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キラキラ☆プリキュアアラモード 第29話感想

キラキラ☆プリキュアアラモード』の感想。

 えー、今回、色々と複雑に考えることが多くて上手く纏められなくなってきたので、思ったことをとりあえず並べておく感じで。

 冒頭から、屋外で二人そろって英語の勉強をする高校生組に、それを眺めて感激している親衛隊のみなさんという、この二人の関係性にもう一つときめかない私としては辟易する内容(^^;

 この二人(だけ)の関係が目に見える形で明確に扱われたエピソードは実質二回だけ(10話、25話)なので、いつの間にか狭まっている距離感がまだ飲み込めずにいるのですが。

 日常生活では同じ学校にいる都合上、あきらとゆかりは中学生組より共に行動している時間が長いのは確実なので、そこまで接近する仲になるような細かい話が行間にあったと推測は可能ですが、物語としては現れていない事情を規定事実にされていて、それを前提として話が組まれているのが困ったところ。

 明確に破綻と断じるほどに壊れていないけれど、こういう細かい積み重ねの不足が原因で物語としての面白さがもう一つ跳ねないのは、つくづく本作の欠点の一つだと思います。

 その頃、中学生組はゆかりについて雑談中。ひまりのテンションが作画枚数に現れるレベルでやたらに高いですが、先週のノリをそのまま引きずっているのか(笑)

 「気まぐれで」

 「自由で」

 「でも本当は……」

 「甘えん坊さん!」

 中学生組の分析、「本当は構ってほしい」というジュリオの分析(25話のゆかりの言葉をそのまま信じるならまさに真実)と図らずも同じところをつついているのですが、ジュリオは完全に「欠点」として用いていたところを「魅力」と見ているのが面白い。

 これが必ずしもプラスに解釈されるとは限らないから、ひまりはこの話をゆかりに知られまいとしているのですが(「自分が言ったことにしないでほしい」という逃げ方なのがちょっと酷いけど)、一つの事象に対してこうやって切り口を変えて違う解釈を表してくるのが、本作らしい一幕かなと。

 ……あ、長老が人間形態で爆睡中なのは、この際見なかったことにしておきます(^^;

 単純にエピソードとしての内容が面白いだけに、長老とペコリンの持て余し具合の酷さが、もう何と言えばいいのか。

 下校中、これまであちこちで人助けをしていたらしいあきら(これは第6話・第10話を始めずっと描写されているので違和感なし)が感謝される中、いたたまれないゆかりはあきらにどうしてここまで人にやさしくなれるのか尋ねる。

 「みんなの笑顔を見ると幸せなんだ。人が健やかに自由に暮らせるのって、当たり前ではないから……こうして綺麗な空が見えることも、こうして小さな花が咲いているとか、見つけられることも……全部幸せ。単純なのかな?」

 個人的にここまで今一つ、あきらのキャラクターの設計がピンとこないのですが、あきらが人を助ける背景に「それが人間として当然だから」という曖昧な倫理規範ではなく、病気の妹という個別事情を踏まえた芯を放り込んできたのは、ようやく少し飲み込めた気がします。これを今、第29話でやるのは遅い気もしますが(^^;

 後日、独り庭の庭園で佇むゆかりに、ゆかりといると楽しいからと笑顔でせまるあきら。そこにゆかりの祖母が客人に出すお菓子を作ってほしいと頼んだことで、キラパティの面々でマカロンを作ることに。

 マカロンは完璧に作れないから大切なお客様に出せない、と25話から引き続き「完璧を求める」傾向ですが、今回は渡す対象のことが明確に慮られているわけで、ゆかりが自分のプライドと自信から完璧を求めているのでなく、対象との距離を測るようになったから踏み出せなくなってしまった、という形に。

 そんなゆかりに、完璧というのは人の心によって変わるものだからチャレンジと背中を押してくるのが、失敗の意味とその転換を描き続けてきた本作らしい励まし。

 抹茶マカロンを作り上げたゆかりは約束の通り祖母に持っていこうとするが、道中でエリシオに遭遇。変身したキュアマカロンにエリシオは心の中の入り口と称して鏡を取り出す。

 「怖いのですか? 自分の心が」

 「……面白いわ」

 戦闘員作りと自動車のヘッドライト演出に凝るグレイブに対して、やたら小道具や舞台装置にこだわる印象があるエリシオですが、いったいどういうクリエイターから闇堕ちしたのか(笑)

 キュアマカロンが飛び込んだ鏡の先には無数の鑑があり、その中に映されていたのは幼少期のゆかり、そして背後から幼いゆかりが語りかけてくる。

 「私、いつも一人なの」

 「どうして? あなたの周りには大勢の人が……」

 「でも、誰も友達じゃないわ。綺麗だとか、なんでもできるだとか、みんな本当の私をわかってくれない。誰も私の心に興味がない……」

 「そ、そんなこと!」

 「本当はわかっているくせに!」

 拘束され、苦しむキュアマカロンに、続けるゆかり。

 「いつも幸せそうに笑っている人、バカみたい……嫌い、嫌い、嫌い! 大嫌い!」

 今回捻くれているのが、ゆかりが自分の中の闇と対峙した時に、あおい/キュアジェラートのように外部への破壊に向かわず、とことんまで自分だけの破壊に向かうところ。

 「いつも幸せそうに笑っている人」は完全にあきらのことを指しているのですが、そこで闇堕ちキュアマカロンなり闇の鏡なりがキュアショコラを倒しに行くのでなく、兎に角過去のゆかりが現在のゆかり/キュアマカロンにダメージを与えてきます。

 何故かというと、ゆかり自身が掲げた信条は「自分の選択の結果」「誰のせいにもしない」だから。

 誰も本当の自分を知らないと心で悩んだところで、そこに至ったのは自分のせいだから。

 内心のゆかりが「誰も自分を知らない」という割に「本当の自分」の具体的な像を出してこないのもポイントで、他人がゆかりを見ていないのではなく、実はゆかりの方が他人を向いていない。

 現にいちかたちが「ゆかりは本当は甘えん坊」と言い、それを魅力だと思っていることさえ、気付いていない。

 しかし本当はゆかり自身、自分を孤独にしているものは他人ではないとわかっている。

 本当にゆかりが嫌いなのは、誰なのか?

 口先で自立を掲げておきながら、実はここまで本当の意味で「自分から動く」ことをしていなかったという強烈な一撃が飛ぶのですが、さらにゆかり自身そのジレンマを自分で認識していて嫌悪し、その上で一旦掲げた信条に追い詰められ苦しむ、と凄まじい捻り方。

 ゆかりの祖母がやってきたことで異変に気づいた他のプリキュアは、鏡の中で苦しむキュアマカロンを助けようとするが、エリシオが阻止。

 「誤解しないでください! これは彼女が望んだ事なのですよ」

 マカロンのやっていることが自分との対話であるだけに、エリシオが意地悪くマカロンの自己責任論をつついてきたというよりは、試練の洞窟の入り口を守る賢者みたいな印象に(笑)

 「そうね……私はどうしても良い子にはなれない。明るくていつも笑顔で、そんな子にはなれない。暗い闇が私の心の中にあるの。認めるわ」

 明るい笑顔はできないというマカロン笑いかける幼いゆかりが凶悪。

 しかし。

 「でもね、私の中には光もあるの」

 外部からの攻撃で鏡が壊れることはなく、さらに苦しみつつもマカロンは続ける。

 「私は……あの子達といると楽しいの。いろいろと面白い事が増えたの」

 「何を言っているの?!」

 「前より世界が鮮やかに見えるのよ」

 他者と本当の意味で向き合わなかった今までの「琴爪ゆかり」なら、光を得られないまま自壊していたかもしれない。

 しかし、ここに立っていたのは他者を知り、様々なことに挑戦してきた「キュアマカロン」。

 「楽しさは誰かから与えてもらうものじゃない。自分で作るものだった!」

 拘束を解き放ち、周囲が一斉に明るく彩のある花畑になり……

 「私の周りには、カラフルな世界が広がっている!」

 誰かが自分に踏み込んで世界を作るのではなく、周囲の様々な事情が世界を作り上げていて、それに気づくために必要なのは「自立」と「他者との交流」。

 「なんで?! 心の闇は消えない! 明るいところにいたら、寂しい気持ちがもっと目立っちゃうんだから!」

 マカロンが「世界が鮮やか」というのを良いこととして叫ぶ一方で、世界に落ちている闇は闇のままで消えず、それを負の要素として叫び続けるゆかり。

 数多の者が作るカラフルな世界に闇を落とすことが穢れだと感じているからこそ、他人と向き合う……世界をカラフルにするのを避けてしまう、と持ってくるのですが、それでは他人と向き合うのに最初にするべきことは……

 幼い自分を抱きしめるキュアマカロン

 「あなたは私……あなた、好きよ」

 弱くても、苦しくても、完璧でなくても、例えそれが「闇」や「悪」だとしても、この世界にいる自分の存在を肯定すること。

 自分を見ている誰かが、自分の色を拒絶するか、受け入れるかはわからないけれど、自分が動かなければそもそも「色」さえついてこない。

 自ら動き、人やものと触れることで色を認識し、そして願わくば、見えてきた多くの色に、

 「大好き」と言えるようになる

 といったところなのでしょう。

 多分、開始時点で今回の展開を見越していたわけでないと思うのですが、キュアマカロンの色が一般に「闇」「暗色」として使われやすい紫色なのも、内容に合致していて綺麗。

 満面の笑みで飛び出すキュアマカロンは、そのままキュアショコラに寄りお姫様だっこ。

 それはともかくとして、マカロンの結晶が変化し、エリシオの作るマカロンモンスターはパルフェではなく5人のワンダフルアラモードで撃破。エピソード的に今回をパルフェ単独に任せなかったのは正しいと思いますが、作り手の意地でもあったのでしょうか(笑)

 抹茶マカロンは無事送り届けられ、お客様とマカロンを堪能するゆかり祖母。

 「若いからまだ迷う事はあるやろうけど、それでも前に進める子なんです」

 プリキュア関係の知人以外の身内である祖母もまた、ゆかりのことを見ていると示されて、抜かりなし。

 一方のゆかりはパティスリーでねこマカロンを作り上げる。

 「完璧かどうかはわからない。けど、私、このマカロン好きだわ」

 積極的に「好き」という言葉を使えるようになったゆかりが、自分にはできないと言っていた明るい笑顔をみんなと共に見せるというラストまで、徹底。

 ゆかりの心情描写と設定について、細かい部分まで読み解こうとすると底が見えなくてだんだん難しいキャラになっているのですが、ここまで描かれてきた作品テーマが凝縮され、濃い一話。凄かった。

 次回、不思議の国のあきら。