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魔法つかいプリキュア! 第45話感想

魔法つかいプリキュア!』の感想。

 作っている方はこれも本作のテーマの一つだと思っているのでしょうが、本作の一時間前に放映している『動物戦隊ジュウオウジャー』でメインテーマとして扱われている「つながり」を、本作でいかにも重要なテーマのごとく出されると、すっごくモヤモヤします。

 今回と同じ週の『ジュウオウジャー』放映エピソードが、今年視聴した特撮の中でも屈指の内容ってぐらい非常に面白かっただけに、なおさら。

 (『ジュウオウジャー』は2話以降の感想を書くタイミングを逸しているうちに、途中エピソードの録画ファイルが壊れてしまったので感想記事を断念しましたが、視聴自体は継続中です)

 そして今回、肝心の内容は「つながり」の「つ」の字から100億光年は離れているぐらい支離滅裂で、本気で考えるのを辞めかける領域(^^;

 ナシマホウ界に校長が来たことを知るプリキュア一行は、外でこたつを出して出迎える。

 野外でこたつに入っている姿を見ると、『よい子への道』(作:おかべりか)って本を思い出すのですが、私だけでしょうか(笑)

 (「学校へ持ってきてはいけないもの」「下校中にしてはいけないこと」などの例を、「言葉遣いの悪い石」「怪獣を呼び出す」などの常識から外れた内容でイラストとともに挙げる、シュールギャグ漫画)

 もともと一つだった世界が二つに分かれたことでクシィを思い出す校長を、元気づけようとイチゴメロンパンを買いに走るみらいたち。

 校長先生は一応君らのことを心配して来たはずなのに一人も残らないあたりに、彼女たちにとって校長先生がどの程度の扱いなのかが窺えます。

 そしてキャシーが、校長とクシィは友達だったことを話すのですが、ドクロクシー戦で無茶苦茶長ったらしい説明をしていて、その判明した事実でみらいたちが驚く映像まで作っておきながら、当然のごとくみらいたちは一切知らない情報という扱いをされている校長とクシィの関係。

 いきなり言われたことなので仕方がないよね。

 そんなみらいたちが帰ってくると、主と居場所を失って途方に暮れるバッティがこたつの横で体育座りしていた。悩みを適当に聞き流しつつ、クシィの本を取り返さなければならないと意気込む校長の下に、オルーバが闇魔法使いを引き連れて登場。謎の空間を作り上げる。それは残る眷属復活のためのステージだと語るオルーバは、巨大な蜘蛛となったスパルダとガメッツをけしかける。

 「教えてあげるよ。闇の魔法の本当の役割をね」

 オルーバの言う、闇魔法の真実……ラパーパとデウスマスト一味の対決で世界が分かれたあの時に、オルーバは世界中に数々の情報を散らばらせた。それを集めると強大な力となり、闇魔法として成り立ち、それをもってデウスマスト眷属を復活させるというのがオルーバの筋書きで、バッティたち闇魔法使いの誕生もその筋書きの上に乗っていたに過ぎないという。

 ……えー、するとオルーバさんは、自分がばら撒いた情報から出来た、自分の筋書き通りに育った闇魔法を見ておきながら、「興味深い」という世迷言を述べたり「使えそうな闇魔法を試してみる」なんてことをやっていたんですか?

 本気で意味が分からないよ、このヒト。

 「人知を超えた存在だからやることが理解できない」という話じゃなく、「情報を知らない前提でなければとらない行動を繰り返してきた」というものなので、オルーバは人格が分裂しているとでも考えなければ辻褄が合わないのですが。

 明かされる衝撃の真実のはずなのに、今までの話が全っ然そういう前提の下に展開されていなかったため、ただ意味不明なだけに(^^;

 そんなことを露知らずなガメッツとスパルダだが、プリキュア達に押されるのを見たオルーバは用済みとばかりにドンヨクバールを呼び出して、二人を押しのけながらプリキュアを攻撃。

 「もう諦めなよ。彼女こそが、かつて我らがデウスマストと渡り合ったマザー・ラパーパの力をつぐ者」

 「私が……?」

 そしてオルーバの側からフェリーチェはラパーパの力を受け継ぐ存在であることが明確化(多分、ミラクルとマジカルは聞いてない)。

 そんなオルーバの隙を突いて、スパルダが糸で闇魔法の本を奪取。

 「ずっとこのチャンスを狙ってたんだ。闇の世界を作るのはこのあたしさ!」

 スパルダさん、ドクロクシー様の闇の世界は素晴らしいからその世界を作るためにエメラルドを狙うって話だったのに、いつの間に「闇の世界は私が作る」に目的がすり替わったのか、もうなんかツッコむのも面倒くさくなってきた(^^;

 「全く……こんなことで出し抜いたつもりなのかい? 下等な生き物の分際で!」

 突如、スパルダを下等生物扱いして羽根を生やした姿となって突撃し、本を奪うオルーバ。

 スパルダの顔にやたら顔近づけて甘い声で

 「返して」

 と囁くオルーバはハロウィン回で手をつないできたみらいと同じレベルで鳥肌が立つ気色悪さ。

 いくら見た目が整っていようと、情緒不安定で人格破綻者なので本気でおぞましいのですが、みらいと同類なので仕方がない。

 ステージは闇魔法の本とつながっているので、ここで戦えばエネルギーが眷属復活に使われるんだと『ドラゴンボール』の魔人ブウ式であることをご丁寧に解説するオルーバだが、そこに現れたドクロクシーのかかしとスパルダたちをまとめてヨクバールにしたバッティが立ちふさがり、ドンヨクバールと交戦。

 妙に作画に気合が入るのですが、普段の戦闘時の作画・演出が基本的に面白くない作品だけに、実際の出来以上に良く見えている気がする(笑)

 「闇の魔法の欠点はその中に人間の心があること。人間の弱さや迷いが、ムホーの力の再現を不完全なものにしてしまった」

 「弱さや迷い……」

 今回のオルーバ、出てくる新要素の説明の連続ばっかり続けて無理矢理話を成り立たせようとしている感じが非常に鬱陶しいのですが、おかげで校長がそんな話でクシィを思い出しても、ちっとも内容が頭に入ってきません(^^;

 だが、

 「我らの生きざま、茶番などと言わせておくものか!」

 ドンヨクバールを撃破してしまう闇魔法使いたち。

 あー……多分、今回のこの展開で「全て巨悪の計画通りに生まれ動かされていたバッティたちが、そこから脱却することで一歩前進して強くなる」という話にしたいのでしょうが……肝心の善側(プリキュア達)は自由意志で動いていると思えないため、茶番から脱却=成長、という図式が全く成立しません。

 何しろ、プリキュア達はやたらに自分たちの置かれている状況を「運命」という言葉で切り捨ててしまい、自分の持つ力の意味、その与えられた理由、マザー・ラパーパの意思、闇魔法の伝説、デウスマスト眷属……といった自分たちを取り囲む世界の事情の諸々に向き合う展開が皆無だったために、神の意思に流されてなんとなく戦って生きているとしか読み取れないわけでして。

 要するにステージを用意してくれたのがオルーバかラパーパかが違うだけで、勝利前のバッティと現状のプリキュアは本質的に同じであり、そこからバッティが別次元に飛び越えてしまう(それを肯定してしまう)と、相対的にプリキュア達はまるで成長していないという話になるのですが(^^;

 21話でヤモーのセリフから「本作は後半戦が始まる前から全て茶番にした」と書いた私ですが、完全にその通り。

 作り手もそれが分かり切っているので、この段階でミラクルとマジカルが一言も発しないのでしょうが。

 勿論、ミラクルとマジカルにそんな精神性を肯定する言葉を出させたところで説得力はないので、しゃべらせてしまうとそれはそれで問題ですが、そこでさらに酷いのは、

 「出来損ないなんかじゃない! 弱さや迷いだけじゃない……心には、強さや一途な思いがあるのです! そこから生まれる魔法……それはあなた達の想像をこえた力になる!」

 と、フェリーチェにはしゃべらせてしまうこと。

 フェリーチェがミラクル・マジカルと同じ存在で、その「心」がオルーバたちの想像を超える力を生むんだ、と主張するのであれば、それは人間としての自らの意思と理想の表明でもあるのだから問題はなく、また与えられた力と存在に向き合っているという話で成り立ちますが、そうではありません。

 何故なら、この時点でフェリーチェはオルーバの説明により、自らがラパーパの力を受け継ぐものだと知っているから(さすがに言葉に対して「私が……?」というセリフを出してまで反応しておきながら「知らない」とか「理解できてない」とかは通用しません)。

 つまり、このセリフは自らがラパーパと同種またはそれに類する身の上であると知ったうえで発しているものであるため、「ラパーパたち超常の者としての願いと意思を示したもの」にしかならないわけであり、いくらそこで押してもミラクルたちやバッティたちの自由意志の確立という話とは平行線にしかならないのです。

 むしろここで、闇魔法の存在をラパーパを継ぐ者の口から「魔法」と認めてしまうことにより、バッティたちは「魔法を使える=神の赦しを得たものだから救われた」という、前々回示した本作世界観の構造にただ取り込まれてしまっただけということになってしまい、要するに彼らを転がす茶番を展開してるのがオルーバからラパーパに代わっただけということで、元の木阿弥になってしまいました。

 「黙れ……黙れ黙れ黙れぇぇぇぇ!」

 逆ギレして突撃してくるオルーバだが、結局虹の彼方へ。

 「ちょっとお遊びが過ぎたかな……あんな連中のおかげで、計画が台無しにされてしまうなんてね。リンクルストーンの力は手に入らなかったけど、その代わり……捧げよう。僕の残った力の全てを」

 オルーバは闇を世界中に散らばらせて、消滅。

 退場間際にして「今まで自分の掌の上だったんだ」と表明する策略タイプとして展開し、そこで思い通りにいかなくなって逆ギレと急に小者化、そして終盤の布石をちりばめるも自身はなんだかんだあっさり消滅という顛末となったオルーバですが、途中に書いたようにそういう設定の下での話が展開されていなかったため、人格が分裂したのではないかと思うほどにブチ壊れて空虚なキャラとなり、非常に面白くない格好で消滅。

 実質的なプリキュアとの初接触となる第36話で、「興味深い」「面白い」というセリフを多用するキャラとしての長所と短所を示すことができなかった(そのため本来、みらいのアンチテーゼのつもりだったと思われるのが、みらいも壊れているので同種の存在にしか見えなくなった)時点で色々ダメな気配はしていましたが、そういった要素を作ってる側も扱い切れなくなったためか周辺の土壌ごと別の場所に移して焼却処分されました。

 退場間際の「全部計算通り」という表明や「下等な生き物の分際で」というセリフなど、「興味深い」というセリフを繰り出すキャラとは根本的に相性が悪く、最初からこの結末を見越して設定していたとは思えないのですが、スタッフは本当にコイツをどうしたかったのでしょうか?

 で、自分だけが闇魔法使いの姿を保ったままのバッティ、ドクロクシーのかかしが消える(のも、別にこれドクロクシーの心が宿ったとかそういう説明も一切ないため意味不明)のを見守ると、帰ろうかといって全員を引き連れ去っていった。

 前回時点で面白くされつつも、投げられそうな雰囲気が強くて不安だったバッティを拾って格好よくしたのは良かったのですが、本作世界の根っこからの歪みがどうにもならないという、困った決着。

 そして、闇魔法の本にはクシィの文章が残されており、そこには友人である校長を巻き込みたくなかった旨、自分がこの闇魔法に手を出したのはいずれ未来でまた二人で空を飛びたいという願いがあったからと記されていた。

 「クシィよ、お前はどこまで真面目な奴なんだ……バカヤロウ……」

 悲しむ校長先生ですが、えー……この人が本気でクシィを想っていたのか、わたくしには甚だ疑問なのですが(^^;

 だって校長、ドクロクシーを撃破してから遺骨を回収することもせず何か月も放置し、先月になってから思い出したかのように本を探したりする始末で、それどころか「使命に向かうひたむきさが、いつしかただひたすらに力を求める執着心に染まり、そして、研究の果てに、全て消えてしまった」とか、完全にクシィを残念な人として扱っているわけで、そこに本気で友情があったとは読み取れないのですけど。

 しかも「全て消えてしまった」の行は、みらいたちの前であえて友人に対し冷たい態度で突き放してるように見せかけて悲しみを紛らわしていたのではなく、視聴者以外の誰にも聞こえていない自分の心中でそう話しているから本音からそう思っているのだと認識せざるを得ません。

 これ、今回の脚本家と連携が取れてないとかじゃなく、該当エピソードと今回とで同じ伊藤睦美さんが執筆しているのに、どうして根本からズレが生じているのか(^^;

 「離れていても心がつながっている」みたいな話に持っていこうとしますが、この記述を読むまでの校長先生が真っ当に友情を信じていたものとは思えないので、クシィが一方的に校長先生を思いやってるだけで、全然つながってません。

 なんだか、クシィの人生最大の失敗は、闇魔法に手を出してしまったことではなく、このダメ人間を友達だと思ってしまったことなのではないか(笑)

 総合すると、今回の単品としての内容はともかく、そこに至るまでの物語構造がどうしようもなく歪すぎるためにどこを切り取ってもひどい内容で、連呼される「つながり」というフレーズがひどい皮肉にしかなっていないという、本当に頭を抱えたくなるような内容。

 なお、クシィの声は中村悠一さんが担当。校長はドクロクシー/クシィの判別を声でやっていたような気がして確認したら、魔法で判別していたのでそこは問題なし。この様子だと秋元羊介さんがそのままデウスマストの声も担当して、ドクロクシーの声の理由にしそうなのですが、ここまで破綻している作品だとそれがどうしたという感じしかしません(^^;

 仮にドクロクシーを動かすのがデウスマストの意識だったとしても、あの時点でみらいたちがそれを認識しているはずがなく、魂が体内に囚われた骨が喋って動いているという状況を見て問答無用で力で吹き飛ばした(明確に殺意を持って魔法を行使した)ことに変わりはないため、カボチャ鳥と同じく論点ずらしで解決していることにしかならないわけですが。

 なんかもー、どうにもならないとは言えども本作が全力で「結果が過程を正当化する」をやろうとしている感じが、本当に気に食わん……

 次回、クリスマス。