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魔法つかいプリキュア! 第36話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 結論から言うと、今回、地に足の着いた言動をしているのはモフルンだけで、そこに集中して他を無視すれば見れなくもないのかもしれませんが、他が壊滅的にダメすぎる。

 空腹のまま働かされたムホー使いのスパイ・チクルンは、朝日奈家でパンケーキをこっそりつまみ食いするが、発見されカーテンで捕まえられてしまう。

 「食べ物の恨み、怖い!」

 ……みらいが普段から品行方正でおとなしい人間ならこれはギャグとして成立するのでしょうが、22話の「もういい加減にして!」とか、モフルンを掴んでいたリアンを問答無用でボコボコにした件とか見るに、みらいは瞬間的に(記憶を捏造してまで)キレることができる人間であるため平常運転としか思えず、全然笑い話になりません(^^;

 リコとはーちゃんが戸惑っている中、ただ一人だけ延々と「パンケーキ、私のパンケーキぃ~……」と泣き続けているところも、おかげで視野の狭さと自分勝手さばかりが強調されているように感じられ、とても印象が悪く映ります(この後、モフルンがみらいと半分こすることで納得してしまうため、より一層そんな感じに)。

 それ以前に、4つ並ぶパンケーキに大きな違いが見えないので、無くなったのが本当にみらいのパンケーキなのか視聴者には判別不能でして、とにかく画面の向こうでだけ勝手に話が転がって勝手に納得しているため、仮にみらいがまともな人間でもギャグとして飲み込めたか怪しいのですが。

 捕まったチクルン、道に迷って飲まず食わずだったからと平謝りすることでなんとか許してもらえ、故郷ではすっぱい蜂蜜しかとれないので甘い蜂蜜を取りに来たと誤魔化し、甘い蜂蜜大好きというモフルンと意気投合。

 今回、河野さんが作画監督やっている割には人物の崩れがあまり気にならなかったのですが、メインを務めるモフルンが微妙に太っちょというか、リアルなクマのぬいぐるみ造形っぽくて妙な違和感を覚えます(笑)

 「ま、同じ妖精どうしだしな」

 「モフ? モフルンは妖精じゃないモフ。ぬいぐるみモフ」

 「えー? お前、しゃべるぬいぐるみってことか?!」

 うーん、ずっと気になっているのですが、どうして本作世界で「クマのぬいぐるみが歩いてしゃべることは異常事態」という前提が通されているのでしょう。

 紙で出来た蝶が蜜を吸っていた件は序盤の細かい描写なので、話が進むにつれて変更されても仕方ないと飲み込めますが、現在石の精霊がそこらへんをふよふよ漂って「ミトメール」ってつぶやく展開が進行中なのですけど(^^;

 そんな疑問をさておき、何故喋れるようになったのかが話の焦点に当たってモフルンの過去を説明する展開に。チクルンはみらいの思い出話などから、モフルンから何か聞き出せるのではないかとオルーバに報告。

 オルーバとの会話でチクルンは何か弱みを握られているらしきことが描写されますが、現状の本作の倫理観とプリキュアの悪や危機に対する態度を見る限り不穏な材料にしかならないあたりが、本作の困ったところです。

 写真にあったコスモス畑に案内してもらう形で、モフルンを連れ出すことに成功したチクルン。そこに現れたオルーバはモフルンを掴み観察。

 「君のような存在がどこから来たのか、そしてプリキュアとの力の関わり……興味深い

 「好奇心」は一応本作のテーマの一つであり、この点でアンチテーゼとして持ち込まれたキャラとして動くならオルーバは多少面白くなるかも、とほんの少しだけ期待もしてみたのですが。

 直後、やってきたみらいが「モフルンを返して」と叫びながら突進するのを回避した後に

 「そう焦らなくても、返してあげるよ」

 え?

 直後の台詞とドンヨクバール召喚から、「プリキュアの力が見たいけどモフルンがいないと変身できないから返した」という話のつもりなのでしょうが、現状のオルーバが持っている情報はプリキュアの変身にモフルンが関わっている『かもしれない』」という不確定要素しかないので、素直に返してしまう意味がわかりません。

 不確定要素だから興味深いと考える→確定させることで興味を満たす→そのために何か行動する、とつながるはずのところ、何も確定していないのに投げ出してしまうオルーバの「興味深い」がいきなり明後日の方向に。

 この後も変身したプリキュアの戦闘を見て「興味深い」とつぶやき、また戦闘中に「いろいろ勉強させてもらったよ。ありがとう」と言って攻撃を継続したりするのですが、そういうセリフが戦局の変化に影響しているような描写となっていないし、今後に引くような印象に見せられているわけでもなく、言葉を発するごとに意味不明っぷりが増していくオルーバ。

 戦闘中に立ちはだかったモフルンが、みらいが外で経験したことを伝えることでいつかみらいと一緒に行けるようになりたいと願うようになったこと、そしてこのコスモス畑はみらいが初めて連れてきた場所であることを話す。

 「本当に面白いね。決めた! あのぬいぐるみを捕まえて帰るよ!」

 ……すみません、オルーバの意味不明っぷりにずっと耐え続けた今回ですが、もうここにきて限界です(^^;

 オルーバが「あらゆる現象に興味を持つ人物」というキャラ付なのはわかりますが、それはあくまでキャラ設計の基本的な骨組みに過ぎず、問題はその中身がどういう詰め方をされているのか、そしてその中身を持つ人物は目の前の事象にどういう行動をとるのか、それを詰めていくのが話を作るということであり、その行動に筋が通っていることが「リアリティがある」ということなのです。

 その点でオルーバを見ると、散々「興味深い」「面白い」という言葉を並べる割に、何がどうして目の前の事象に興味を持ったのか、それをいったいどうしたいのか、そういう要素がセリフにも行動にも全然一貫した描写として表れてないので、ただ「興味深い」って言葉が並ぶだけの薄っぺらいキャラにしかなっていません。

 まあ、本作のキャラ造形全体がそういうものであるのは確かですが、ほんの一瞬でも本作のスタッフに期待した私がバカでした。

 そして、このオルーバのキャラ造形はあえて言うなら「好奇心のために人の平穏を害したり傷つけたりできる非情な人間」として、みらいへのアンチテーゼにする意図だったのだと思いますが、何よりみらいの方が瞬間的な快楽のために平気で人の想いを踏みにじったり傷つけたりしている(魔法の制限ルールを無視し続けた結果として勝木さんを変人に仕立て上げたり、未来の災いを回避する研究の果てに闇堕ちしたクシィを「よくわからない」と切り捨てた上に殺害している)せいで、ぶっちゃけオルーバとみらいは全く同種のクズにしか見えません。

 オルーバの「興味深い」とみらいの「ワクワクもんだぁ!」に、いったい何の違いがあるというのか。

 まあ結局、力押しの必殺技でドンヨクバールは倒されオルーバは撤退。

 モフルンが喋れるようになった件については、このコスモス畑に連れていってくれてから、みらいはあちこちに連れていってモフルンに色々なものを見せてくれたので、モフルンからみらいに何か伝えようと思い始めた、だから喋れるようになったのかもしれない……と着地。

 本作のこれまでの話を全部切り捨てて素直に解釈するなら、これこそ「想いの力が生んだ奇蹟」と収まる話なのでしょうけど、残念ながらそんな簡単に綺麗な解釈をできそうにないぐらい設定が曖昧すぎるのが本作。

 モフルンの言動からすると、「モフルンは動けないころから心を有していて、それがみらいの分けた思いの力により動く力を得られるほどまで強くなった」と思われるのですが、本作世界で『命』や『心』はどういうものとして位置付けられているのか。

 どうしても私は「モフルンに何故心が芽生えたのか、ていうか心って何?」を考える前に「命がないものに心は宿るのか、っていうか命って何?」が浮かぶのですが。

 これまでの本作の「命」を見ていくと、花とペガサスのヨクバールからペガサスだけ分離したことに「命があるものはダメ」と言いだすスパルダから、「本作世界では命と心は不可分で、花に心は無い、よって命もない」と読み取れますが、前回はーちゃんは魔法で花壇の植物に感謝の思いを表現させていたり、ドクロクシーが全世界の植物からだけエネルギーを吸い取って人間は無事だったりと、本作は動植物の生命&心の概念まで曖昧な設定にされています。

 そんな状況で、無生物(ぬいぐるみなど)に命や心はあるのか? なんて話に突っ込んでいけば当然まとまるはずもないのですが、動物に限っても闇魔法にとりつかれて骨だけになっても、なお動いて意識もあるクシィ(ドクロクシー)を、バラバラに分解して魂が飛んでいくところまで目撃した件について、本作ではどういう扱いになっているのか。

 以前にも少し触れて、今回も言及しましたが、素直に見ればこれはプリキュアがクシィを殺害しているということで、そんな問題について本作なりに納得できる理屈を全く用意しておらず(骨だけの死体を魔法の力が動かしていただけ、と解釈すると魂が体内にあった理由に説明がつけられない)、この一点だけ見ても本作が「生命」「心」「魂」と言った概念にまともに向き合っているとは言えず、故にそこからの話をどう展開しても何も身のある話として成立してくれないのです。

 よって、モフルンに語りかけたら喋れるようになったと言われても、何も感じ取りようがないわけで。

 また仮に元来モフルンに命も心もなかったとして、どうしてみらいが語りかけたら命や心が生まれたのか? を考えると、劇中の設定から言えば一番納得できる理由は「みらいは運命に選ばれた存在だから」に集約せざるをえないのが厳しいところ。

 何度も書くように、別にみらいが選ばれた存在だとしてもそれはそれで構わないのですが、「みらいはどうして選ばれたのか」に説得力を持たせる設定が一切用意されていないのと、「選ばれた人間としてどうするべきか」を全然考えず選ばれたことだけ肯定していることとが積み重なっているため、結局「みらいだからモフルンは動けるぬいぐるみになれたんだ」以上の広がりが全然生まれてこないわけで。

 次回、またも冷凍ミカン。