『魔法つかいプリキュア!』の感想。
一つのベッドにことは(はーちゃん)と二人で寝るのは苦しいからと、おばあちゃんの提案で屋根裏部屋をはーちゃんの部屋にすることに。
……夏場の屋根裏部屋って、死ぬほど暑そうな気がするなあ。
魔法を駆使して掃除をし、家具を出したり壁を塗ったりするはーちゃん。物を多数運ぶ魔法が「凄く練習しないとできない」のであれば、補習で水を操ったりしたのはなんなのか、というのを置いといて、そんなはーちゃんに呆れかえるリコ。
一方の魔法界では、校長先生が水晶玉と会話中。ナシマホウ界のみらいたちにはーちゃん&エメラルドを託したことについて
「これがエメラルドの運命なのじゃ」
うん、知ってたよ、このジイさんはそーいう人間だって。
メタ的にも作中世界の視点的にも、「運命」を責任放棄の言い訳にするマジックワードとしているとしか思えないのですが。
ナシマホウ界に戻り、掃除中の部屋から喉が渇いて降りるはーちゃん。
「眼が離せなくて小さなはーちゃん、私たちははーちゃんのお母さんだった……」
自己暗示をかけ始めたぞ、この子。
無理矢理「私たちははーちゃんのお母さん」を既成事実にしようとしていますが、中身が伴っていないので、自分にできなかったことを子供が実現したことから現実逃避しようとしていると見えるのですけど(^^;
みらいの「都合よく記憶を改竄する能力」は確実にリコを変えています、悪い方向に。
模様替えした部屋にワクワクが足りないと言い出すみらい。リコは降りた先で朝日奈父が日曜大工をしているところを見て、それを魔法で手伝おうとするはーちゃんを阻止。
「魔法を使う以外にもできることってあるのよ」
この後、魔法を使わず日曜大工を手伝い、その後に飲んだ牛乳が美味しかったので自分たちで動いて努力することは大切なんだと持っていくのですが、やっていることがまるっきり13話と同じです。
やっていることがまるっきり同じということは、当然、抱えている問題点も全く同じです。
杖を得られるのは運命に寄るけど、強化自体は努力と集中力が必須であるはずの魔法が日常生活を便利にする道具と同じ扱いでしかないという問題点が据え置きのまま。
そして「見られなければ使ってもいいわけではない」を今更主張しだすのですが、ここまでの彼女たちの行動をあえて無視するにしても、そもそも何故魔法を見られてはいけないという話になっているのか?
答えは「魔法を見られると杖を没収される」というルールが存在しているからです。
断じて「魔法を使うのは自力で努力ができないダメな人だから」でも、「魔法を使わないで努力する人が素晴らしいから」でもありません。
ずーっとそうなのですが、彼女たちは「魔法を使う→目撃されるかもしれない→そうなると杖を没収される」というリスクの存在を、何だと思っているのか。
そこで「何で見られたら杖を没収されるのか」とルールの本旨を考えるのならまだわかりますが、リコもみらいも一度としてそういうことを全然考えないで「見られなければ使ってもいいんだ」という屁理屈で逃げ回ってきた上で、「魔法を使わないで努力する方が楽しいんだ」とさらに話を砕こうとする、ひどい電波っぷり。
この杖没収設定、11話で話題が出てから後の話では「没収」の「ぼ」の字も出てこないのですが、まさか本気で抹消しているんじゃないだろうかスタッフたち。
この設定を考案した人を東京湾の底に沈めでもしたのか。
杖没収設定が消え去ってしまうと、現状「魔法を使わない方が得られるものがある」をいくつも並べていますが「魔法が知れ渡ったら困る理由」が何一つとして用意されていないため、魔法を隠そうとする設定や展開が全て骨抜きとなり、とりわけリコとみらいによりパラノイアに仕立て上げられている勝木さんが本気で可哀想で、全然笑えません。
スタッフの脳内で設定消し去ったとしても、それが表面に出てこない以上はその設定追加や変更は物語としては存在しないとしか考えようがないため、もはやフィクション製作のイロハからやり直せレベルで、ひどい。
これから理由付けて杖没収設定がなかったことになっても、現時点での作中視点ではみらいもリコもそんなことを感知できるはずがない(実は○話と○話の間で説明されてました、とか持ち出そうもんなら、スタッフは創作向いてないから全員荷物まとめて田舎に帰れと叫ぶレベル)ので、そこに眼が動かない時点でご都合丸出し過ぎです。
そんなわけで根っこから壊れている精神論など何も響かないのですが、まあ本作、努力の本質を徹底的に履き違えた上でハナクソほどの役にも立たせないので、仕方がないと言えば仕方がない。
モフルンも手伝おうと動くが何もできないことを恥じて、そんなモフルンをいるだけで力になるんだと本筋と関係ないところでフォローするみらい。
動けるようになったことでやっと感謝の言葉を述べられたモフルン、という要素自体は面白いだけに、本筋に絡まない&本筋が面白い面白くないのレベル通り越して壊れているのが、辛い。
過去の記憶からビーズを取り出して、どうやらビーズチェーンメーカー売り出しのための展開なのですが、適当なネックレス作って壁に飾りつけていく→ワクワクもんだあ! がどれほど効果あるのか(^^;
今回のラストで見せた画では多少マシでしたが、壁に次々飾られていくネックレスが血塗られた戦利品みたいで怖い。
何故だろう、関係ないはずだけど「アングリマーラ」という名前が浮かんだ(^^;
そして町へ買い物に出たらヤモーに襲われるのですが、出現と同時に人が消えるのは魔空空間的なものを展開していると認識するものなのか、何も考えてないのかどっちだろうか。
エメラルドを手に入れて世界を闇で覆う野望を語るヤモー。エメラルドさえあればなんでもできると言う。
「違う! あなたは、間違っている!」
?
変身したフェリーチェ、ヨクバールに腕をつかまれるも毅然とした態度。
「魔法は万能ではありません。どんなに強い力を手に入れたとしても、大切なのはそれを使う者の清き心。そして、熱き思い! それがわからないあなたに、エメラルドは渡しません!」
え? 今回そういう話だったっけ……?
今回の内容、万能の魔法で結果を出す→それを咎められて魔法使わない努力にいいことあるんだよ、と根性論を持ち出される→実際楽しかったから魔法使わないで片づけと模様替えやってみようか、だったはずなんですが、どこがどうして「まともな心の人間じゃないと魔法使えないよ」な話なんでしょうか。
まあ、うん、本作において「回のテーマに関する問題提起→その問題の解決のための行動→戦闘においてその問題についての啖呵」がマトモにまとまった事例がほとんどないので、いつものことなのですが、それにしたって散漫すぎます。
啖呵の内容素直に受け止めても、投げる前に握れてすらいない両刃のブーメランみたいな内容ですし。
戦闘後はビーズで飾り付けた部屋の中で、まだまだ学ぶことがいろいろあるのでこれからも教えてくださいというはーちゃんからプレゼントされたビーズで、喜ぶみらいたち。
「大きくなってもはーちゃんははーちゃんモフ」
いつの間にか何でもできるはーちゃんに寂しさを感じていたリコへのフォローでしょうが、親として責任感のある振る舞いをしなかったリコが「私たちは今まではーちゃんのお母さんだったし、これからもそうでいたい」と考えていたという不純すぎる内容なので、それむしろフォローしちゃダメだろうと思うのですけど。
アベレージ低い本作の中でも一際内容がひどく、私の中でプリキュアシリーズ歴代最低の脚本家としての地位が固まりつつある坪田文なのですが、14話以外(その14話も問題点多し)の担当エピソードでは単純に話に納得できる/できないレベルでさえない、前半部と後半部で別の内容を押し込めているんじゃないかというほど壊れた内容を展開し続けているのですけど、脚本経験結構あるはずなのにどうしてここまで壊れているのか。
ヒーロー番組だとかプリキュアシリーズとしてとか、そういう以前のフィクションとして成り立たないレベルでつながってないのですけど、どこに問題あるのだろう。