読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

5年3組魔法組 35・36話感想

特撮感想 魔法組

5年3組魔法組』の感想。

35話

 海外ではぎっくり腰のことを「魔女の一撃」と呼ぶそうです。

 ……今回ベルバラが腰を打ったことで思い出したどうでもいい話。

 おんぶ競争をしていた魔法組だが、ベルバラ介入でミコが頭を打ってしまう。新任教師の乙武姫子先生に保健室に運ばれたミコは早退することになるが、その事故がきっかけで竹馬や相撲や野球やゴム飛びといった怪我をする可能性のある遊びが禁止されてしまい、一気にやる気を失う5年3組。

 ミコは活力を取り戻すため、メタモライトで猫に変身して二階から飛び降り、無事であることを見せて多少の無茶は平気だと見せることで遊びを解禁させようとする。

 多少危険でも外でのびのびと遊ぶことが大事で、厳しく規制しても子供たちのためにはならないんだよというメッセージそのものは好きなのですが、「二階から飛び降りるぐらい危険だとみんなが言うなら二階から飛び降りるのが安全ならいい」というのは、解決策として違うと思います(^^;

 姫子先生の優しさに感激して乙姫先生というミコは最後に合気道で自らを助けた先生の厳しさも知って鬼姫先生というあだ名で、という結末も、視聴者側からは今一つ姫子先生が厳しく怖いように見えない(カンザブロー先生の方がそういう印象強い)ので、滑り気味。これからレギュラーになる模様ですが、キャラの立て方としてはもう一つ足りなかった印象。

 ところで、ベルバラはミコが怪我したら慌てふためいて、一応夜中にお見舞いに来る程度の意識はある様子。姫子先生のくれた花を勝手に捨てたりしてますが(笑)

36話

 ベルバラの姪に当たるチビバラが人間社会を見物しようというので、面倒なベルバラは魔法組に押し付けることに。チビバラのかわいらしさにこぞって案内しようとする魔法組男子だが、人間社会の常識を知らないチビバラに振り回され、ガンモからチクワ、ハテナマンとたらい回しに、そしてチビバラの魔法を見た指名手配の詐欺師がチビバラを連れて、彼女の魔法で数々の悪事を働く。

 なんと珍しい、伊上勝さんの脚本参加なのですが、話としてはグチャグチャ(^^; 台詞を軽快に収めつつ、話に必要な設定を見せていく巧さとテンポの良さは流石の手腕なのですが、後半から詰め込んだ設定を調理しきれず散漫に。

 魔法組の登場が「全員宿題を忘れてカンザブロー先生から説教されていた」という印象悪いものはさておいても、結構お金持ちの描写だったミコをさておいて財閥の娘の心理を語ったり、久々の登場となるチクワの姉さん(破談したものの過去に一度縁談が持ち上がっており、チクワから見れば嫁に行くのが悲しいぐらいに出来た姉の設定)が反抗期のような様子を見せたり、マンガンキーのしっぺ返しを無視していたりと、とにかく設定の無視や崩壊が目につきます。

 中でも財閥の娘だから豪華な食事やプレゼントくれるよ! と言いだすベルバラの話に乗ってしまうのは、以前に全く同じ内容で騙されているのだから引っかかったらダメだろと言いたい(^^;

 詐欺師に騙されていたことを知ったチビバラは詐欺師を警察に叩き込み、もう人間界はこりごりと帰っていくのですが、明確にチビバラが不都合や被害を被っていないために「こりごり」にまるっきり説得力が生まれず、再来を促す魔法組も意味不明と、間のシーンをいくつ飛ばしたのだろうというほど結末がつながっておらず、どうなっているのか。

 細かいところだと、チビバラが舌足らず台詞のキャラにされていることと、魔法組男子よりも背丈が低い子役にされているために、魔法組男子よりチビバラの方がずっと幼い子供に見えてしまい、その前で格好つけようとする魔法組男子にもしっくりきません。

 ミコとショースケがチビバラの前でいい格好しようとしないところとか見ると、魔法組はチビバラを財閥令嬢だからいい格好しようとしているのではなく、一方で妹や弟のような子供に年長者として格好つけているのでもなくて、男子として女子の前で格好つけていると読み取れるものなのですが、そうなるとチビバラはむしろ魔法組と同年代かやや上ぐらいの見た目にした方がわかりやすいと思います。

 チビバラが露骨に幼すぎることで、魔法組男子がそろってロリコンの気配があるように見えてしまっているのと、幼すぎるが故にロクな制裁やしっぺ返しを与えない展開にしているようにも取れてしまっているのと、二つも大きな疑問点を抱いてしまったのですが、設定上の意図と当てられた役者とに生まれた齟齬が脚本にも影響を及ぼしてしまったのでしょうか。

 最後のシーンではベルバラもカンザブロー先生も忘れ去られたかのように蚊帳の外に置かれてしまい(特にカンザブロー先生はこのせいで、完全に導入の設定を作るためだけの登場になってしまいました)、前半部に放り込まれた要素が上手くまとまらないまま何故かハッピーエンドっぽく終わってしまうという、困った内容。