかりがなく、二人が笑顔を取り戻したのでやっと居場所に気づけて戻ってこれた、というのが意図なのでしょうが、肝心のフェリーチェが変身するまでほとんど無言のせいで、フェリーチェがこれまであちこちうろうろしていた行動の意図も不明になってしまっており、今一つ締まりません。

 視聴者からはバレバレだけど作中では戦闘後にフェリーチェ=はーちゃんだと明かされるわけですが、本当にはーちゃんがプリキュア達を探しているならその手がかりとしてありつけそうな場所を抑えていれば手っ取り早いわけでして(イチゴメロンパンとか)、そもそも魔法界で行方不明になったのにどうしてナシマホウ界にという疑問(次回に持ち越すかもしれませんが、期待はしない)も含め、フェリーチェ変身&戦闘を持ち上げるための設定と構成が著しく杜撰。

 さらにあっさりはーちゃんが見つかったことで、今回の身内だけで処理しようとしたリコの魔法界帰る問題もあっさり解決し、グダグダの末に今回何となく山にならないかと入れられた要素は全部木端微塵に。

 何だったんだろう、今回。

 次回、予告が短く、映像だけで何が何だかわからないのですが、何を出すのだろうか。