『仮面ライダーゴースト』の感想。
ついに眼魂を15個集めた西園寺は、大天空寺のモノリスにやってきて世界を支配する力を得ようとするが、光になって消えてしまう。仙人曰く「ベルトを持たない者がやっても無駄」とのことですが、あのベルトは仙人が与えるものしかないのか、それとも他に作り出すものがいるのか。
本作における謎の要素はどうにもワクワクすることがなく、ちゃんと片づけられるのかと言う不安とモヤモヤばっかりが募っていきます(^^;
何故かユルセンはその話知らないみたいですし!
巨大な魔法陣を作り出して空に浮かぶ眼魂たち、その中央の眼が開いたのを見たジャベルは龍のような怪物を送り出すがはじかれる。タケルが向かうと魔法陣の上にたどり着き、子供のような望みを求める声が聞こえてきた。
タケルは自分の命よりもカノンを優先する。これは納得の流れと言えばそうなんですが、本作の場合ここまでの積み重ねが歪すぎるものでタケルたちに感情移入や共感ができるポイントがあまりに少ないため「タケルがこういうことをする人間だから」という納得ではなく、「タケルがこういうことをする作品だから」という納得になってしまうのが良くありません。
ここまで全体に共通する問題ですが、「こういう言動をさせておけばヒーロー(仮面ライダー)らしくなる」に囚われすぎて、それを視聴者に飲み込ませるための工夫が欠けているように思います。
脚本がヒーロー番組の経験少ない一方で他作品で『仮面ライダー』シリーズのパロディを多用しているという話なので、そういう安直さが滲み出てしまったのかもしれません。
眼魂はドラゴンボールのごとく全世界に、ではなく周辺に散らばってそれを集める御成たち。そこに眼魂を奪うべくジャベルが現れ、タケルとマコトは共に戦うことになる。
タケルとマコトの戦いは眼魂を只管駆使して戦う派手なもので、ゴーストとスペクターの差別化に眼魂だけでなく空中浮揚も加えたりして、気合の入った戦闘シーンに。なんですが、途中で御成たちが「見つけましたぞ!」と眼魂を順次投入してくるのはどうにも冗長でしたし、眼魂すべての力を借りる必殺キックも唐突にしゃべるムサシとそれを何事もなく受け入れるタケルという、本作の欠点が一つ「視聴者が知らないことをいつの間にか当然に扱う人物」を見事に体現した展開に(^^;
ジャベルはアランの命令で撤退することに。その後マコトは笑顔を浮かべてタケルに礼を述べ、カノンと共に去っていく……
待て
他に言うべきことがいろいろあるだろう?
この人が集めた眼魂がいったいどういう経緯で手に入ったものかはっきりしないことには、妹が助かってめでたし! とはならないと思うのですが。
ここまでの眼魂入手の方法・設定は「眼魔が人々の命と引き換えに生み出させるもの」というものでして、スペクターの持つ諸々の眼魂もそういう経緯で手に入ったものだと考えるのが自然(これまでの会話などを考えると、マコトはタケルのように眼魔に蝕まれた人の命を再生する能力は持っていないはず)であり、そうなるとマコトは妹のために何人も見殺しにしてきた人がいるはずなのです。
後でマコトがスペクターになった経緯と共にフォローはされるかもしれませんが、何せアランは眼魂の持つ力とその正体を全く知らないという様子なので、このヒトらは関わることがなさそうだしなあ……。
その辺を後に任せるとしても、とりあえずやるべきことは一つ、視聴者に見えるところでタケルに「ごめんなさい」と言え。
危惧していた通りに「妹のために戦っていたから無罪」という地雷を完璧に踏み抜いていく、本作の恐ろしさ。
次回、タケル消滅の危機。