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キラキラ☆プリキュアアラモード 第33話感想

キラキラ☆プリキュアアラモード』の感想。

 エンドクレジットを待つまでもなく河野宏之さんが作画監督なのだろうとわかってしまう、凄まじい作画回(^^;

 もとよりアクションと妖精キャラと大人びたキャラは得意だけどプリキュア達の年齢層の女子の顔パーツのバランス配分が苦手、という印象の強い人ですが、今回ゆかりとスイーツアニマルは安定した作画で他のメンバー&ビブリーの崩れっぷりが著しいという、また極端な映像(笑)

 ベテラン演出家の角銅博之さんがコンテ・演出を務め、新たな敵の出現とその存在に揺さぶられるプリキュア達の心情の表現か、雨の天気で全体的に暗い映像だったり、人物の立ち方が傾いていたり魚眼レンズのような多少の歪みを持たせた画作りをしたりと変わった演出をしているのが面白いと言えば面白いのですが、作画が作画なので演出で歪んでいるのかまったく関係なく歪んでいるのか判別できなくて困りどころ(^^;

 話の本筋に移ると、前回の時系列は100年前とあっさり判明し、思わせぶりだった長老たちは結局ルミエルとノワールの戦いについて知らず、それは闇のせいで先祖からの記憶が失われていたから、とすごく曖昧な設定に。

 というか100年前となると、長老の見た目のイメージからして既にそのころから生きていてもおかしくなさそうだし、先祖代々とか言うほども時期は離れてなさそうに思うのですが、実は妖精たちの寿命は犬並で、長老はこう見えても10代後半とか20代なのか。

 前からうすうす、妖精関係の描写の薄さや曖昧さは本作の欠点の一つだと感じてはいたところですが、先祖について遡ってしまうと、ますますそういう気がしてきます(^^;

 そしてキラパティが本日も大繁盛で、応援にシエルも参加する中、独りだけ店の奥で黙々とカップケーキを食べ続けるビブリー。

 「あんたずいぶん生意気な口きいてくれちゃって! あたしのほうが年上よ!」

 本人の口から、先週持ち上がったロリバ○ア疑惑について言及される(笑)

 まあ、精神面は外見年齢相応より下(プリキュア側が年齢に言及しようとすると「女性に年を聞くのは失礼」と言いだし、都合よく大人と子供を使い分ける気満々)なのですが、本作ここまでの描写から言えば、精神面の成長性のなさはイルとノワールに依存して他者と向き合うことをしなかったから、というのが妥当な線でしょうか。

 彼女を子供にし続けた闇から解放された以上、いきなり老衰で倒れてもおかしくなさそうなのですが、さすがにそこまでえげつない展開は選ばず。仮にビブリーがピカリオのように完全に自己の意志でノワールに従ったなら、それぐらいやらないと行動不能のピカリオと比較した時にバランスが取れないので、前回でビブリーを被害者として描いたのは本当にギリギリの線です(^^;

 まあノワールが奪ったという事情を抜きにしても、100年後(現在)のいちご坂に当時のビブリーを知る人がいるとは考えづらいので、彼女が成長するための他者との関係構築はほぼ完全にゼロからのスタートという、結構厳しい内容。

 ともにカップケーキを作るビブリー更生プログラムを実施するいちか達だが、外からの悲鳴を聞いて飛び出す。雲行きの怪しい外ではついさっきカップケーキを購入したカップルや絵を描いている学生たちが喧嘩をしている光景。そこに現れたのは、ノワールのしもべとして100年前に暴れていた闇の猛獣ディアブルであった。

 料理用語「ディアブル(フランス語で「悪魔風」、香辛料を利かせた辛い味の料理)」が由来だと思うのですが、軽く調べたらフランスには「ディアボロ」というカクテルもあって、どうやらシロップをレモネード(炭酸水)で割った「甘い味のノンアルコールカクテル」らしく、これにミントやザクロまたは「イチゴ」の香りが入るとか。

 プリキュア達が生み出したスイーツアニマルと対になる存在という印象で、ノワールの正体の鍵になるのかもしれませんが、用意されている共通項とかは展開次第で放り投げられる可能性も高いので保留。

 戦おうと構えるプリキュア達だが、どうやら力を維持するのに闇キラル不足らしく、撤退するディアブル。かつていちご坂を闇で満たし、人の心を荒れさせていたその恐ろしさを語るビブリー。

 それでもスイーツを作り続け、人々を笑顔にすればと主張するいちかだが、100年前のルミエルでさえノワールを完全に消し去れず今でも闇に人々が苦しめられることになっており、この状況でスイーツを作ったところでディアブルの力を強めてしまうだけとビブリーは考える。

 「いっそスイーツが無ければ闇にも利用されず、人は心穏やかでいられるのかしら?」

 ゆかりの言葉から、スイーツがエンプティフード……栄養という面で言えば生きるのに絶対必要ではない、空っぽの食べ物と呼ばれることもあるという話を切り出すひまり。

 ……というところから今回のエピソードの本題が飛び出すのですが、正直本作ここまで33話かけて描いてきた内容を想うと、今更そこに切り込んでも仕方ないという気がします(^^;

 いや、作品の主題としてそれは重要な部分だし、改めて今回ここで切り込んで問い直す・再確認すること自体に意義はあると言えばあるのですが、しかしなんというか、そこはもう落ちる穴じゃないだろうと思うわけでして。

 何分、キラキラルという超常的な存在があり、それを使っての戦闘やトラブルの解決等をプリキュア達が行ってきたという作品の大前提があるために、生きるのに必要な栄養がない=無価値という論法にプリキュアが揺れてしまうのも問題があるのですが、それを抜きにしても本作におけるスイーツは単なる料理とか趣味とか娯楽の範囲で無く、

 ・人間の精神の主体性、チャレンジ精神

 ・他者との対話、コミュニケーション

 の象徴としてしつこいぐらいに描写してきたわけで、劇中のプリキュア達もそこはもう理解しているものだと思っていたのですが(まして29話にて、自分の中にある闇を飲み込んで自己の肯定に行きついているゆかりが「いっそスイーツがなければ~」と言いだすのも、ものすごい違和感)。

 本作の問題点として度々感じるのが「話を成立させるのに必要最低限の要素は描写しているので大きな破綻を呼ぶことはないが、最低限すぎて積み重ねが足りないので劇的に跳ねない」というところなのですけど、今回に限っては完全に真逆で、十分に描写してきて盤石な部分にあえて正面からぶつかって揺るがそうとしたら、全然揺さぶれずにぶつけた問題の方があっさり砕け散った、という感じ。

 その後飛び出していくスイーツアニマルたちを追いかけて、各々が街中を走り回ることになり、その中で街中のスイーツの店や今まで起きたこと、出会った人々を見て各自がたどり着いた結論は、

 「スイーツがなかったら……ううん、スイーツがあったからだ!」

 そして肝心のアニマルたちは、キラパティに帰還済み。

 「やっぱり私、スイーツが好き。スイーツに込めた、私やみんなの願いがあったから、今こうして笑っていられるんだもん」

 話の帰結として完全に見え見えで、まあそうなるよね、と言うしか(笑)

 この展開が途中で谷を越えるまでもなく見えてしまう、というのはここまでの描写の説得力の裏返しなので、それはまぎれもなく本作スタッフのテーマに対する真摯さと誠実さの現れだと思いますし、その点では私は本作を信頼しているのですが、あんまりに盤石で予想通り過ぎて特別な意外性も面白味も見いだせない、という困った内容。

 作り手の思想性や誠実さが必ずしも作品の出来や評価とは一致しない、という一例を見たような、そんな気分。

 改めて現れるディアブルに対抗するプリキュア達。闇の空間に溶け込んで死角から攻撃するディアブルに苦戦するプリキュア達だが、ディアブルの場所を探知できるスイーツアニマルの助けを借りて、撃退に成功。

 改めてキラパティをオープンする中で、ビブリーはシエルの店で預かって働かされることになり、社会復帰・更生プログラムは継続。

 途中述べたように作品全体で描いているものが安定しているのでそこに問題はないのですが、安定しすぎて新しい敵の出現という大イベントなのに話は思いっきり硬直化しているというもので、今後の終盤戦に向けて結構メタ的な不安が漂う1話、といったところ。

 物理的な力しか示せない(精神面では何も揺るがせない)ディアブルよりも、個々の精神面を抉ったエリシオの方がよっぽど強敵と言うか難敵という印象で、ディアブルの扱いはどうなるのか、というかグレイブの明日は大丈夫なのか(^^;

 次回、ゆかり、まさかの猫化。