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魔法つかいプリキュア! 第41話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 この、ありとあらゆる要素に漂う「何を今更」感。

 魔法界とナシマホウ界の距離が近づいて、日帰り往復が容易になったことから、学校帰りに魔法界に向かって授業を受けたりし始めるみらいたち。

 オルーバがデウスマストの力の兆しみたいなこと言うので、明らかに悪による外的要因で異変が起こっているという印象なのですが、そんなことお構いなしのプリキュア達は、もはや脳が溶けているので仕方がないと思うことにします。

 で、魔法学校の授業ではこの魔法学校が大きな木に支えられていてそれが世界の礎だとか、今まで使われてきた空飛ぶホウキが元は生物だったのを人間が移動手段につか要になっただとか、最終クールにやるものとは到底思えない設定の基本事項説明。

 えーと、ホウキは生物らしいということで「はーちゃんが何もないところから魔法ホウキを作り出すのは、無から生物を生み出したということなので怪奇現象」「魔法界では元が生物である無機物がいたりするので、そういうものは魔法で動かせば生物同然の動きをするが、そうでないもの(例えばナシマホウ界のぬいぐるみ)はそんな動きをしない」とか、多分、そういう理屈で今までの描写の謎を解明したつもりなんだと思います。

 ……前者は「何もないところから物を生み出すなんて魔法を聞いたことがない」後者は「ぬいぐるみが喋った」ともっと根源的な部分で驚いているので、成り立ってませんけど。

 というかこういう設定は事前に視聴者が理解できるように明かすことで、この作品の世界観やキャラクター設定をある程度固定しておいて、それを軸に話を転がしていくというのが基本的なセオリーであって、今のこの段階で明かされても話が面白く転がるわけでもないし、今までリアルタイムで見てきた不可解な話が面白かったことに変わるわけでもないのですが、

 数日後、ナシマホウ界の学校が休みなので今回は泊まろうと魔法学校に向かった一行(そして疑問を放りだす朝日奈家は相変わらずダメ家族)だが、リコの部屋はジュンによって物置と変えられていた!

 誰が許可だしたのか知りませんが、片づけようとする意識はさらっさらないらしく、普通に不法占拠。

 「あたいの部屋に泊まればいい」とか、そういう問題じゃないと思うんですが。

 そんなネジ外れた学生を前に、突然に「私たちが大人として子供たちを導いてやらねば」と意気込む教頭先生と、クシィとの青春を振り返る校長先生と、今更何言ってんだという展開に。

 いや、別に校長先生がクシィとの青春に思いを馳せていようが、教頭先生が大人として導き手になろうと意識してようが、それは「そういう設定」で構わないんです。

 今まで「そういう設定」の元に動いていなかったのが問題なだけで。

 クシィ撃破後、およそ1か月? 死体としもべの破片を放置して自分だけ若返ってのんきにお茶飲んでいた人が今ここでクシィの話を持ち出したりとか、ナシマホウ界での傍若無人な振る舞い&「見られなければ違反じゃないんだよ」という本作の根源的な歪みを生み出した元凶たる教頭先生が「導き手としてしっかりする」という話を繰り出したりとか、そんなの全部白々しいだけです。

 さらにこの後、補習メイト&プリキュアが消灯時間を守らず騒いでいたのを、教頭先生にバレないようにしてごまかし続ける流れ(結局バレるのですが、青春を大事にしようと叱らず去るという相変わらずの論点ずらし、そして怒られない方が怖いからやめようと本旨を理解しない解決というダメっぷり)。

 スタッフは「修学旅行とかでよくある、大きな騒ぎにならない程度のかわいらしいヤンチャ」のつもりかもしれませんが、これまで「見られなければ魔法使ってもいい」を合言葉に大きな騒ぎを起こしたり、多大な迷惑をかけてきた連中がそれをやってもちっともそう感じられません。

 ジュンは今回、「泣く子も黙るジュンと言われてたけどみらいたちとの交流で変わった」とかのたまうのですが、初期のナシマホウ界観光やハロウィン回で魔法使って騒ぎを起こした件や、リコの部屋を勝手に占拠した件、今回の消灯時間違反など、やっていることのマイナスがあまりに大きすぎる(おまけにそれの反省が一切なし)ので全然人間的な魅力を感じられないし、もはや脳と性根のどっちが腐っているのかというレベル。

 で、おとなしく寝ることになって、ジュンから出されたリコの誕生日プレゼントはびっくり箱、に見せかけて中身はリコ人形だと知るみらいたち。

 「私、思うんだ。ワクワクは私1人で運んできたんじゃない。みんなと出会って生まれたんだって。あの春休み、リコと魔法の勉強することになって、そこでたまたまジュンたちとも一緒になって、そんな出会いだけでも、そこから思ってもみないワクワクが生まれる。こんな楽しい毎日が、ずっとずーっと続くといいな」

 は、普通だったら本作のテーマの根本的な部分をまとめるいいセリフになるのですが、これまで話の展開をほとんどみらい&リコ&はーちゃん&モフルンという狭い関係に絞り続けてきて、他のキャラクターに対する言動や関係から何かをつかみ取った話がちっとも存在しない(そんな話に見せかけているのは論点ずらしや屁理屈の連続なので実態として何かを得ているように感じられない)ため、上っ面だけ取り繕ったタチの悪い綺麗ごとにしか感じられず、全然響かないという始末。

 基本的にみらいが他者のことに誠実に当たった試しがないので、自分以外の人を大事にするって趣旨の台詞を繰り出しても、本音かどうか怪しいのですが。

 というかそもそも、「何で人は出会うのか」になると、彼女たちは「魔法があったから」ばかりを高く主張してきたので、結局全ては「魔法があったから私は幸せになれました」というところに着地せざるを得ず、本当に魔法が使えないって惨めなもんですね。

 そんなみらいたちが外をふと見ると、校長先生が魔法の絨毯でドクロクシー決戦の場所へ向かい、クシィに関する何かを探していた。そこにオルーバ襲来で、駆けつけたプリキュアとオルーバ対決。

 終わりなき混沌が世界をめちゃくちゃにしていくと顔に闇を登らせながら笑うオルーバに、今ある日常がかけがえのないものだから壊させないといつも通り怒ってなんかオーラを生み出すプリキュア達。

 こういう戦闘の段取りになると、もう何度目だと言いたくなるほど同じことしか言わないのですが、一応今は幹部が3人いるのに誰と当たっても同じ会話しかしないのでは、なんのために複数にしているのか(^^; それに、ムホー使いとの闘いが始まってからプリキュア達が日常生活を特別見つめ直して変化したことがあるわけでもないので、また白々しい。

 そしてもう、序盤からずーっと引っかかっているのですが、どうしてキュアミラクルは「朝日奈みらいの声」のまま感情的にしゃべることができないのでしょうか。

 私自身、音感がいい方ではないと自覚していますが、怒りの声を出すといつものみらいの声と別人演技ってぐらいトーンが違っていて、目をつぶって聞いたら同一人物だと判別できないのではないか。

 他のプリキュアで言うと、キュアピースとミラクルピースぐらい違っているのに同一人物設定で展開されている、ぐらいに演技がおかしい。

 他の作品見ても高橋さんの演技力がそこまでひどいとは思えないし、以前コメントいただいた内容によると高橋さんもみらいのキャラを(SDに質問を放り出されたことが原因で)掴み損ねているということらしいので、十中八九演出や音響スタッフの問題だと思っているのですが、41話もやっているのにどうしてこれで通されているんでしょう。

 フェリーチェみたいに変身したら性格が変わるって設定があるわけでもなし、というか第6話や第21話みたいに変身してなくても感情的になるとこの声だし、本当理解できません。

 仮にこの怒り演技が本来のみらいの感情を示す声で、普段の声のトーンは「作っている」「演じている」のであれば、そのトーンで発した「私、思うんだ~」以下の行は演技で作り上げた言葉ということになって余計に白々しさが増すんですけど。

 それで、ミラクルたちがそんなたわごと界王拳を繰り出す中、プリキュア達の発する言葉やその力の根源に「興味深い」を連呼していたオルーバのことなので、そんな目に見える変化が現れたら食いつくのが当然だよねと思っていたら、

 「よくわかんないや」

 あ、やっぱコイツみらいと同類だわ(笑)

 結局幹部全員どいつもこいつもプリキュアに興味なしって話になって、それだけでも死ぬほど面白くないのですが、このセリフの何がダメかって、仮にも善側の主張である

 「伝説とか、闇の魔法とか、いきなり言われても私にはよくわからない。そんなことより……そんなことよりはーちゃんを、はーちゃんを返して!」(21話、みらい)

  と、重なってしまっていること。

 今回、校長がクシィのことを思い出し、ドクロクシーとの決戦の地に何かを探しに来たというシチュエーションなので、なおのことそのセリフが発せられた21話を思い出しやすくなっているところ、何故それを被らせてしまったのか。

 わざとやっているのでなければ(それをわざとやる意味も全然理解できませんけど)、あまりにも稚拙なミステイクなのですが、もはや作り手の方もみらいに対して嫌悪感を抱いているのではないだろうかと思ってしまう(^^;

 ドンヨクバールと戦っている間にオルーバは海の底にある本を引き上げる。それはクシィの持っていた本で、校長も同じものを探していた。どうやらムホー使い側にとっても何かの手がかりになるらしく、ドンヨクバールを倒されるとオルーバは大人しく去っていった。

 えー、どう見ても件の本、普通に底に沈んでいただけにしか見えなくて、決戦のあと若返ってからのんきにお茶飲んでリアンと通信してる暇とかみかんの収穫手伝いやってる暇とかがあったなら、とっとと回収しに行っていれば見つけられた可能性が高く見えるんですが。

 もはや蓄えておく必要が無い校長先生の魔力と魔法で引き上げられない程度とは思えないし、単に校長が怠けていたからオルーバに盗られたみたいな印象に。

 「この周辺からは何も感じられない」ってキャシーのセリフも考えるなら、例えば闇魔法の残滓で存在が巧妙に隠れるようになっていた(そして魔法より上位のことができるムホーが使えるオルーバは見つけられた)とかそういう描写が必要だと思うのですが、映像でそういう描写が一切ありません。話に絡みもしないプリキュアのたわごと界王拳オーラを無駄に描くぐらいなら、そこを埋める方がずっと面白くなるのですけど。

 結局魔法学校に帰って、校長は早く寝るように促すが、心配になって出てきたジュンたちと「あの月まで競争だ!」とか青春っぽいことをやりはじめる。それを見て「クシィよ、わしの隣にもお主がおれば」とか言い出す校長。

 こーいう「それっぽいことをやっておけばそれっぽくなる」みたいな安直な描写とセリフばっかりが並ぶのって、本当見ていて辛いのですが(^^;

 設定が他の作品を参考にしたものだったり、似通ったものだったり、ありきたりだったりするのは別に構わなくて、重要なのはそれをどう動かして何を描くのか、本作なりにどういう始末をつけるのかなのですが、とにかく演出も脚本もそういう細かい仕事をやらないで「それっぽい言葉」だけが並んでいるので、ひたすら空虚、そして白々しいばかりという。

 「大人として導き手に」とかのたまうくせに結局「人生を豊かに」って言葉を盾に何も行動しなくなる教頭先生とか、これまでろくすっぽ人に見向きもしてないのに「出会いがワクワクを運んでくれた」とか言い出すみらいとか、死体を放置してずっと見向きもしてなかったクシィを突然思い出して遺留品を回収しだす校長とか、あらゆるものの動きに一切の整合性が取れておらず、そこに本作なりの主張とか視聴者を楽しませようとする工夫とか、そういった作り手の気配りを何も感じ取ることができませんでした。

 教頭先生と校長先生の人格面については、もう正直今更いくらフォローしようとも手遅れ以外の何物でもありませんが、だからと言ってフォローするポーズだけ取っておきながら実は何もフォローしていない、という流れになっているのは、単に不誠実ないし作り手の怠慢と言う他ない。

 次回、プリン。