ぼんやりと特撮・アニメなど

特撮やアニメの感想を適当に投げるブログ つぶやき → https://twitter.com/wayohmugen 某mugen製作 →https://onedrive.live.com/?id=3AB66F1D6B2F66E4%21139&cid=3AB66F1D6B2F66E4

上原正三と彼の描いた「ヒーロー」に思うこと

news.livedoor.com

久々の更新がこんな内容ですみませんが、氏の訃報で思いついたことをつらつらと。

 私が上原正三さんの脚本についてどういう評価をしているのかというと、まあ過去の記事を見てもらえればわかる通りで(^^;

 世代の差・経験の差というもののギャップ故に正当に見られていない、という点はあるかもしれませんが、書かれた話の中に「それはどうなのか」って思う内容・価値観のものが多数あった(少なくとも一つ、自分の中で「これはダメだ」って思ってしまうパターンがある)わけで、そういう点ではあまり高い評価をしていない人ってことで。

 ただ、それ以上に黎明期の特撮番組に関わった人として「存在の力」が非常に大きく、数多くの特撮ヒーローの誕生に携わった氏の功績をなくして今日の特撮と和製ヒーローは存在しえないのは確かであり、送り出した作品への個人的感情は別として氏は評価に値する人である、とは考えています。

 間違いなく「歴史上の偉人」に属する人だとは思っていますので。

 で、先に述べた自分の中でどうしてもダメだと思ってしまうパターンについて、特に東映特撮でよく見るパターンなのですが、

悪の組織が射幸心や金銭欲などを煽る作戦を展開→乗せられた民衆がエスカレート、徐々に思いやりを失うなど人格まで変貌→ついには私財を投げうつなどして、成功しなければ社会的に破滅するレベルまで進行→ヒーローが作戦を砕くが、民衆がどうなったのかのフォローなし

 というのが、私としては非常にダメというか、何度もこういうのを描いて何がしたかったのかわからない(^^;

 少なくとも感想書いた限りで『シャイダー』『ジャスピオン』『スピルバン』でこのパターンを見ており、特に『シャイダー』はフーマの目的が「地球を傷つけず奪うために人間の心を弱らせる」方針なだけに登場頻度も高く、円谷浩さん演じる沢村大は好きだけどお話としてはちょっと、というのが多かった印象。

 (ちなみに『仮面ライダーBLACK』では同様の展開を書いたのが荒川稔久さんなのですが、やはりオマージュなのでしょうか)

 著名な「怪獣使いと少年」(『帰ってきたウルトラマン』)を始め『オーレンジャー』などでも「ヒーローが悪役を倒しても市民の被害や傷の解決にはならない」という展開は少なくなく、氏が以前「非武のヒーロー」という概念を新聞のインタビューで語ったこともあり、それを「実力で解決するヒーロー」に対する思いの一つとして展開したのかも、という気はするのです。

 ただ、基本的に1話完結式のストーリーで単発で出る内容だけに映像で描かれない部分のフォローも難しく、単純に救済を描かない回数が多すぎるだけに作風として一貫したことの評価よりも無責任に投げっぱなしたという悪印象の方が強い、と感じるわけでして。

 果たして、ヒーローは暴力・実力で悪を取り除くだけなのか? 自らの欲に嵌った人間に何もしないのか? 社会のシステムの陥宑からは手を伸ばす事すらできないのか? ヒーローにそれをする権限はないのか?

 力による撃破のカタルシスとの両立の難しさもあって、上原さんに限らずヒーローを描くうえで常に作り手を悩ませてきたであろう、そして今でも悩まされる問題であろうこれに、果たして上原さんは答えを出せたのか。

 訃報を受けてから思いを巡らせて行きついたのが、もしかしたら『ウルトラマンティガ』の「ウルトラの星」が、上原さんがそれについて出した答えの一つだったのでは、ということ。

 ※以下、あらすじ等に書かれる人名はあくまで「作中の人物」としての描写であるため、現実のモデルがいる人物も敬称を省いて記述します。ご了承ください。

チャリジャという異次元人が怪獣を求めて過去の円谷プロへ飛び、それをダイゴ=ティガが追って円谷の制作現場に入り込む。

その中で新作の企画に行き詰まる脚本家・金城哲夫円谷プロの社長・円谷英二があるものを手渡す。かつて円谷は竜ヶ森の湖でウルトラマンという異星人と会い、怪獣を封じ込めたという彼からウルトラ口止め料友情の証として「ウルトラの星」なる赤い石を渡されていた。手に取ると不思議な暖かさを持ったその石に、金城は魅了される……。

チャリジャはその怪獣ヤナカーギーを復活させ、ティガがそれに立ち向かう様を見た円谷が応援すると、その願いが呼んだ奇跡が「あの」ウルトラマンを顕現させ、二人のヒーローにヤナカーギーは倒された。

「ヒーローが必要なんだよ、金城くん。ヒーローが……」

そしてウルトラの星を握りしめた金城は、新シリーズの脚本「ウルトラ作戦第一号」を書き上げるのであった。

  というあらすじで、この話におけるヒーロー=ウルトラマンは怪獣を倒しているのですが、その姿を見たのはチャリジャと円谷だけ。金城や他の人物は知る由もない。

 正直言って、金城視点だけで見た円谷は身も蓋もない言い方をすれば「得体のしれない石を持ち出して「私は金星人で、過去にM78星雲人と会った」と主張する、才能はあるが怪しすぎるジイさん」であり、現実にウルトラマンも見ていないし、今この瞬間にウルトラマンが怪獣を倒したとさえ知らない。

 しかし、金城哲夫円谷英二を通じて渡されたウルトラの星……ヒーローの暖かさから、行き詰っていた脚本の執筆を突破し、成功して見せた。

 ウルトラマンは直接的に金城の敵(あえてこう表記します)である「脚本執筆の悩み」をスペシウム光線で吹き飛ばしたりできないけれど、その存在と熱を感じ取った金城はそこから敵への勝利を得た。

 「敵を実力で倒す」以外のヒーローの意義は、そこにあったのではないか。

 そしてそれを進めれば、怪獣を倒すような力を見せつけなくても、誰かの熱や光になれるならそれはヒーローになれるし、その光があれば敵に打ち勝つ力を人間は持っている、と。

 で、問題は「人間がその光になれるのか?」に続いて(一応、円谷英二ウルトラマンと金城の橋渡し役としてそうなったといえるのですが、彼は金星人=ウルトラマンと同類だと自称するので……)、それをウルトラマンでありながら人間のメンタリティを持つティガ=ダイゴが悩むところで引き、そして最終章につながる、という構成。

 これまで描かれていた上記展開のストーリーの描写が過激で、個人が立ち上がってどうにかできる、の範囲をいささか超えている分はあるとは感じるものの、こう考えると少しは腑に落ちました。

 まあ、あくまで私の解釈なので、実際のところ上原さんがどう思っていたのか、氏が旅立った今は知る由もないですが(^^;

 20年以上前に答えをもう出していた、という可能性は信じたい。

ウルトラマン……また会おう!」