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ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

コンドールマン 23・24(最終)話感想

コンドールマン』の感想。

23話

 前回謎だった、いつの間にかまことたちが回復している問題は、

 「ここの温泉はね、こういう傷にはよく効くらしいの」

 だそうですが、凄い宣伝だ(笑)

 マグマに飛び込んだコンドールマンを見届けたマッドサイエンダーは、コンドールマンの死を確信して日本全滅作戦を展開することに。タバ老人と子供たちがそれぞれ太陽と神に祈る中、コンドールマンは見事復活!

 ……ドラゴンコンドルの着ぐるみが、やっぱり微妙だ……(^^;

 「ありがとうタバ。みんなあなたのおかげです」

 「なんの、わしの力ではない。命を捨てて、人々を守ろうとする、気高い愛の心が……天の神に通じたのじゃ。……コンドールマン、もうわしの教えることは、なにもない。今こそ、コンドールマンの全ての修行は、終わった。これからは、自らの想いのままに、信じる道を、行くがよい」

 もう最初から最後まで徹底して謎のタバ老人ですが、コンドールマンの導き手としての意味以外は徹底的に落としきり、完全に視聴者で正体は想像してくださいってレベルの扱い(^^;

 人の姿を持っているもののコンドールマン(一心)以外との交流がないので、仏典における梵天ブラフマン)のイメージなのでしょうか。

 「行け! 悪魔に苦しめられている人々のために! そしていつかこの世が、まことの愛と、平和の楽土となることを信じて!」

 タバの言葉を受けて、コンドールフライで飛んでいくコンドールマン。修行を終えた証ということかとうとう生身の飛行能力を身に着けたのですが、ドラゴンコンドルで飛ばなくてちょっと安心(笑)

 コンドールJr.を閉じ込めて作戦にかかろうとする幹部たちだが、そこにコンドールマン登場! 空を飛べるコンドールマンに完全に泡を食って逃げる幹部だが、ゴミゴン、ドラゴンコンドルの火炎であっさり死亡。

 基本的に敵の撃破が雑な印象の本作ですが、散々不死身を謳ってきた敵幹部の最期なのに、爆死シーンは爆発のSEが入らず「うぼぇっ!」というしょぼい断末魔だけで片付き、ドラゴンファイヤーの特撮部分の微妙さも相まって、ギャグの領域(笑)

 モンスターの日本皆殺し作戦、それは各地の水道管にヘドロスモッグを取り付け、水道をひねったそばから出てくる毒スモッグで人を殺していくというものだった!

 蛇口から出る赤い煙に包まれた人が白骨化、というショッキングな映像が繰り出される相変わらずの容赦のなさですが、コンドールマンが一つ装置を発見(された原因が水道工事の工員の死体を放置したせいなのは、どうなのか)するとあっさりマスメディアを通じて警戒態勢となり、次々と装置が取り外されていくという形で被害はさほどなし。

 モンスター一族の見通しの甘さがどうしても気になり、雑な作戦だなあと思ってしまうのですが、もはや説明がなくともコンドールマンの声で人々が警戒態勢を取れる世界となっていることに違和感がなく、メディアや権力を通じて人々の正義を揺さぶったモンスターが同じ手段であっさり逆襲されている様は、なんとも皮肉にも見えます。

 草津の街の実験は失敗と言える内容だが、マッドサイエンダーはコンドールマンが装置を解除しているルートを割り出し、あらかじめ移動場所を予測してそこに罠を張る。

 閉じ込められたコンドールマンはドラゴンコンドルに化身しようとするが、光がないので化身不能!

 わずか1話にして、あっさり弱点を突かれて役立たずなドラゴンコンドル(^^;

 闇の中でヘドロンガーは新たな作戦を実行するため動き出し、スモッグトンだけがコンドールマンをいたぶり続けるが、スモッグトンを挑発することで落ちてきたわずかな滴を使ってパイプを消火し、再点火の炎でエネルギーを得て逆転!

 スモッグトンはドラゴンコンドルのあまりに強さに逃げるが、アジトのフラスコに逃げ帰ったところでドラゴンサンダーを受け、爆死。

 強化復活から幹部二人の退場劇ですが、もとより怪人撃破の扱いが微妙な作品ではあるものの、流れも雑な部分が目立ち、どうにも楽しめず(^^;

24話

 ついに幹部はヘドロンガーとマッドサイエンダーのみ。いかなる作戦を繰り出してくるのか、空から調査に出るコンドールマン。マッドサイエンダーはコンドールマンを誘き寄せるため、街中に鬼火を発生させるが、コンドールマンがマッドサイエンダーを捕まえると、発生する地震によりヘドロンガーの目的が地底エネルギーを利用したヘドロ津波であると判明。

 コンドールマンが源太郎たちに呼びかけることにより、街中でヘドロ津波への警戒態勢は強まっていく。

 今回、一心の母たみ子が一心の誕生日を忘れかけており、三矢一心が徐々に過去の人間となる一方でコンドールマンに「親父さん」と呼びかけられることに喜ぶ源太郎が描かれ、一心とコンドールマンの扱いについて尺が不足して踏み込み切れない部分があったことの心残りを感じさせられますが、うやむやのうちにここが同一化してしまう形にならなかったのは良かったです。

 と言ってもこの誕生日プレゼント、この先に出番はないし、今回はコンドールマンの化身した一心が出てこないので、どうしても扱い切れなかったんだろうなあ、という感じが否めませんが(^^;

 ヘドロンガーを阻止するべく動くコンドールマンと、それを罠にかけようとするマッドサイエンダー……マッドサイエンダーが砲台を動かすのは新規カットですが、妙に既視感のある映像が続いており、最終話でありながらどうして流用シーンばかりなのだろうか(^^;

コンドールマンが駆けるのもむなしく、火山が爆発して悪臭漂う猛毒のヘドロ溶岩が流れ出す!

 ドラゴンコンドルでドラゴンタイフーンを起こす(前にマッドサイエンダーをさっくりとコンドールサンダーで爆破)も、ヘドロを吹き飛ばすには至らず、一か八かドラゴンファイヤーで焼き払うと通用し、ヘドロンガーは無残に消滅(^^;

 「コンドールマン! 安心するのはまだ早いぞ」

 果てしなく雑な合成映像で、空に浮かぶキングモンスター(笑)

 青空の中にポンと切り取った写真を貼りつけたような映像で、いわゆる雑コラ感がすごいのですが、もう少し、この絵面をどうにかできなかったか(^^;

 雑コラキングはマントを振り回すと大きな風が巻き起こり、コンビナートが爆発し、圧倒されるコンドールマン。ゴールデンコンドルに化身してビームを放つも、第三の目からの怪光線で墜落してしまうコンドールマン

 諦めないコンドールマンはドラゴンコンドルになって火を噴くも、あっさり返される。

 キングモンスター以外の敵には圧倒的な力を見せたドラゴンコンドルですが、最終2話だけの登場ということもあり、どうにもゴールデンコンドルほどの圧倒感がありません(^^; 最低でももう1クールほど無いと、四段化身は扱い切れなかった気配(そうなると今度はゴールデンコンドルの影が薄くなると思いますが)。

 「くたばれコンドールマン! 貴様がやったことは無駄なことだ。なぜならば、人間どもから欲望というやつは永遠に無くならん。とすれば、我らモンスター一族も、永遠に滅びることはないのだ。もはや、どんな超能力を持つお前でも、このキングモンスターにかかってはおしまいなのだ」

 人間に悪の心がある限り怪物は現れる、というのは定番テーゼですが、本作におけるモンスターの在り方を再度説明。

 今度は生身で飛び込むコンドールマンだが、墜落する。その頃街中はパニックで、堅介たちも新聞社で避難誘導に追われていた。

 「もう時間はない! マキちゃん、君もすぐ避難するんだ!」

 「そうはいかないわ。私はコンドールマンを信じてるもの

 コンドールマンというヒーローが苦難を乗り越えると信じているからこそ、自分たちができることをする、というヒーローと市民の関係を、力強く体現するマキ(この後なんだかんだ言いつつ、堅介も避難せずに電話を取っている)。

 「まことちゃんは行きました。私も、一心さんのそばにいさせてください」

 一心の遺影に縋るたみ子に、同じく一心と最期を迎えようと現れるさゆり。

 コンドールマンを信じるから今を生きる人たちが描かれる裏で、既に死んだ一心を忘れたくないからこそ最期を一心と迎えたいと願い止まってしまう者たちが描かれると、対比の構図が強烈。

 コンドールマンは一心の姿を取ってこそいるものの、結局は一心と別の人間であり、たみ子たちに寄り添うことはできても同じになることはできないわけで、かといって死んだ一心がたみ子たちを救うために生き返るのでもなく、正義とは何か、人が救われるとはどういうことなのかが厳しくえぐり出されます。

 と言ってもここで、死者により縋るたみ子やさゆりの気持ちが否定されるのでもなく(たみ子については実子であるにも関わらず死んだ一心の誕生日を忘れていたことへの自責の念もあるでしょうし)、死を覚悟した上で死者を忘れまいとする女たちがいやらしくならないように描写するのは、気を遣ったのだろうなと思うところ。

 「太陽の神様! コンドールマンをお守りください!」

 まことたちのコンドールサークルを受け、立ち上がるコンドールマン

 最後の最後まで、コンドールマンを信じて戦う人々と、コンドールマンが子供たちの信頼を受けて立ち上がる姿とを見せてきたのは、本作の一貫したスタンス。

 (そうだ……タバ老人は言った。全ての修行は終わった。あとは思いのままだ!)

 なのに何故そこに転がるのか、よくわからないのですが(^^;

 再度飛ぶコンドールマンは、頭の羽根を外す

 「正義の光を受けてみろ!」

 てっきりコンドールサークルと合わせた、子供たちとの正義のビームでも撃つのかと思ったのですが、第三の目に突き刺した!

 「ハハハ……コンドールマン! まだまだその程度の力では、このキングモンスターを倒すことはできぬ! よいか! 改めてモンスター一族を引き連れ、貴様を叩き潰してやるわ! それまで、首を洗って待ってるがよい! ハーハハハハハ……」

 「来るなら来てみろ! しかし決して負けはしない! 私には超能力だけではない。たくさんの正義の人々がいる!」

 キングモンスターは一応撤退するも、倒されたわけではないことを示し、余裕のまま退場。と言っても映像が雑コラ感バリバリのシーン連続なので、キングモンスターの余裕もコンドールマンの与えたダメージも、よくわからない感じになりましたが(^^;

 コンドールマンの逆転の切り札が自分一人の力によるものではなく、人々の正義を信じる心とそれを受けて正義のシンボルであろうと戦うコンドールマンの力とによるものとし、それを最後のコンドールマンのセリフと合わせて、モンスターを生み出すのは人間だが、モンスターを倒すのもコンドールマンだけではなく人間なのだ、と作品の着地。

 「人間の、醜い欲望から生まれたモンスターは、ことごとくその野望と共に砕け散り、街には平和が蘇った。それは、コンドールマンと正義を信じる人々の不屈の勇気がもたらした勝利であった。そして、またいつの日か、人々が欲望に負け、愛と正義の心を見失ったとき、正義のシンボル・コンドールマンは、光の中から現れるのだ! 人の愛と、平和を守り、正義を貫くために!」

 主題歌をバックに流す中、ラストは人々に見送られ、コンドールマンが太陽の中へと飛び立っていくシーンで大団円。

 一心=コンドールマンであることが知られたのかどうかはうやむやのままとなったのですが(飛び去る前のコンドールマンに一心の顔が重なるので、知られた可能性はありそう)、コンドールマンはモンスターが現れない限りは地上に残らず、ずっと空から人を見守り続けているのだろう……と、コンドールマンが永遠のヒーローとなる決着を迎えることになりました。

 最終回、途中の映像が過去の流用によくわからないラストバトルなどもあって全体では残念なのですが、幾度か太陽になぞらえられたコンドールマンが、最後にも太陽と重なり、人々を見守ると同時に人々を導く光の象徴にもなる、と印象的なラストカットになりました。

総括

 70年代半ばのヒーロー番組らしく、公害問題への風刺を含めた内容なのですが、モンスター一族をストレートに欲望の化身とした上でその欲望により人の首が絞められるという設定を、餓えに苦しむ人々や子供でも容赦なく傷つき時には死に至るなどのシナリオ・映像両面で容赦なく描くという、非常にエキセントリックな内容。

 当時は現在に比べると映像・台詞関連の規制なども緩かったと思われるのですが、それを差し引いても(作り手の戦時中の体験が反映されていると思われる面を含め)かなり強烈にストレートであり、故にテーマ性とヒーローのスタンスが一貫した作品として、筋が通っていたのだと思います。

 物語は大きく分けて2部構成となり、前半1クールは日本を食糧難に陥れるハンガー作戦で展開、後半は小刻みに新しい幹部級モンスターが登場してそれぞれに違う傾向の作戦を展開する内容に。

 1つの作戦を長期スパンで展開し、クリフハンガー形式で引っ張り続ける前半の構造は、70年代のみならず、現代の特撮ヒーローを含めて見ても珍しい内容で、結構新鮮でしたが、ゼニクレージー撃破後はやや息切れした感じに。後半はやや構造に変化が訪れますが、今度は変化していく作戦を扱い切れなかった印象に(^^;

 最終話は慌ただしく粗削りながらも、作品の根幹をまとめているので嫌いではないのですが、全体のピークとしては11話、ゼニクレージー撃破編だと思います。

 シナリオ面最大の長所は、コンドールマンの肩書「正義のシンボル」が指すように、コンドールマンという存在に対する信頼から人々ができることを為し、それに応えるべくコンドールマンが戦う、というヒーローと市民の関係を明確に築き上げ、最後まで貫いたこと。

 そして人を信じる心と愛がどこから生まれるのか、となると、何も知らないコンドールマンが三矢家を見て守ろうと意識したことから物語が始まったように、それは生きている人々それぞれの意識から生まれるものとされ、それによって人を傷つける欲望に打ち勝つという物語として徹底的に貫かれました。

 欠点の一つと言えるのは敵怪人の撃破の雑さだと思うのですが、本作を改めて振り返った時どこにカタルシスを置く構造になっていたかと言うと、「敵を撃破する瞬間」ではなくて「助けの声にヒーローが現れた瞬間」と「悪の陰謀を白日の下にさらした瞬間」である、というのが一つの特徴だと思います。

 それで敵を撃破するシーンが面白くなくてもいいわけではないのですが、モンスター一族が人間の欲望から生まれ、不滅の設定であることを考えると、モンスターを倒すことで満足してはいけないのだ、というメッセージだったようにも思えるところ。

 他に難点だと思ったのは、人々の信頼と団結により立つヒーローとしてのコンドールマンを意識しすぎたためか、子供たちのリーダーとなるまこととの関係が強調され、さゆりの方がやや扱い切れてなかったように感じられた部分。

 さゆりの弟と一心の関係が肝であるはずの16話が、映像的に色々とつながっていなかったのは、非常に残念。

 他にも、「一心とコンドールマンは記憶を共有しない別人ながら人間の姿の時は同じ顔であり、それゆえにコンドールマンの一心に色々な感情を抱く者たちがいる」「巧妙なすれ違いなどが原因で、モンスター一族には一心とコンドールマンが同一人物という情報が入らない」など、扱い次第では面白くなる材料もたくさん見えたのですが、24話で全部使い切るのは難しかったのか、曖昧なままに終わってしまったのもいくつか見えているのが惜しい。

 特撮・アクションとしてはコンドールマン自体のデザインの格好よさに、火薬も大量に使われ格好いいカットが多く、キレのいい動きを見せるのですが、殴った時の音がびょーんという感じの妙な音で間抜けな印象になってしまうのと、着ぐるみやミニチュア特撮部分は時代を考慮しても、お世辞にも良いといいがたいクオリティ(^^; 特にゴールデンコンドルは映像がすごく微妙なのに無闇に強いので、登場すると妙な笑いが浮かんでしまうレベル(笑)

 面白い要素がいくつもあるだけにあれもこれも見たい、と欲張ってしまいたくなる内容なのですが、良くも悪くも衝撃的な内容だった、ということなのだと思います。個人的に、このブログを始めてから視聴した70年代特撮の中では、ベストを争えるぐらいの内容。

 世相的にこの時代だから出来た内容なのですが、今の技術でリメイクされて物語も洗練したものが出るなら、ちょっと見てみたいと思うかも(笑)

 川内康範原作のヒーロー番組を初めて真剣に視聴したのですが、テーマの背後の事情(戦争体験や仏教の思想)的にも色々と興味深く、楽しめた一作でした。