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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

激走戦隊カーレンジャー第48話(最終回)感想&総括

激走戦隊カーレンジャー』の感想。

 星座を解放するべくバリバリアンで突撃する心はカーレンジャー

 叫ぶ心はカーレンジャーの鬼気迫る表情もあって非常にシリアスな場面で、心はカーレンジャー突撃→爆発と共にサブタイトル、も普通なら格好いいのに、サブタイトル「いつまでも交通安全!!」がなんともシュールな空気に(笑)

 命がけの特攻に涙するボーゾック達だが、そこに降りてくるバリバリアン!

 墜落の爆発が地球を花火にしかねない勢いなのですが、

 「「「「「お待たせー!!」」」」」

 降りてくる、変身済みのカーレンジャー

 俺たちはエグゾスに勝ったんだと喜ぶ一同。だが、そこに轟く稲光!

 「フハハハハハ、そう簡単にこの暴走皇帝エグゾスが、やられると思っていたのか? 愚か者ども!!」

 なんとエグゾスは、宇宙全体の悪のエネルギーを集め、エグゾススーパーストロングとして復活、地上に降りてきた!

 これまでマントを羽織ったいかにも帝王然とした衣装だったエグゾスは、筋肉質な手足など怪獣然とした風貌に。長い首も不気味な印象を出しています。

 「よーし、今度こそ俺の見せ場だ!」

 とガイナモは芋羊羹で巨大化して、格好よく立ち向かう……と思いきや、腹痛を訴えて元の大きさに。

 「しまった! この芋長の芋羊羹、期限切れになってたよー!」

 おい(笑)

 やはり自分たちの出番だと立ち向かうVRVロボに、ボーゾックもシグナルマンも市太郎もVRVマスターもダップもゾンネットも、一丸となって応援するが、エグゾスの力は強大で攻撃を跳ね返され、さらに腹を貫かれて機能停止。

 死を恐れ逃げようとするメンバーを、阻止するレッドレーサー。

 「みんな! 最後まで……最後まで、リーダーの俺を信じてくれ! エグゾスを倒せるのは、宇宙の平和を守れるのは……俺たちだけなんだ!」

 とにかく必死で「正義の使命」と「力を得た意味」を押し出すレッドレーサーは、やっぱり格好いいリーダー。

 「どんな嵐の日でも、雲の向こうでも、いつも太陽は、青い空に輝いているんだ……」

 ……正直、意味はよくわからない台詞だけど、心はカーレンジャーだからOKです(笑) 

 このまま茶化してしまうのも不可能ではないのだけど、OP流して格好よく決意するカーレンジャー一同、とヒーロー演出は決して茶化さないのが本作のいいところ。

 カーレンジャーVRVロボで抱き付いて自爆し、レンジャービークルに飛び移って脱出するが、エグゾスは平然と立ち続ける。ここで今回のアイキャッチ、いつもと全く違う最終回仕様。

 RVロボで激走斬りの強化版ハイパークラッシャーを繰り出し、エグゾスの腹に風穴を開けるカーレンジャーだが、再生するエグゾス……地味にエグゾス、歴代戦隊ラスボスでも相当に上位の強さなのでは(^^;

 RVロボをさらなる攻撃で吹き飛ばし、とどめを刺そうと迫るエグゾス……そこにガイナモが、賞味期限切れの芋羊羹を投げ込んだ!

 腹痛を訴え、人間サイズに小さくなるエグゾス。

 ……巨大化現象初登場回では芋長の芋羊羹でないと巨大化できない、とされていたものの、実質「賞味期限切れの芋羊羹で小さくなる」って話が今回初登場設定のため、「とりあえず逆転の手段として思いついたネタ入れておこう」ぐらいにしかならず、単に「酷い展開」で止まってしまって、もう一つ笑えませんでした(^^;

 まあ自分がゴミ扱いしたボーゾックによって、普通なら生ゴミとして捨てられる腐った芋羊羹で逆転された、というのはシャレが効いているのですけど、腐った芋羊羹で弱体化する前フリ(あるいは腐った原因はエグゾスがバリバリアンに放り込んだゴミだった、とか)が他のエピソードでも欲しかったところ。中途半端に伏線を用意した分、「そういうものだから仕方がない」で流すにはもうひと押し足りませんでした。

 ここでファミマの芋羊羹投げ込んだら、それはそれで酷いですが(笑)

 小さくなってもなお強大な力を発揮するエグゾスだが、カーレンジャーは5分割した力を1にまとめる必殺クルマジックアタックで突撃し、エグゾスを撃破。

 「悪の大宇宙ハイウェイ計画がぁー!!」

 かくして、悪の皇帝はチリとなって消えたのであった。

 エグゾスがどうして悪なのか、までは直接的には示されず、大まかには「伝説にある悪だから悪」というところで収まっているのですが、己の欲望のために数多の星をつぶし、あらゆる宇宙人を利用しゴミとして捨ててきた存在として極めて悪辣に描写されており、最終回で戦闘面の強さも発揮したことで「倒さねばならない敵」としての説得力は十分用意できました。

 宇宙に平和が戻り、ボーゾックは解散。EDのインストゥルメンタルをBGMに、日常を取り戻した面々が映し出される。

 シグナルマンは昇級試験の勉強、ガイナモは地球で焼肉屋に勤め、ゼルモダとグラッチは学問に目覚めて小学校に通うようになり、他のボーゾックたちは劇団を立ち上げ、ゾンネットは見合い話を持ち掛けられながらも恭介を想って断り続ける毎日。ダップと正体を明かしたVRVマスターはそのまま当てもない宇宙の旅に出た。

 父は無駄な男のロマンを述べるも理解できず地球に行きたいとドライに甘えるダップ(笑)

 そしてペガサスは再建され、改めて夢の車を作りたいという理想を追いかける5人組の姿があった……と日常に戻ったことをアピールするエンディング。

 最後、ヘルメットを外したカーレンジャーがガッツポーズをとって視聴者に見せるカットは、脚本で用意したのか監督が入れたのかはわかりませんが、素顔の5人組をここで描くことで「心はカーレンジャー」を再度強調するという、にくい締めとなりました。

総括

 まず、本作のヒーロー観から。

 「一般人がヒーローとなる物語」を考える上で重要な対立項となるのが「公の使命」と「個人の願望・夢」となるわけで、そこを擦り合わせるために様々な工夫が置かれる昨今のヒーロー番組ですが、本作においてはそこは完全に分断されており、「ヒーローの自分」「一般市民の自分」を並べる問題となっているのがポイント。

 カーレンジャーは「星座によって偶然に力を与えられ、その力によって宇宙の平和を成し遂げるという使命が与えられた者」ですが、その力や使命を与えられただけでヒーローになるわけではなく、その「使命」に自ら従う意思を持つ者こそヒーローである、というのが本作におけるヒーロー観の基本となります。

 そうなると次に問題なのが、「使命」とは何か。

 よくある「正義の味方」というフレーズですが、実は本作、その「正義とは何か?」の部分には直接踏み込んでいくことをしておりません。

 「正義の味方」は原点である『月光仮面』においては「人間が正義そのものとなるのではなく、あくまで神仏の慈愛や正義に味方する者である」という意味合いであるところ、本作では神仏に類する存在で「車の星座」や「クルマジックパワー伝説」という要素があります。

 そうなるとカーレンジャーは「神に与えられた使命に愚直に従う者」ということになりかねず、いわば自己の意思決定を人知を超えた存在に完全に委ねてしまうことになる、という危うさを抱えており、仮にそういう話であれば単なる質の悪いパロディにしかならなかったでしょう。

 そこで『カーレンジャー』は浦沢ワールドを応用。

 この世界観では当たり前のように野生の車が存在し、捻くれた家具が飛び回り、ピザが交通機能をマヒさせる話を平然と受け入れ、星座は酒で酔っぱらう、と様々なものについて意識などを自然と盛り込んでいます。

 これにより、カーレンジャーに力を与えた星座は「人知を超えた存在」ではなく「宇宙を動かす一要素」として、人間と並列する位置まで降りてきます。

 正義の使命と責任を「人ならざる宇宙を動かす存在、しかし人とは並列」の者が生み出すことにして、「神が与えたもの」ではなく「民衆が与えたもの」に近づけ、これによりノブレス・オブリージュに近いものに仕立て上げる、ということに。

 そして星座は、宇宙に現象を起こしてそれで何かの影響が他に出ることがあっても、直接的に人の意思決定や未来などの運命を司るわけではないことにより、カーレンジャーに選ばれたのは偶然で、実が言及したとおりの「何かの縁」である、ということに収められています。

 カーレンジャーのみなさんは縁あって力と先の「使命」を与えられる一方、別に「使命に従わない」という選択肢も可能だったわけですが、しかしそれは「ヒーローではない」し、カーレンジャーに偶然選ばれた者たちは従う道を選んで行ける人たちであった、というのが本作の一貫した筋だと思います。

 そうして、ヒーローであることを力に置くのでも使命に置くのでも選ばれることに置くのでもなく心に置くことで、視聴者でもヒーローにはなれる――「心はカーレンジャー」となれる、としてきた終盤が、本当に素敵な展開でした。

 

 本作の素晴らしかったのは、脚本上の意図はさておき、演出面では「劇中で起こる現象」を中途半端に茶化していなかった、という部分。

 宇宙の騒音公害とか、芋羊羹の巨大化とか、腐った芋羊羹で小型化とか、とにかく劇中で起こる現象は全て真剣に描写することで、上記の「星座さえも宇宙を動かす一要素である」という世界観をきちんと成立させ守り抜きました。

 それによって(特に終盤になるにつれ)発生している現象を笑っていいのかどうなのか困ることになってきましたが(^^;

 その世界観さえ守り抜いて、主人公をヒーローにしておけば、後は何をしても『カーレンジャー』として成立してしまう、という形に仕上がったのが、本作独自の強みと言えるでしょう。

 話の中身自体が、あるかどうかはさておいて(笑)

 

 好きなエピソードを上げると、第1話、第2話、第4・5話、第22話、第27話、第36話、第38話、第44話、第45話、第47話、といったところ。普通にテーマが好きだったり、ギャグのノリがツボにはまったりと、好きのベクトルは話で違いますが(笑)

 1話と2話については、東映特撮のパイロット版としても結構出来がいい部類ではないかと。

 逆にどうにも乗れなかったのが、第41話から第43話までのクリスマス三部作(^^; 先に述べた通り星座も一事象にすぎないならクルマジックパワーは「絆の力」と呼び変えることもできるのでしょうが、それをダップ&カーレンジャー5人という狭い隙間に収めてしまい、個人的な願いの果てに大きな正義を為す、という話になったのが『カーレンジャー』という作品全体としてはズレ気味な印象で、面白い面白くないよりも違和感を強く覚えてしまいました。

 

 キャラで言うと、なんだかんだカーレンジャー5人や敵の幹部それぞれに違う魅力を持たせつつも、先に述べたようにむしろ「世界観」を順守する方が大切な作品と言える都合から、個性が物語全体の魅力を引き立てる要因とはなりづらいのがちょっと難点(^^; ただ、リーダーである恭介/レッドレーサーは不格好ながらも本作のヒーロー観に実直な人間として貫かれ、リーダーとして置かれている説得力を生み出すことに成功したと思います。

 サブヒーローのシグナルマンも、警察官という職業で公の使命と個人の願望を近づけた設計にしていることから、本作のヒーロー観にちょっとアクセントを加えることができました。他のサブキャラなら、なんだかんだで市太郎のトラブルメーカーっぷりは嫌いじゃない(笑)

 

 聞きしに勝る、名作でした。

 

 「勘違いするな! 俺たちは1の力を5分割して戦っているだけだ!」