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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

魔法つかいプリキュア! 第23話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 本編感想前に、浮かんだ疑問を。

 今回の演出担当の「三上雅人」さんは11話でも演出担当でしたが、他の演出参加作品を知らないこととシリーズ監督の「三塚雅人」さんと名前が一つ違いのため誤植じゃないのか? と思っていたら、公式ページでもこの名前だったことと、調べたら『トリコ』『聖闘士星矢Ω』などで演出助手として参加し『ドラゴンボール超』にも演出で参加されているので、どうやら名前のよく似た別人ということらしいです。

 なんでこんなことが突然疑問に思ったのかと言うと、23話にもなってSDの三塚さんが演出担当したエピソードが第1話の一本きりのため。

 ここ数年のシリーズの放映リスト見ると、2クールの間に最低2本は演出(少なくともコンテ)をSDが手がけているのがほとんどで(前年『プリンセスプリキュア』は1話と22話、さらに前年の『ハピネスチャージ』は1話の後は21話にコンテだけ参加)、本作の現在の状況――21話をもっていったんボスキャラが退場し、追加戦士が登場するという、中盤の山場と言える部分――でSDが演出にもコンテにも参加していないという流れが、どうにも不思議。

 初代(第1話がSD担当でなく、28話が初の演出)みたいに例外はありますし、本編での参加数=仕事量ではないことはわかりますが、いったい何をやっているのか。

 劇場版の方に参加しているのだろうか、と考えもしたのですが、発表されたのが田中裕太監督&田中仁脚本ということで、それすらないという、膨らみ続ける謎。

 で、劇場版スタッフが思いっきり前作のメインスタッフでしたという状況にさらなる困惑をしているのですが、どういう流れで彼らが決まったのかわかりませんけど、本作の惨状を見るとどうにも「後始末」「尻拭い」などのネガティブなワードしか浮かんできません(^^;

 田中裕太監督は『スマイル』での演出回とか前作『プリンセスプリキュア』が好きなので、劇場版が気になるのはなるのですが、うーん……。

 公開された情報だとモフルンが擬人化&プリキュアに! という話っぽく、前作中盤からちょっと感じているのですが、タナカリオンは本気で『スマイルプリキュア!』をもう一度やりたいんじゃないだろうか。

 話の骨子なので、監督の一存で決まる話とも思えませんけど。

 そしてキュアモフルン、前回フェリーチェの下半身モコモコがどうしても「はき忘れた」ように見えると書いた私ですが、そんなのどうでもよくなるぐらいに潔くドロワーズ丸出しですよ!

 ……本作のデザイナーはちょっと、真剣に色々考えてはいかがか。

 

 本編に入ります。

 戻ってきたはーちゃんに、今までどこにいたのか聞いてみるみらいとリコだが、はーちゃんは自分でもよくわからないと曖昧な返事。しかしかすかに、誰かに呼ばれたような気がしたこと、そして花の海のような場所を覚えているという。

 えーと……一面ピンク色の花の海ですけど、これってまさか、前作の「努力しないで咲く花」じゃないのか。

 視聴者の誰もが前作から引き続き視聴しているわけではないのですが、さすがに前作の終盤戦に出てきた内容なのでまだ記憶に新しく、この絵面をできるだけ被らせないようにする配慮が少しは必要だったのではないか(^^;

 本作これまでの内容からすれば、お似合いの気もしますが。

 これからいつもの日常を過ごせるとワクワクするはーちゃんと一緒にはしゃぐみらい&モフルンだが、リコはそんなこと自分たちだけで決められない、みらいの母や校長先生との相談が必要と進言する。

 自分たちの手に負えない問題を大人に相談する、というマトモな話を展開しているはずなんですが、うん、まあ、そういうことは先週時点で気づこうね?

 先週、「はーちゃん探すために魔法学校に帰る」という話を魔法学校にも朝日奈家にも相談せずに勝手に決めていたので、すごい勢いでリコの発言がブーメランとなって突き刺さります。

 今回の脚本書いている鐘弘さんの中では「考えれば気づいて当然のことを人物に気づかせる」というつもりなのでしょうけど、本作はそういう要素を故意に外そうとしているとしか思えないほどにブチ壊れているものでして、常識的な言動を主人公にさせればさせるほど、その歪みがより強調されていく始末に(^^;

 キャラクター設計の基本「リコはAのときにBという行動をする」「リコはAのときにBのようなことはしない」が本作は一切固まっていないので、同じAの状況でも話の都合でBをしたりしなかったりするリコがもはや、ポンコツを越えた何かという状態で、気持ち悪い。

 人の姿になって空を飛べなくなったはーちゃんだが、みらいの箒に載せてもらって飛ぶことに。そこで自分でも飛びたいと、スマホンを用いて箒を出す。

 リコ曰く、何もないところから何かを作り出す魔法は校長先生でもあり得ないそうですが、そうなると今まで使ってきた魔法は存在する何かを確実に消費していると考えざるを得ないのですけど、何を使っているのか。

 こちらで魔法を使う度に、見ず知らずの人魚の命がこっそり消えたりしてないか。

 ずーーーーーーっと胡散臭い魔法関連設定ですが、本気でアブナイ。

 飛び方がわからないはーちゃんは、そのまま偶然ヤモーがいるところに不時着。一方ランプの魔神ラブーにとり憑かれたヤモーは、その言葉を受けてヨクバールを召喚し、はーちゃんを襲う!

 ヨクバール相手に変身しようとするはーちゃんだが、何故か変身できず。逃走中のはーちゃんを発見したみらいとリコははーちゃんを救うとトパーズに変身して立ち向かうが、通用しない。

 「闇の魔法は不滅です。私はドクロクシー様に代わり、世界を闇の魔法で覆うのです!」

 ドクロクシーへの忠臣として描かれるヤモーですが、一方でドクロクシーを復活させることを願うのではなく、あくまでその遺志を継いで実現させることを目的としており、仮にも親友だった校長先生よりもよっぽど死者に向き合っているのはどうしたことか(笑)

 とびかかるヨクバールの前に立ちはだかるはーちゃん。

 「ちょっとだけ思い出した……あの時、スマホンが私に語りかけてくれたの。私は力になりたい。みらい、リコ、モフルン。私を大切にしてくれた、守ってくれたみんなのために! だから……決めたの、私も、プリキュアになる!」

 それを受けて輝くエメラルド、そして変身するフェリーチェ。

 変身後のフェリーチェはヨクバールを圧倒しており、現状プリキュア達の最強フォーム候補だったトパーズは敵の攻撃を跳ね返すことはしたものの通常攻撃一切通用せずという描写のせいで思いっきりヒエラルキーが明確化。

 明確に強いフェリーチェですが、あくまでフェリーチェは自分の力で変身できるのではなく、みらいとリコを守る意志を持っていないと変身できないという一応の制限を持たせることで、やみくもにパワーバランスを崩壊させまいと配慮しているフシが見えます。

 まあそこまで意図していなくて、実際は単なるこれまでのプリキュアのピンチにはーちゃんが見せた奇蹟の延長線上(コメントで「イヤボーン」なる表現をされてましたが、アレの強化版)ってだけでしょうが。

 いずれにせよ、現在のヨクバールはフェリーチェにしか倒せない以上、それまでプリキュア二人が粘る部分がどうしても茶番になりますし、パワーバランスの崩壊はどうしても避けられません。

 そのままだとビッグワン(『ジャッカー電撃隊』)になってしまうので、制限持たせて阻止しようとしたのでしょうが、どこかでこういうの見たことあるなーと思ったら、これゴールドプラチナム(『ブルースワット』)と同じパターンだ……。

 はーちゃん「みらいとリコを傷つけるなんて、許さない! 絶対に許さない!!」

 デッデンデデー デーデーデー デッデンデデー デーデーデー

 テーレッテレーテレレ テーレッテレー テーレッテレーテレレ テーレッテレー

 朝日を背中にして 君が立ち上がる 瞳の合図一つ 強く頷けば

 すると今後、はーちゃんのエメラルドパワーでハイパーミラクルとハイパーマジカルになるんですね。そうでもしないとパワーバランスとれなくなりそうですが、本当にそうしそうな気がします。

 世迷言は置いといて、変身できない間はミラクルとマジカルがはーちゃんを守らなければならないという要素を入れ、また以前放置して迷惑をかけ、そこからはーちゃんの母として接しなくてはならないと自覚したプリキュア達のことを拾い、はーちゃんもそれを受けて自分の力を使いたいと願うようになる、と「親としての責任を自覚するプリキュア」「自分に乗せられた思いを知るはーちゃん」の両者の成長を描く意図自体は、悪くなかったと思います。

 まあどうせ本作スタッフのことなので、割と早い段階で変身の制限は扱えなくなって投げっぱなしそうですけど。

 今回のポイント――使命や責任への自覚と、それに対する自分の意志や願いの葛藤――は、鐘弘さんの脚本回だけで見れば一つの通しテーマとして意識的に盛り込んでいるように思え(リコの夢を優先して別れの辛さを押し殺そうとするみらい、自らの事情を優先しすぎてはーちゃんと周囲に迷惑をかけたこと、今回の内容と、ポジとネガを交互に描きだしているように見えます)、多分鐘弘さんの中では筋が通っているのですが、最大の問題は何かと言うと鐘弘さん以外のスタッフは誰一人としてそういう志向や意識を持っていないことです!

 本作これまで、子供たちを平気で異世界に放り出す無責任な大人の姿や、自分の瞬間的な欲求を満たすために平気で規則を破るみらいなどを描いてきたために、そういう要素は向き合えば向き合うほど劇薬として機能することになるという、恐るべし『まほプリ』クオリティ。

 通しテーマと言う点では多分本作で一番しっかりしたものを持っているのですが、他の要素に目一杯殺されている感じがして、正直私は鐘弘さんにどうしても同情的に見てしまいます(^^;

 やたら鐘弘さんを褒めちぎってしまいましたが、鐘弘脚本回はそういうメイン要素以外の部分になると極端に弱い(最終試験の補習メイトあっさり脱落とか、はーちゃんがいたずらした人たちは幸運な方向に動いたので不問とか)のは、やっぱり単純に経験の浅さが影響しているのかなーと。

 今回も校長先生に相談するも別れるのは嫌だからと押し通したら校長先生があっさり引き下がることとか、はーちゃんを泊めることを即断してしまう朝日奈母とか、今後の展開に関わる部分をご都合で無理矢理転がしてしまいました(^^;

 特に前者は、何故ヤモーがはーちゃんを狙うのかを無視できる状況ではない以上、都合よく転がしてはダメな部分ではないのか。

 校長先生は、はーちゃんの願いとそれを魔法にしたという話を聞いて「素直な者の言の葉は、時に魔法となって人を動かす」と述べるのですが、これを私は「今まで行動は伴ってなかったけど、言葉は綺麗だったからいいよね」と読んでしまうのですけど、それはひねくれすぎているのか。

 校長先生の「エメラルドを頼んだぞ」も、年老いた者が若い者に未来を託すと思えば綺麗かもしれませんが、校長先生の顔が綺麗な若作りなのでどうしても「体よく子供らに押し付けた」としか読み取れません(^^;

 朝日奈母については、この世界の育児観は放置が基本なので仕方がないですが、金銭面とか大丈夫なんですかね……。

 『1・2の三四郎』の一二郎みたいに「腹へりゃメシ探すだろ、ガキなんかほっといても育つわい」とか言いださないだろうか。

 総合だと、『まほプリ』にしては比較的まともな内容を描いていたように思うのですが、いかんせん元が元なので、却って猛毒が山ほど投入された気配がする怖いエピソード。