魔法つかいプリキュア! 第39話感想
『魔法つかいプリキュア!』の感想。
おおよそ4分に1回ぐらいのペースで「気持ち悪い」って感じる、革新的なエピソード。
いやもう、本当にひどかった。
開始地点、途中の展開、決着、どこを切り取ってもダメすぎる。
前回のみらいの言葉を真に受けた校長先生の計らいにより、校長&教頭のダメ大人コンビによる引率でナシマホウ界へと向かう魔法学校一同。
「わしには思いもよらぬ発想。みらいくんは流石じゃ。きっと、よい勉強になる」
唐突に超理論で脈絡もなく持ち上げられる主人公という、開幕から吐き気がするようなダメ台詞が飛び出す(^^;
というか、やたら褒めちぎってますが、みらいのそれは(杖没収設定が生きているのであればの話ですが)「本当は見つかると杖を没収される犯罪行為だけど、バレないようにする方法」なので、根本から捻じ曲がっているものを褒めちゃダメだと思うし、
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ ⌒ ) r'⌒ `!´ `⌒) よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ ⌒~~ / 「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ
│ /───| | |/ | l ト、 | 王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は
| irー-、 ー ,} | / i 作れないぞ!
| / `X´ ヽ / 入 |
だと思うのですが(笑)
付け焼刃知識でハロウィンをドヤ顔で説明するリコは魔法界の面々を引き連れ、街のハロウィン祭に参加。そして合言葉を説明しようとしたらジュンがガイドブックで知ってると言いだして不機嫌な顔になるという、いい加減、リコに承認欲求を持たせるだけ持たせといて、そこから何も膨らみも変化もさせずにただ曇らせるだけって展開をギャグにできてしまう神経が、またも気持ち悪い。
壮太たちのクレープ屋台に協力するみらいたちだが、補習メイトは魔法で手助けしようとする。
相変わらず「バレなければイカサマではないのだよ」理論ですが、少なくとも本作ここまでのナシマホウ界は宙に浮いている果物を見て異常を感じない世界のわけがないのだから、「魔法を使った手助け」でそこに結びつかない補習メイト(ましてや、ガイドブックでナシマホウ界の勉強を重ねてきたジュン)は単に頭が悪いだけでしかなく、ちっともギャグとして成立しません。
作品世界のリアリティと同じように、ギャグにはギャグとして通すべき筋が作品ごとにあって然るべきなのに、本作は徹底してそこの線を引こうとしないのは何故なのか。
一応は教頭先生に怒られるのですが、「魔法を使ったことそのものを叱る」のではなく「魔法で迷惑をかけたことを叱る」なのが、さらに杜撰。
この後の展開は「魔法が使えなくてもできることはあるんだからそれで助けよう」という話に転がっていくのですが、バーベキュー回やリフォーム回で述べたように「ナシマホウ界で魔法を使ってはいけない理由が法として存在する」のだから、最初から魔法を使わないで話を転がして当然(そして魔法を使うのは単なるバカか犯罪者)なのであり、だからどうして「魔法を使わない方が楽しいんだよ」という薄っぺらい道徳的な(つもりの)話に無理矢理持っていこうとするのか。
なんでここが混線するのかというと、39話も話を展開しておきながら根本的に「何故、ナシマホウ界には魔法の存在を知られてはならないのか」って部分が意味不明(その意味を持たせることこそ物語を積み重ねる意義なのだけど、それが死んでいる)なためで、このために
・知られてはならないと教えられている魔法を平然と使う補習メイトは、頭が悪すぎるか邪悪であるかのどちらか
・実は隠す必要など全くなく、むしろ平然と使う補習メイトの態度の方こそ正当で、無理矢理止めよう・隠そうとするみらいたちの方こそ異常であり、それにより勝木さんを変質者扱いしている
という、お互いに矛盾した二つの説が用意できて、どちらでも話が成立し、どっちを選んでも(一応善側に設定されている人物の)誰かがとてつもなく邪悪か異常者になるという、悪夢のような構図になっています。
根っこが死んでいる以上、その先をどう展開しようとも、文字通り「話にならん」としか言いようがないです。
みらいの呼びかけで魔法を使わずサポートするみんな。
「みらいがいると、みーんなみーんな笑顔になって、仲良しになれるモフ。そんなみらいが、モフルンは大好きモフ」
モフルーン、頼むから君だけは正常でいてくれぇー(泣)
今までそんな話、全っ然無かったからね?!!
捏造の積み重ねがやたら多い本作ですが、積み重ねのない事実で主人公を無理矢理持ち上げているの、本当に胃が痛くなるほどつらい……。
そのころ、ベニーギョは仮装と間違われて子供から飴玉をもらい、それを素体にドンヨクバールを作っていた。
……ええ、敵幹部が何も知らない一般人と触れ合いましたといういくらでも美味しく転がせそうなシチュエーションを作っているのに、本当にこの文章以上の内容が無いんです。
どうして、そういうほんのひと工夫したら面白くなるところでまっっったく何もしないわけ?!
本作全般に共通するダメな部分の一つですが、話を広げるとっかかりになる部分に対して「手の加え方がまずくて明後日の方向を向いてしまってダメになる」んじゃなく、「何もしないままほったらかすから自然に消滅する」なのが、とことんダメすぎる。
なんとか客をさばけて、魔法界の生徒に感謝を述べる壮太たちと、みんなで協力で来たからと喜びを分かち合う補習メイトたち。
「ねえ、リコ……魔法界の友達、ナシマホウ界の友達、皆が仲良くしてる。私……私何だか、とっても嬉しい!」
先ほどの「積み重ねのない事実で主人公を無理矢理持ち上げている」はまあ、凡百のダメな作品にありがちなダメな台詞程度のレベルですが、本作がそれらと一線を画しているのはあまりの世界の広がりの無さとみらいの自己中過ぎるキャラクター造形ゆえに、みらいが突然そんな台詞を述べ出すことにさえ何も説得力を感じられないというところ(^^;
そして、この台詞を言いながら頬を染めてリコと手をつなごうとしてくるところであまりの気色悪さに本気で鳥肌が立ちました。
誰か、タスケテ。
すごいわー、このシーン。
たった今、違う世界の人々が心を通わせることができてうれしいよって話を自ら口で発していたのに、それはそれとして自分だけリコとの肉体的な接触に走ろうとするんですね。
仮にみらいの視野がもっと広くて、リコやはーちゃんとの狭い関係にばかり閉じこもっていなくて、もっと人の喜びとか悲しみとかを感じ取れる人間であるならば、その喜びを表現できる言葉が上手く用意できなくて、その始まりである「異世界人であるリコとつながれた幸福」を思い出すように手をつなごうとする……という話になり感動的なシーンとなってくれるのでしょうが、今までそんな話、全っ然無かったからね?!!
多分、今回の最後、校長先生に上手く整頓できてない言葉を述べるみらいを見るに、作り手はそのつもりだったのだと思いますけれど、ここまでのみらいって「悲しいお別れはイヤなので邪魔な人は力で追い返す」「伝説とか使命とか世界平和とか、はーちゃんやリコに比べたらどうでもいい」「誰かの傷よりも自分自身の損失に一番怒る」「目先の快楽のために平気で規律を破れる」という人間であるため、兎に角「誰かの幸せを喜ぶ」が「みらい自身の行動につながる」という転がり方をしてくれるように感じ取れません。
ですから、今回「みんなが笑顔で私が嬉しい」が「リコと手をつなぐ」という行動に全然結びついてくれないことになり、「みんなの笑顔はみんなの笑顔で別にして、私は今なんとなくリコに触りたいから触った」にしかならず、故に結局は「自分のためだけにリコとの接触を図ろうとする」というだけでしかありません。
とてつもなく、気持ち悪い。
基本的に私、いわゆる百合とかレズとかを題材にした作品にはあまり触れてない人間なので、そういうのに特別興味はないけれどそこまで嫌悪感を抱くわけでもないと思うのですが(少なくとも『美少女戦士セーラームーン』(原作版と『crystal』)のセーラーウラヌス&ネプチューンや、ちびうさ&ほたるは特別ときめかないけど嫌悪も抱いていません)、何と言うか、本作の今エピソードは、そういうのと別次元で根本から歪んでる!
今回の演出・コンテを担当した鎌仲さんは前作でも中盤(30話)にコンテだけでいきなり参加し、その時もどうも脚本との間で何か行き違いがあったのではないかと疑うような内容でしたが、今回もなんか、序盤強調されていた「手をつなぐ」描写と設定について押し出すのが本作の特色だろうと考えて描いたら、全然そういうところに走ってない作品だったので盛大にブチ壊れたみたいな気配を感じます(^^;
そんな気持ち悪い空気を吹き飛ばすベニーギョに、立ち向かうプリキュア達。
ベニーギョは「調子戻ってきた」みたいに言いますが、別に彼女が直接戦闘するわけでもなく、だからってドンヨクバールに眼に見えるほど変化があるように感じられないので、また意味不明。今回だけで何度「今まで描写できなかったものをセリフで語らせて無理矢理既成事実っぽくしてしまう」を積み重ねるつもりなのか。
「何よ、そのふざけた格好」
「ハロウィンの邪魔しないで!」
「ハロウィン?」
「知らないの? あなただって、仮装みたいな変な格好なのに!」
敵であり人外とは言え、ヒトの身体的特徴を言葉で攻撃することに一切の躊躇いも見せないはーちゃん。
ベニーギョは「なめられてる」と感じるもののそれ以上何もなく普通に戦闘になるので、本気でこのセリフは何をやりたかったのかまったくわからず、ただはーちゃんに備わっている差別的感情が強調されただけにしか見えず。
というか、ハロウィンは仮装するもの→ベニーギョは仮装しているような恰好の普段着→ハロウィンは知っていて当然のはず→知らないとか何? って論理構成に何も疑問はないのかと聞きたいのですが、もーなんか私、坪田文の脚本だから仕方ないよねの領域に落ち着きだしています(笑)
他の作品見てませんが、少なくとも本作の坪田脚本に関しては回を重ねる度に下へ下へと掘り続けていて、逆に安心感。
(個人的に、あえて脚本家ごとに順番付けるなら、鐘弘亜樹>伊藤睦美>>>山下憲一>>>村山功>>>>>坪田文、ぐらいの印象)
そして戦闘に至り、バルーンを襲う飛び道具を止めに入るミラクルを「意味不明」と笑うベニーギョ。
直前に地上に立って動かないまま飛び道具を跳ね除ける三人の映像が入り、直後カットが切り替わってバルーンを襲う飛び道具、と転換するので余裕の表情で跳ね除けた飛び道具がバルーンを襲ったので止めに行ったみたいに見えてしまい、これは完全に演出が下手としか言いようがありません(^^;
ハロウィンの大切さを力説するミラクルで誤魔化そうとしますが、地形ダメージは敵を倒したら元に戻るのだから本当に無駄な行動でしかなく、身を呈してハロウィンを守るという内容が全然、ドラマとして詰め切れていないという雑な展開。
また、これも以前からずっと思っていることですが、キュアミラクル/朝日奈みらいの怒り声の演技がまるっきり別人演技にしか聞こえないのが相変わらずで、聞いていて不安になってくるばかりで中身が頭に入ってきません。高橋さんの実力ではなく演技指導に問題あると思いますが、みらいにはもう、演技的にも台詞の内容的にも何もしゃべらせない方が無難に収まりそう(^^;
ハロウィンが終了する中、アクアマリンのミトメールが入って、リアンがナシマホウ界と魔法界の真実に気づいたらしき描写で引くことに。
本筋以外だと、チクルンとモフルンが手をつなごうとして結局チクルンは拒絶、という展開が入るも、作品全体として「手を繋ぐ」要素自体が基本的にみらいとリコ(とはーちゃん)で閉じ込めてしまっているような扱いなので(だからバルーンが手をつないでいるのも、あまり効果的な作用にならず)、モフルンとチクルンが手をつなごうとするのも意味不明な引っ掛かりが生まれるばかりにしかならず。
また、おばあちゃんと校長先生の再会も入りますが、おばあちゃんの人物像が「一度校長先生と出会ったことがある」以外が曖昧なため、そこも盛り上がらず。
むしろ姿は見せるけど一言二言発しただけですぐに姿を消すという形で、おばあちゃんの想いを弄ぶ校長先生は本当、最低。
えー。
あー。
ひ ど か っ た 。
閑話休題エピソード(兼映画宣伝)にしても、これはない。
とにかく全ての要素がバラバラのまま、個別に死んでおり、一つの話としても楽しみようがありませんでした。
全体的に微妙な作画に加え戦闘や手をつなぐなどの要所の演出(映像)、破綻とすり替えが過ぎていて意味不明な台詞と展開(シナリオ)、不安定な声優の演技と印象に残らない音楽の使い方(音響)と、アニメを構成する三つの大きな要素が全部気持ち悪いという話は、そうそう見ません。
本作見ていると、なんだか、世の中には「無駄なものはない」かもしれないが「あるものを無駄に使うことはできる」ということを、思い知らされるなあ(^^;